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シナリオ 3
「何だどうした、殴るんじゃないのか?」
宗ちゃんの挑発する様な声が最後の引き金となって俺は駆け出し、宗ちゃんと土佐の間に割って入った。
「帰れ!もう帰れよ!」
自分でもびっくりするくらいの大きな声で叫んで、それから土佐の肩を向こうへ押しやる。ともかく土佐を宗ちゃんから少しでも引き離したくて思いきり力を込めたつもりだったけど、土佐は少しよろめく程度で大して後退りしなかった。
「俺はお前と一緒に行ったりしない!宗ちゃんとここにいる!ずっとここにいるから!だからもう帰ってくれ!今すぐ!そしてもう二度とここへは来るな!」
強い口調で言って、追い討ちを掛けるようにきつく睨み付ける。──その身を守りたい一心だった。一刻も早く安全な所へ帰って欲しかった。宗ちゃんを殴ろうなんて恐ろしいことは考え直して、今すぐここから離れて欲しかった。
初め驚いた様な顔で俺を見つめていた土佐は、俺の語気が強まるに従って悲しそうに顔を俯けた。けど、その姿に俺が胸を痛めるよりも早く、すぐに土佐は顔を上げて言った。
「及川ごめん、そこをどいて」
「どかない」
「俺はもう何も知らない訳じゃない。及川が泣いてる理由が分かったのに、知ってるのに、黙って引き下がる事はできない」
土佐は声を荒げるでもなく淡々と言った。一見穏やかだけど、話し方も雰囲気もいつもの土佐とは明らかに違う。静かな怒りが燃えている。青く冷たい炎が、ゆらゆらと……。
「格好つけるな野蛮人が。俺を殴りたいんだろ?それならとっとと殴ればいいだろう。ほら殴れよ。さあ早く殴れ!」
俺は狼狽えてしまったのだ。声を張り上げ怒鳴り散らすよりもある意味迫力のある土佐の怒りに触れて。それで宗ちゃんに挑発する隙を与えてしまった。ヤバイと思った時にはもう遅かった。土佐の震え上がるくらい怖い目が、宗ちゃんだけを捉えていた。足が一歩前に出て、手が振り上げられて───。
「何で……」
土佐の声は動揺の色を強く滲ませていた。
もう土佐を止められないと思った俺は、身を翻して宗ちゃんに飛び掛かった。宗ちゃんの頭を抱えて、土佐から守るように全身で覆い被さったのだ。既に勢い付いていた土佐に殴られるのは覚悟の上だった。けど、土佐はギリギリで手を止めてくれたらしい。ひゅんと頭の横で風を感じたけど、その拳は俺の髪を掠ることすらしなかった。
宗ちゃんを背後に庇う様にしながら、慎重にゆっくりと土佐に向き直る。土佐は戸惑いと怒りの狭間にいる様に見えた。
「お前に宗ちゃんの事は絶対に殴らせない」
「何で……何でだよ及川!何でそこまでしてそいつを庇うんだよ!」
土佐が声を荒げた。怒鳴られているのにおかしいけれど、さっきとは違って分かりやすい怒り方をしてくれた土佐を見て俺は少し安心していた。土佐にあんな怖い顔は似合わない。そもそも土佐は怒る姿が似合わないのだ。けど、どうしても怒らなきゃならないのなら、静かに見えて凶悪な青より、分かりやすく燃え盛る赤の方がいい。……やっぱり、もっと言えば土佐には笑ってて欲しい。能天気な顔してバカな事言ってて欲しい。大丈夫だよって微笑んでいて欲しい。
「何とか言ってくれ及川!」
土佐は眉を寄せて悲しく辛そうな顔をしている。本当はこんな顔させたくない。けど俺が庇いたいのは、守りたいのは、土佐なんだ。
土佐の言う通り、本当の事なんてここではひとつも口にできない。俺の口からは、土佐を傷付ける言葉しか吐けないのだ。だからどうか信じて欲しい。俺の嘘を、行動を、全部ありのままに受け取って欲しい。それは土佐を傷付け苦しめる事とイコールだけど、俺がつけられる程度の心の傷は、きっとすぐに癒えるから。
「俺の事なんか、さっさと忘れちまえ」
これは俺の本心とは言えないまでも、紛うことなく願望ではある。全くの嘘でもないのに呟く様な言い方になってしまったのは、声が震えるせいだ。もう大声を張り上げる力はどこにも残っていなかった。
「及川……」
土佐の声は悲しみと寂しさに満ちていた。けど、俺の言葉を信じてこの呪縛から醒めることができれば、土佐は自由になれる。今はこの理不尽な仕打ちに苛立ち悲しむかもしれないけど、大丈夫。すぐに忘れる。忘れられるから。
「愛由、あれを」
背後から囁かれた極々小さな囁き声。
あれ……?
解らずに考えている間中ずっと宗ちゃんの手が腰を這っていた。やめて欲しくて嫌悪感がいつにも増して酷かったけど、少ししてはっとした。それの意味する事に漸く気が付いたから。宗ちゃんは言っているのだ。土佐にとどめを刺せと。
「……俺が愛してるのは宗ちゃんだけ、だから」
土佐の目が、身体が、俺を見据えたまま動きを止めた。
終わった
その4文字がぽかりと頭に浮かぶ。
その場にへたりこんでしまいそうな程の脱力感。虚無感。喪失感。
「そう言うことだよ、土佐くん。いい加減分かったろう。見苦しい真似はもうやめて、愛由の言う通りにすることだ」
宗ちゃんは俺の横をすり抜けて行ってリビングのドアを開け放った。帰れという意味合いのそれに、土佐は黙って従った。
「及川」
ドアの前まで進んだ土佐が、最後に一度俺を振り返った。
「お前の気持ちはよく分かったよ」
その言葉を残して、土佐は俺の前から姿を消した。
*
「ハラハラしたけど、うまくいったね」
土佐が敷地外まで出る様子を監視カメラで追っていた宗ちゃんが、嬉しそうな顔して俺の隣に戻ってきた。
「痛いのは嫌だけど、あいつに殴られるってシナリオでもよかったんだよ?そうなれば傷害罪までつけて刑務所にぶちこんでやったのに。まあでも愛由に庇われるのも優越感で気持ちよかったからいいけどね。あいつの顔見た?敗北者って本当に格好悪いよね」
宗ちゃんは心底愉しそうにケタケタ笑って俺に同意を求めてきたけど、俺には例え演技でも頷くことさえできなかった。
「あ、ねえ、途中泣いちゃったのは何?何で泣いたの?今となっては結果オーライだけど、台本にないことしちゃダメでしょ」
「ごめんなさい」
「……もしかして土佐に嫌われたくなかったとか?」
「違う」
違うよ。嫌われないといけないってちゃんと分かってた。それなのに今胸が痛いのは、俺が身勝手なせいだ。土佐の身を守れた事だけじゃ満足できない程傲慢で欲深いからだ。
「……まあいいか。これで愛由は完全に俺だけのものになったんだから」
いつの間に用意したのか、視線の端に毒々しい赤色が映る。
「さあ、部屋に戻ってお祝いをしよう」
タートルネックの首の部分を捲られる。カチリと金属の接合音がして、その毒々しい赤が俺の首に巻き付いた。土佐がいる間は外されてた首輪。ただし、別荘でつけられていたのとは別のものだ。前のものよりリードがかなり長い。宗ちゃんによると、あの部屋の中を自由に動き回れるくらいの長さがあるらしい。宗ちゃんはそのリードを丁寧に畳んで短く持つと、俺を部屋まで引っ張った。
「これに着替えて」
宗ちゃんが渡してきたのは、お馴染みの衣装だ。
「動画の中で愛由はよくこれを着せられていたよね。俺がそれを好きな理由、分かってくれた?初恋の思い出なんだ。愛由と出会ったあの時の事を思い出すんだよ。愛由が大きくなっても変わらず可愛いままで本当によかった。今も、昔と変わらずよく似合ってる」
宗ちゃんは、衣装を身に纏った俺をこれまで以上に満足そうに眺めた。俺にとっての忘れたい程に嫌な思い出は、宗ちゃんにとってはキラキラした思い出なのだろう……。
「おいで」
ぼすんとベッドに押し倒されて、唇を塞がれる。
「俺と愛由の邪魔をする奴はもう誰もいない。愛由、愛由、愛してるよ。ずっと俺の事だけを見ていてね。愛由は永遠に俺だけのものだからね……」
身体をまさぐられながら、口付けを受けながら、俺はまた泣いてしまいそうになるのを必死に我慢していた。
『お前の気持ちはよく分かったよ』
耳に残る土佐の声は、悲しい離別の言葉なのになぜか優しく響く。もう二度と会えないのだとしても、この声を覚えていたいと思った。優しい土佐の声を、ずっと忘れたくないと。
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