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甘やかす 1

昼休み。あの天城家の息子ということで特別に宛がわれている専用の個室で、パソコンをあの部屋のウェブカメラに繋いだ。これは最近では毎日恒例となっている。しん、と音がしそうな程の静寂の中、俺の美しく可憐な恋人は今日は珍しく眠っていない様だった。 「愛由」 パソコン画面に向かって名前を呼ぶ。マイクの調子が悪いのか、ベッドの上で足を伸ばしてじっと座っている愛由は何の反応も示さない。けどウェブカメラの設定を確認しても、おかしなところはどこにもなかった。 「愛由」 もう何度か呼び掛けて、ようやく愛由に微かな動きがあった。ぴくりと頭を上げて、ベッド横のサイドボードの上に置いてあるウェブカメラにその愛らしい顔を向けた。 「宗ちゃん」 「ようやく気づいた?何度も呼んだんだよ?」 「ごめんなさい、聞こえなかった」 最近愛由はいつもこんな調子だ。俺がいない時間は眠っている事が殆どで、たまに起きていても、例え俺と一緒にいるときでさえ眠っているのではと思わされる程に反応が鈍い。まるで魂が抜け落ちてしまったみたいに……。 「何してたの?」 「何……してたっけ……。寝てたのかも……」 「起きてたよ。愛由は起きて、そこに座ってたじゃない」 「そう、だったね。うん、何もしてないよ。ただここに座ってた」 「そっか……。ごはんは?」 愛由の視線がベッドの向こう側を彷徨う。テーブルの上を確認しているのだろう。 「まだ」 「もうお昼だから、食べようね」 「うん」 ベッドから降りる愛由の動きがゴソゴソと音になる。 「愛由、愛由忘れてる。カメラ連れてって」 愛由のいる部屋には、ウェブカメラの他にも部屋を定点で録る監視カメラが天井に2台ついていて、このウェブカメラの動きも合わせるとそこに死角はほぼ0だ。けど、定点カメラでは愛由の表情の細かいところは見れないし、会話もできない。 「留守番中のペットの見守りに」と銘打ってあったこの商品を買ったのは出来心だった。どうせ玩具に毛が生えたようなものだろうと思っていたが、これが期待以上のパフォーマンスを見せてくれた。愛由の動きをカメラが追跡してくれるし、画質も悪くない。互いの声のやりとりも電話の様にスムーズだ。今もカメラが追跡してくれてるから、愛由が昼ご飯の準備がしてあるテーブルに向かった事は一目瞭然で分かるのだが、愛由の顔が遠くなるのが不満なのだ。いつ見ても可愛らしい愛由の顔を、時間の赦す限り間近でずっと見ていたい。本当は仕事なんかしないで、ずっとあの部屋で愛由を眺めていたいくらいなんだから。 「忘れてた、ごめんなさい」 愛由の姿が近づいてくる。シャツを一枚羽織っただけの裾から覗く太股が白くて艶かしい。 無意識にごくりと唾を飲んだ。今朝も抱いてきたけど、そんなのは関係ない。愛由に対する欲望に際限はないから。こうして抱きたい時に抱けないのも、なんとももどかしい。 カメラに手が届くほどに近づいてきた愛由の、どアップになった剥き出しの足を鑑賞する様に眺めていたら、ガゴッとカメラが持ち上がる音がした。そして歩いているのだろう、映像が揺れて乱れる。 愛由はいつもそうしてるみたいにテーブルの自分の向かい側にカメラを設置して、カメラを……俺を見つめて「いただきます」と手を合わせた。 この商品に唯一不満があるとしたら、愛由の側にモニターがついていないことだ。でもだからと言ってパソコンやスマホを与えるつもりはない。外部と繋がりを持ててしまうツールは、愛由に一切持たせたくないからだ。 愛由が皿にかけられたラップを両手でぎこちなく外していく。今日はじゃがいものポタージュとアボカドと生ハムのオープンサンドを用意した。昼ご飯は、愛由が食べやすい様にサンドイッチやスープなど箸やフォーク等の道具を使わなくても食べられるメニューを心掛けている。 「おいしい?」 「うん」 「よかった」 愛由は促さないと殆ど食事をしようとしないけど、お腹が減らない訳ではない様で、食事の時間だって事を教えれば普通の量を普通に食べてくれる。そのお陰で徐々にではあるが肉付きも元に戻りつつあるし、栄養不足や安物シャンプーのせいで傷みきっていた髪の毛も、毎日のトリートメントでもうすっかり元通りだ。 愛由は黙々と食べ、俺は頬を弛めてそれを眺める。 ああ、ただ食事をしている姿がどうしてこんなに可愛いんだろう。こんな可憐な恋人が、俺だけしか出入りできない部屋で、俺の作ったものを食べ、何もせずにただただ俺の帰りだけを待っている。今の愛由の状況は俺の理想にかなり近い。これまで俺を苛立たせていた全てが排除されたのだから。 今なら分かる。以前あんなに頻繁に愛由に腹を立てていたのは、愛由が俺の預かり知らぬ所で俺以外と接したり喋ったり、俺の知らない何かをしているという状況が許せなかったからだ。不安だったからだ。そして──。 2度目の出会いでひとつだけ間違いを犯したとすれば、それは愛由を暴力で支配した事だ。初めから拳で黙らせたせいで、愛由を手に入れるには殴りつける事が一番いい方法だと思い込んでいたし、暴力へのハードルが極端に下がってしまって、ほんの些細な掛け違いであっても、殴って躾ける事が当たり前になっていた。 愛由は一度目に逃げ出した時言った。叩かれるのが嫌だと、どうかもう殴らないでと。愛由を失う事が何より恐ろしい俺は、あの時それなりに反省もした。それでも──結局俺は暴力による支配をやめられなかった。怖かったのだ、愛由に捨てられるのが。愛由が俺を怖がらなくなったら、また前みたいに「好きじゃない」とか「もう二度と顔を見たくない」とか言われるかもしれない。嫌悪と憎悪の眼差しで唾を吐きかけられ、「死ね」と暴言を吐かれるかもしれない。そう思うと怖かった。今でも怖い。愛由がいつ俺に逆らい噛みついてくるかと思うと、本当に殴らなくて平気か心配になる。 けど、今日も愛由は俺に従順だ。俺が殴らず怒鳴らず優しいだけでも反抗する素振りは微塵もない。付け上がることすらなく、殴られてた頃と同じ様に淑やかだ。 愛由は自分が俺の物である事をきちんと理解し、受け入れている。だから大丈夫、殴る必要なんてどこにもない。もしも万が一、愛由が従順でなくなったら、淑やかさを忘れたら、その時はまた躾けて自分の立場を分からせてやればいいだけの話なのだから。そう、何も恐れることはない。大丈夫、大丈夫だ。 俺と愛由のコミュニケーションのひとつとして以前は当たり前にあった暴力。それがなくなった代わりに、今俺は愛由を猫可愛いがりに可愛いがっている。殴るのに使っていた体力は全て愛し合う事に使い、怒鳴りつけるのをやめた代わりに優しい言葉と口調で語りかける。可愛いがれば可愛いがるだけ愛由の事を可愛いと思う気持ちが高まる。それは、殴れば殴るだけまた殴りたくなるのと全く同じだった。俺は今愛由が可愛いくて仕方がない。画面越しでなければ、「ごちそう様でした」と律儀に手を合わせる愛由の頭を撫で、頬を撫で、首筋をなぞり、額にキスをしただろう。想像したら、また触れたくて堪らなくなった。 「天城先生、外来のお時間ですよ」 ドアをノックされ、聞こえてきたのは若い看護師の声だ。もうそんな時間か……。 「今行きます」 ドアの向こうに向かって声を張り上げる。 「愛由、仕事に行ってくるね。今日もなるべく早く帰るから」 「うん。宗ちゃん行ってらっしゃい」 「行ってきます」 愛らしい愛由の言葉に、仕事モードで引き締めた筈の頬がまた弛んだ。名残惜しく思いながらカメラとの接続を切って、重い腰を上げる。 愛由とずっと一緒にいたい。けど、あの家で愛由を囲って現状の快適な生活を維持するには仕事をしなければならない。この病院から貰う給料に大した稼ぎはないけれど、医者の仕事を辞めてしまえばお父様は俺への支援を打ち切るだろう……。 「遅刻ですよ天城せんせ」 部屋を出てすぐ、さっき声をかけてきた看護師が然り気無く腕を撫でながら絡んでくる。一度暇潰しに抱いて以降、こんな風に気安く接してくる様になった。 「今日も混んでますか?」 「予約の患者さんだけでもびっしり。天城先生の日は、特に若い女の子が増えるんですよねー」 「何ででしょうね」 「もう。わかってるくせに」 煩わしい。この女も、患者のくだらない悩みや愚痴を延々聞かされるこの仕事も。 泥臭く働かなくとも今の生活が維持できる方法が、お父様を納得させ金を出させる方法がどこかにないものだろうか……。

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