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会いたい

───及川、お前は生まれてから今まで一度でも、何の憂いもなく無邪気に笑えたことはあるのか……? 目の前にいない及川に向かって、何度そう尋ねただろう。 及川の行方が知れなくなって居ても立ってもいられなかった俺は、及川の過去を探った。そこに何か手懸かりがあればという思いと、及川の事を知りたいと言う思いを半々に持ちながら、よっしーの両親から辛うじて教えてもらった、及川が約一年入所していたという施設を訪れたのだ。そこで、話好きそうな施設長の中年女性から、俺の知りたかった事の殆ど全てを聞いた。 及川が実の母親からずっと虐待されてたこと。大人の男相手に売春行為までさせられていて母親が逮捕され、それで施設に入所した事。施設内で天城を刺して警察沙汰になり、施設を出たこと。 教えられた全ての情報に、俺は愕然とした。そうして、何度もあの質問を空に向かって繰り返した。だって、あまりにもあんまりだ。ただ羅列された言葉だけでも受け止めきれない。及川が、あの華奢な身体では背負いきれない程の大きな重石を担がされていたなんて。俺は何一つ知らなかった。何一つだ。 及川の言った、「ずっと星になりたいって思ってた」って言葉や、「生きる事の楽しみを教えてもらった」って言葉。その言葉の意味を、重みを、俺は今更になって知って、その重さだけでなく、あの時何も知らなかった自分を悔いて戒めて押し潰されそうになっている。 出会った当初の荒んだ目をしていた及川を思い出す。そして、いつしか笑ってくれる様になった及川の事も───。高校3年間の思い出が、走馬灯の様に駆け巡る。及川と出会い、ドキドキしたり、笑ったり。共に過ごした時間は俺の宝物だ。けど、俺にとっては平凡で平和で退屈で特に記憶に残らないくらいに当たり前だった日々のが、及川にとってはどれだけ……一体どれだけ貴重でかけがえのないものだったんだろうと思うと、胸が張り裂けそうなくらい苦しくなる。 けど、施設で教えてもらった事実はこれだけではない。及川の冤罪事件の相手が天城だったという事だ。これにも、俺は愕然とさせられた。 施設での冤罪事件。施設で及川に付きっきりだったという天城。それを知っていて、けどその二つを今の今まで結びつけなかったのは、及川と天城が曲がりなりにも「付き合っていた」と思っていたからだ。流石に冤罪をなすりつけた相手を恋人にする筈がないと思い込んでいた。けど、その仮定は覆された。いや、恐らくは仮定が覆ったのではない。及川が天城と付き合っていたという認識が間違っていたのだ。天城の恋人になったのは、初めから及川の意思ではなかった。天城とどんなやり取りがあり、及川が「付き合う」事に納得したのかは分からない。想像したくないけど、もしかしたら二人の関係は初めから暴力ありきだったかもしれない……。 そして恐らく、及川のバイト先に嫌がらせをしていたのも、及川に関する変な噂を流してたのも天城だ。天城は施設で知り合った及川に、ずっと粘着してストーカーしていたんだ。冤罪事件を起こしたのだって、あいつのことだ。及川が自分に逆らった腹いせとか見せしめとかだろう。 及川はそうでなくても辛い境遇にあったのに、その上こんな異常な奴に目を付けられてしまうなんて……。こんなことってあるか。神様なんていない。及川には何の非もないのに……。 及川の些細な幸せを奪う権利なんて誰にもない。神様にだって。許せない。及川を苦しめる天城を、絶対に。 そんな思いが日々募り続けていたあの日──天城が約束通り及川と会わせてくれたあの日、俺は完全に冷静さを失っていた。天城に殴りかかろうとしたその瞬間も、及川がそれを庇った瞬間も、まだまだ熱くなっていて、真実が見えていなかった。ようやく頭の温度が冷めたのは、及川が何度も繰り返して言っていた台詞「俺が愛してるのは宗ちゃんだけ」をまた聞いた時で、その時に漸く分かった。及川は俺を天城から守ろうとしているんだ、と。そして、俺を諦めさせ帰す為だけに心にもないことを言わされ続けている及川に、これ以上その苦行を強いる事は出来なかった。 けど、あれからずっと考え続けている。俺の選択は本当にあれでよかったのか。もっと出来た事があったかもしれない。及川を救うための方法が何かあったかもしれない、と。 薬の件は大学側は把握しておらず、及川が退学になることはなさそうだという事を事前にリサーチしていた事が、逆に慢心に繋がっていたかもしれない。まさか、あれが及川に会える最後のチャンスだったなんて思っていなかったから……。 「おまたせしました!」 息を切らせて向かいの席に座ったシャーリーンちゃんとは、こうして外で定期的に会っている。及川の様子を聞けたら、と思っていたけれど、そっちも考えが甘かった。シャリちゃんはあの邸宅にメイドとして戻された後、一度も及川と顔を合わせていないのだ。どうやら及川はある一室にずっと監禁されている様で……。 「どうしたのシャリちゃん、随分慌ててるね」 会う度に上達してるけど、日本語に自信がないというのもあるのだろう、いつも割と大人しめなシャリちゃんが今日は肩で息をしている。 「Big newsです!」 シャリちゃんが身を乗り出す。 「オクサマのヘヤに、マドができました!」 どんな朗報だろうと期待した俺は、ちょっと肩透かしを食らった気がした。窓か。それは確かに及川にとって凄い朗報だ。と言うか及川の監禁部屋にはこれまで窓がなかったんだ……。 「タケル、もっとよろこんでください!これは凄いnewsです!」 「窓のない部屋に閉じこめられて、及川苦しかっただろうな……」 窓が出来たニュースよりも、これまで及川が大好きな星さえも見れない生活を強いられていたのかと思うと胸が痛い。シリウスだってもう見えるのに……。 「そうじゃなくて、オクサマにあえますよ、タケル!」 シャリちゃんがこげ茶色の瞳を輝かせて言った。……え?会える……!? 「ほんとに!?」 俺も思わず身を乗り出した。及川に会うことは俺の念願だ。いや、一番の念願はあそこから連れ出すことだから、その為の第一歩として。 「よくきいてください───」 シャリちゃんが言うには、あの邸の手入れを任されている庭師の出入りを管理する為、表門の開閉方法だけはシャリちゃんも知らされているらしい。邸宅内部への出入りは天城がいないとできない様になっているけど、敷地内に入られれば及川と窓越しに会えると、そういう訳だ。 「それ最高!」 「そうでしょう?だからもっとヨロコベいったんです!」 「シャリちゃん、すげーよ!ありがとう!ほんっと感謝!」 シャリちゃんだって遠い祖国を離れここで出稼ぎするのにはそれなりの理由があって、家族の生活とかがかかっているんだろうと思う。雇い主の天城を出し抜いて俺を敷地内に招き入れるなんて事してバレたら即解雇は間違いないし、あの天城の事だから、ただで国に返すとも思えない。けど、シャリちゃんはそれを理解した上でも、及川を救いたいと言ってくれている。シャリちゃんがいなければ、俺は及川を救出する取っ掛かりさえ掴めなかっただろう。だから俺は本当に、言葉では言い表せない程の感謝の念をシャリちゃんに抱いている。 決行は急だけど明日だ。俺も一刻も早く及川の顔が見たいから異論はないけれど、シャリちゃんが強く明日を推してきた。及川の監禁部屋は3日に一度程度シャリちゃんが掃除をしているらしく、その間及川は、2階の部屋に移されるらしい。今日がその掃除の日だったから、明日はほぼ確実に及川はいつもの部屋にいる筈だからと。 「はやくオクサマがどうしてるかしりたいです。オクサマのヘヤのドア、ぶあつくてなんのオトもしてきません。ヒドイことされてないか、とてもしんぱいなんです……。はやくたすけてあげたいです……」 シャリちゃんの悲痛な願いは、俺も同じ。 窓には鉄格子がつけられているらしく、助け出す事は明日すぐにとはいかないかもしれない。けど───。 使命感と期待と緊張と、そして腹の奥底から沸き起こる歓喜。及川に、会いたい。

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