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不法侵入
シャリちゃんに教えられた通り、家の裏側に回って窓の中をひとつひとつ確認しながら歩く。いくら及川に会うためとは言え立派な不法侵入。庭の警報装置は庭師が入る時と同様にシャリちゃんが切ってくれているけれど、邸を囲う塀に等間隔に設置された監視カメラの接続までは流石にいじれない。バレたら冤罪なんかじゃなく普通に逮捕されて処罰されるだろうし、俺だけじゃなくシャリちゃんまで巻き込んでしまう。それでも、こうして危険な橋を渡る事に何の躊躇いもなかった。
2つの部屋を通過し、3つ目の部屋の窓を覗いた時だ。すぐそこにいた及川とバッチリ目が合った。及川はちょうど窓から外を眺めていたみたいで、あんなに遠かった及川がいきなり滅茶苦茶近くにいて、心の準備が出来てた筈の俺も相当驚いた。けど、及川はその何倍も驚いただろう。目を真ん丸に見開いて、俺を見つめたまま固まってしまった。
「及川……」
俺は窓に手を掛けて、一言その名を呼んだ。一目見ただけで分かる、及川の置かれた悲惨な境遇に、暫し言葉を失ってしまったのだ。
及川はげっそりする事もなく、顔色も悪くなかった。着ている服が短いシャツワンピースみたいなの一枚だから足は剥き出し状態だし胸元も結構肌蹴てるけど、傷跡とか大きな痣とかは目に見える範囲にはない。キスマークらしき痕は相変わらず無数に散らばってるけど、それよりも何よりも俺が目を奪われたのは、及川の首につけられた真っ赤な首輪と手首につけられた黒い手錠だ。首輪には頑丈そうな紐がついていて、それがベッドの方まで延びている。きっとその辺りに括りつけてあるのだろう。
───人を首輪で繋ぐなんて異常だ。一室に監禁されるだけでも苦しくて辛いのに、その上首輪に手錠なんて、そんなの酷すぎる……。
痛々しい及川の姿を直視できなくて視線を下げると、それとほぼ同時くらいに、俺の手に及川の手が重ねられ合わさった。分厚そうに見える窓ガラス越しだから正確には合わせられていないのだけど、柔らかな感触と温かい体温まで感じた気がして、俺は頭を上げた。鉄格子の間から縛られた両手で窓に手をつく及川は、もう驚いた顔はしていなかった。寧ろ穏やかな顔をしている及川は、俺と視線を合わせるとふわっと優しく微笑んだ。
────。
俺はまた、別の意味で言葉を失ってしまった。何てことだ……。俺が欲しいと思っていた、これまでよっしーにだけ向けられてた及川の慈悲深い微笑みを、こんな所で頂戴するなんて……。
優しく微笑む及川は、浮世離れするレベルで美しすぎて少し怖い。あんなに欲しいと思ってたのに、なぜかゾッとした。及川は俺にこんな風に微笑んだりしない。よっしーに対するよりも少しぶっきらぼうで、いつもちょっと強がってて、「バカじゃねーの」ってふんって鼻で笑うんだ。それが及川だった。それなのに───。
「及川、ちょっと離れてて!」
大声で言って、足元に落ちてた掌サイズの石を拾い上げた。及川の目がまた大きく見開かれる。俺の声は及川に届かなかったのか、及川はそこを動かない。石を投げるジェスチャーをすると、及川は慌てて首をぶんぶんと振った。口が忙しく動いている。多分、「だめ」とか「やめろ」って言ってる。
俺が冷静なら、すぐにやめただろう。と言うより、冷静だったら鉄格子があることを分かってて窓を破るなんて無駄で危険なことしなかった筈だ。けど、頭が沸騰して目先の事しか考えられなかった。今すぐ助け出さないと、及川が及川でなくなる。そんなの絶対に嫌だから──。
「やめろバカ!何やってんだよ!」
及川の声がやけにはっきり聞こえる。
「おい聞いてんのか!早くその物騒なもん下ろせよ!」
ヌッと目の前に手が伸びてきた。手錠を嵌められた手。及川の手───。
「及川っ!!」
「わ……!」
石を放り捨てて無我夢中で及川の手を掴み引っ張ると、及川が小さく悲鳴を上げた。
「いてーよバカ!!離せ!」
そこまで言われて漸く我に返った。外に出てきたのは及川の両手だけで、身体は部屋の中……鉄格子の内側だ。そんな状態で思いっきり腕を引っ張ったら、当然及川の身体は鉄格子に押し付けられて痛い筈で……。
「ごめん!!大丈夫!?」
パッと手を離して慌てて言うも後の祭りとはこの事だ。さっきの慈悲深い天使の様な眼差しは何処へやら、ギロリと睨み付けられる。
「ミンチにされるかと思った」
「ごめん!悪かった!ほんっとごめん!」
手を合わせて言うと、及川がふんっとそっぽを向いた。さっき感じた「及川が及川でなくなる」って危惧も何処へやら、及川はごくごく自然に及川だ。
「おい何笑ってんだよ」
及川が及川でいてくれた事が嬉しくてほっとして思わず笑ってしまったら、当然のような突っ込みが入った。以前と少しも変わらない掛け合い。ああ、やっぱり……。
「嬉しくて。及川と、久々にこんな風に話せて」
じんとしてちょっと感極まる。及川と二人きりでこうして話せたのは実に2ヶ月ぶりだ。ずっと心配で、ずっと会いたかった……。
及川は「相変わらず能天気だな」なんて憎まれ口を叩きながらも、その視線はもう少しも怒ってない。
「窓、開いたんだ」
数ターン会話して今更だけど、窓が開く仕様になっているのは意外だった。まあその為の鉄格子なのかもしれないけど、及川に手錠して首輪までつけて厳重に縛り付けてる割に、杜撰というか少々チグハグだ。及川が大声で助けを呼んだりしたらどうするつもりだったんだろう。呼べる筈がないと思っているのだろうか。そうすると、前と同じ様に暴力や恐怖でも及川を支配しているのか、それとも…………。
「俺も今知った。て言うかお前、普通窓割ろうとするか?見つかったらどうすんだよ!……そうだよ、見つかったら大変だ!どうやって来たのか知らないけど、ここにいちゃいけない!早く戻れ!」
及川は喋りながら漸く事態が見えてきたのか、どんどん口調に焦りが混じる。声は小さいけど、その眼差しはきつく真剣だ。
「見つかる心配はねーから大丈夫」
「何言ってるんだよ!この部屋の中はいつも見られてるんだから!カメラが何台もついてる。庭にだってきっと……」
及川は、部屋の中にあるというカメラになるべく俺が写らない様にしたいのだろう。後ろをチラチラ確認しながら少し横にずれた。
「おー。庭にもあったぜ、カメラ。それに、警報装置もついてるらしいけど、それはシャリちゃんに切って貰ってるから大丈夫」
「シャリちゃん……?もしかしてシャーリーン……!」
「そ、シャーリーンちゃん」
「チャーリーといつ知り合ったんだよ!いや、そんな事よりチャーリーを巻き込むなよ!見つかったらお前だけじゃない、あの子だって大変な事になるじゃないか!」
「だから大丈夫だって。天城は今外来患者の診察中。本ちゃんに病院で見張ってて貰ってるから間違いねーよ。どうやら天城の診察大繁盛らしくて、カメラチェックしてる暇は暫くなさそうだってさ」
「そうなのか……?けど、映像は多分全部録画されてる。それ見られたら終わりじゃねーか!」
「確かにそれは100%大丈夫とは言えねーけど、でもあいつに見る暇あるか?シャリちゃんによるとあいつ帰ってきてからキッチンに立つ以外はこの部屋に籠りっきりなんだろ?そこで録画見たりしてる?してなきゃ、見てないってこと。けどまあ、窓ガラス割っちゃったら間違いなく録画確認されただろうな。ヤバかった。止めてくれてありがとな、及川。それに───」
いや、本当ヤバかった。バレたら間違いなくシャリちゃんに迷惑をかける事態になってたし、もう二度とここへは来れなくなってしまっただろう。頭に血が上ってたとは言え、俺はとんでもない事をやらかそうとしてた。けど、本当に我を忘れる程の焦燥だったのだ。
「それに、及川がちゃんと及川でほんとよかった!」
及川は突然置かれた今の状況に対応しきれていないというか、戸惑いやら驚きやらでまだ混乱しているみたいに見える。
「俺がちゃんと俺って何だよ?」
それを証拠に、及川は訝しげな顔をしつつも雑談とも言える会話でも続けてくれている。きっと冷静な及川相手だったら、危ない!帰れ!の一点張りだったろう。
「だって及川、すっげー優しい顔して笑うからさぁ」
「なんだよ、俺が優しく笑っちゃ悪いのか」
及川がむすっとして言う。うん、こういうちょっと子供っぽい及川が、俺はやっぱ好きだな。
「悪りーよ。あんまり綺麗過ぎてドキドキさせられたせいでガラス割っちゃうとこだったんだから」
焦燥の本当の理由は違うけど、また及川に「バカ」と言って欲しくてそう言った。けど、及川はバカな事言ってる俺には突っ込まず、代わりに不思議な事を呟いた。
「タイワンツバキかと思ったから……」
「え?台湾……なに?」
「……何でもない」
よく分からないけど、なぜかばつが悪そうに口を尖らせてそっぽを向いた及川が可愛らしいからよしとしよう。
あんな異常者に閉じ込められて、首輪つけられて、手錠つけられて、そんな薄いシャツ一枚っていう明らかにエロ目的な格好させられて、それでも及川は以前と変わらず健気なままで──何て尊いんだろうと心から思う。及川の過去を知った今、尚そう思う。ずっと辛くて苦しい事ばかりだった及川が、その人生を諦めずに今まで真っ当に生きてきた事。今この瞬間もこうして健気にここに存在している事事態が本当に尊くて、満点の星空の中一際明るいシリウスよりも強く眩く輝いている。
及川、お前は偉いよ。本当に偉い。よく頑張ってきた。よく頑張ってる。生まれてからたった18年の間に、普通の人の一生分の何倍も苦労して、何倍も悲しい思いして、何倍も泣かされて、何倍も辛い人生だったろう。もう、苦労はいいよな。悲しい思いも、辛い思いも、もう沢山だよな。我慢強い及川でも、限界はあるよな。俺はお前に、これ以上辛い思いも悲しい思いもさせたくない。だから絶対に───。
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