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甘やかす 3

「おいしい?」 「うん、おいしいよ」 急いで用意した簡単な夕食をとりながら、愛由の反応はいつも通りだ。従順で淑やかで可愛らしいけど、ともかく反応が鈍い。暴力で支配していた頃は、愛由は常に緊張して俺の顔色を窺っていた。俺の求めている返答が何なのか頭をフル回転させて考えていて、その返事ひとつひとつに愛由の思考や感情を見て取れた。けど、今の愛由は……とても頭を働かせている様に見えない。俺の事を見ている様で見ていない。何も考えてない。魂が抜け落ちている……。 ───及川の心を殺さないでくれ! こんな時に忌々しい声が蘇ってきて思わず舌打ちをした。すると、愛由の肩がビクッと鋭敏に動いた。いつもぼんやりしている瞳に俺を確りと映し、俺の顔色を探っている。愛由が久し振りに見せる人間らしい反応だった。緊張、恐れ、怯え。ただ可愛いだけじゃない、愛しさが込み上げる。 今までの反抗もせず従順な様子にもかなり満足していた。けれど理想そのものだと、満点だと言えなかったのは、愛由の反応が、表情があまりに単調でつまらなかったからだ。俺が欲しいのは中身空っぽのお人形なんかじゃない。愛由という人間の全てなのだから。 今ここでこの拳を振り上げれば、愛由は暫く俺の前でもうぼんやりしなくなるだろう。けど───。 「ごめんね驚かせちゃったね」 「…………」 愛由の瞳はまだ俺をじっと見つめていて、怯えた色を灯して不安そうに揺れている。 「ちょっと仕事の事を思い出しただけだよ。愛由に怒ってる訳じゃないからね」 「そう、なんだ……」 愛由は漸く安心したらしい。ふっと俺から視線を逸らすと控え目に肩を撫で下ろした。そして再び黙々と食事を始める。 可愛いけれど、鑑賞するのは楽しいけれど、やはりどこかつまらない。それでも俺は、拳を振り上げることも、振り下ろす事もしない。そうすれば簡単に愛由はもっと俺好みになるけれど、それでもしない。必要ないからだ。たった舌打ちひとつでこれだけ怯える程、俺への畏敬の念は愛由の奥深くまで根を張っている。 愛由がいい子でいる限り、ちゃんと俺を愛し俺のものに収まっている限り愛由を殴らない。何不自由ない暮らしを保証して大事にする。そう決めたのだ。拘束する首輪の素材もなるべく肌に優しいものを選んだし、手錠だって輪の部分にはクッション加工を施してある優しいものを使っている。俺が愛由の心を殺す?そんな訳ないだろう。こんなに大切にしているのに。 「愛由、何かしたいことはある?」 今でも精一杯やっている。俺は間違ってなんかいない。そう思いながらどうしてだかそんな台詞が口をついて出た。 一体何を言ってるんだ。愛由の機嫌でも取るつもりか。甘やかすのも可愛がるのも、俺がそうしたいからしてるだけだ。それが、愛由のしたいことを訊ねるなんてどうかしてる。舐められる。威厳を失う。付け上がらせるだけだ。なのに───。 「可能なことなら叶えてあげるよ。言ってごらん」 愛由が大きな目を更に丸くして、ちゃんと意思を持って俺を見ていたせいだろうか。また思っていた事と正反対の事を口にしてしまった。 愛由は少しの間目を大きくしたまま固まっていた。その様子をじっと見ていると、やがて愛由は片手を水平に上げて向こうを指差した。 「外が見たい。空が、見たい」 何を言われるのだろうと、内心ハラハラしていた。解放して欲しいとか、ここから出して欲しいとかだったらどうしようかと……。けど、愛由の要求はいじらしい程に控え目で、分相応なものだった。あの窓の向こうに行きたいではなく、この部屋から外を見たいと言ったのだ。 「いいよ。叶えてあげる」 「本当に……?」 「ああ本当だよ。愛由が元気になるならそのくらい軽い」 愛由はまた目を大きくさせて俺を見つめた。さっきのは驚き。そして今はそれに加えて喜びの表情も浮かべて。 「ありがとう宗ちゃん」 こそばゆい。むず痒い。けど決して嫌な感情じゃない。清々しくてどうしてだか誇らしい。そして、心臓がバクバクする。 俺はそれ以上愛由を見つめていることが出来なくなり、視線を逸らした。俺の方から視線を外すなんて、そんな事これまであっただろうか。 心地よい感情と正体不明の不安感が胸の内でせめぎあう。こんな気持ちになるのは初めてだ……。 やがて穏やかに波間をたゆたう様だった感情は消え失せ、不安感のみが俺の心に残った。そして───。 この感情は危険だ。 全く判然としないのに、なぜかこの思いが鮮明に脳裏を過っていった。

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