タイワンツバキが見せてくれた幻影だと思っていた。 けどその幻影はいきなり何事か喚いて、石を投げつけてこようとした。前に宗ちゃんから聞いた。この窓は防弾ガラスだって。弾丸でも割れない窓が石ころを投げたくらいで割れる筈はなかったけど、もしかしたら万が一だってある。それに、大声で叫んだり、窓に石を当てて大きな音を出すのもやめさせたかった。目の前にいる土佐が幻影じゃなく本物なら、宗ちゃんに見つかる訳にはいかないのだ、絶対に。 「絶対に助け出してやるからな！」 そう力強く言う土佐は、間違いなく幻覚でも何でもない。 「酷いこと、されてるよな……。大丈夫か？いや、大丈夫じゃねーよな。悪い。本当にごめんな。俺、お前の事守るって決めたのに守れなくて、また辛い思いさせて、本当に……」 土佐はついさっきの力強さはどこへやら、言いながらどんどん項垂れていった。どうやら責任を感じている様だけど、そんなの背負う必要は全くない。俺が「天城」にまた捕まったのは、土佐のせいじゃない。例え世界最強の屈強なボディガードに守られていたとしたって、結果は同じだっただろう。ここが法治国家である以上、警察権力を操れる「天城」に敵う奴なんていない。 「俺の方こそ、お前を巻き込んで悪かった。薬の嫌疑はすぐに晴れたみたいでよかったけど、嫌な思いさせてごめん」 「そんな他人行儀な事言うなって。嫌な思いなんかしてねーし。もししたとしたって、及川の為なら俺、前科がつこうが処罰されようが気にしねーよ。懲役は、及川助けられなくなるから勘弁だけどさ」 しししと歯を出して笑う土佐は一見能天気だけど、その目は真剣だ。だんだん分かってきた。土佐は、何も考えてない様に見せてその実色んな事を考えながら喋ってるんだって。相手の気持ちを汲み取って、どんな風に伝えるのが一番いいのか常に考えてる。今だって、俺を和ませる為にわざと笑って見せてるんだろう。そんな土佐の人生を、俺なんかの為に台無しにしていい筈がない。 「……お前さ、この間分かったって言っただろ。俺の気持ちは分かったって。もう俺に関わらないって決めたんじゃなかったのか？なのに何で来たんだよ。何でまだ助けるとか言ってんだよ」 「俺のあれは、そういう意味じゃねーよ！あいつの手前、お前の嘘に納得したみたいな言い方になっちまったけど、俺はお前の事ちゃんと理解してるつもりだし、そんな簡単に諦めたりしない！」 土佐がここに来た時点で、聞くまでもなくそうなんだろうとは思ってた。土佐に嘘は通用しなかったのだ。 「お前さ、俺の事守ろうとしてくれてたんだよな。一生懸命命じられた事喋って、俺に殴られたかもしれないのにあいつの事庇ったりしてさ……。そんな及川置いて帰るのは本当にきつかった。けど、あれ以上お前を悩ませ苦しめないためにはそうするしかないって思って……」 土佐は必死に分かって欲しいと訴える。危険を犯してまでこうしてここに来てくれたのだ。それだけで土佐の気持ちは充分過ぎる程伝わってる。「分かってるよ」って抱き締めたくなる程いじらしく、真っ直ぐな想いは───。 「土佐、頼みがある」 下がり気味の土佐の目を、正面から見据える。冗談を言うんでも雑談をするんでもない雰囲気を、土佐も感じ取ってくれたのだろう。真剣な顔して俺を見返した。 「俺の事は、今日限りで忘れろ」 「え……」 「俺も忘れる。お前の事も、由信の事も、高校3年間の事は全部忘れる」 「おいちょっと、」 「俺の事はもう心配しなくていい。宗ちゃんは凄く優しくしてくれてる。前みたいに殴られたりはしてないから」 「何言ってんだよ！優しくなんかされてないだろ！殴られないからいいって、そんなのおかしいだろ！自分の格好よく見てみろよ！繋がれて、閉じ込められてんだぞ！」 「いいんだ。これくらい我慢できる。窓の外も見れるし、この間は庭にも出して貰えたんだ。ご飯だって腹一杯食べさせて貰えるし、昨日はアイスを買ってきてくれた。大事にされてるんだ、俺」 「及川……」 「俺はここで生きて行く。もう、お前と同じ時間を過ごす事はできないんだ。だから、忘れて欲しい。もう、関わらないで欲しい」 土佐は俺を見つめたまま唇を引き結んで黙り込んだ。土佐の背後に見えるタイワンツバキに心の中で問いかける。これでいいんだよな。俺のためにも、土佐のためにも───。 「あいつの事、好きなのか？」 感情の読めない声だった。土佐に視線を戻すと、また青い炎が見えた。一目見て分かるくらい、土佐は怒っていた。 「…………」 俺は、どう答えればいいのかすぐに判断がつかなかった。「好きだ」と嘘をつくのは簡単だけど、土佐にはそんな嘘はすぐ見透かされる気がして───。 「わりーけどお前の頼みは聞けねーよ。俺、決めたんだ。お前を幸せにするって。あんな儚い笑顔じゃなくて、心から楽しい、幸せだって笑って貰える様に」 土佐がニッと笑いかけた。さっきまで怒ってたのに、今度は凄く優しい顔して。唐突に、泣きたくなった。大きな声でわんわん泣いて、土佐に抱き締めて慰めて貰えたらいいのにって……。 「俺は、忘れる」 甘ったれた気持ちを振り払う為に宣言する。 「忘れさせねーよ」 土佐は当然の様にそう答えた。どんなに欲しくても手に入らないものは、忘れてしまった方が苦しくない。だから……。 「忘れたいんだ」 「忘れさせねーって。助け出すまで毎日でもここに来て、思い出させるよ」 「ふざけんな！もう来るなって言ってるだろ！鼻先にニンジン吊り下げられるのはまっぴらごめんなんだよ！」 しかもそのニンジンは今にも握り潰されそうになってる。俺はニンジンが手に入らなくてもいいんだ。ただ、無事でさえいてくれたら……。 「及川。今一番何が怖い？暴力振るわれてないんなら、何をそんなに怖れてる？」 土佐は優しく諭す様な調子だ。 「正直に教えてくれ。俺の事か？」 「え……」 「それともよっしーか？あいつに、脅されてるんだろ？俺かよっしーをどうにかするぞって」 俺は言葉を失った。どうして土佐には何でも分かるんだろう……。 「そうなんだな」 俺は黙ってただけなのに、それが肯定であることすらお見通しだ。土佐には隠し事もできなければ嘘もつけない。だったら全部本当の事を言えばいい。宗ちゃんが、天城がどれだけ危険な奴なのか理解できたら、もう俺に関わることをやめると言ってくれるかもしれないから───。