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抱き締めたい 3

「けどやっぱりおかしいよなぁ」 作り笑顔の効果か、土佐はさっきとは全然違う声のトーンで言った。 「何が?」 「お膳立ての割に料理がしょぼいだろ?」 「は?」 「つまりな、俺の車にクスリ仕込んで、職質受けさせたとこまでは完璧だったよな?あ、連行したとこまでか。その先がおざなりなんだよな。俺が邪魔で殺したいくらい憎んでるならなんで処罰するとこまで行かない?お前に罪を被せるシナリオだったとしたなら、また前みたく見せしめでお前の事逮捕させてもよかったのに、あそこまでお膳立てしといて警察はなんもしてねーんだぜ?なーんか中途半端なんだよなぁ……」 土佐が首を傾げて考え込む。そんなの、俺にとっては疑問ですらない。 「あれは、俺を捕らえる為の罠だったってだけだろ」 「けどさ、本当に警察組織を自由自在に扱えるなら、折角仕込んだ罠はもっと有効活用すると思うんだけどな」 土佐はまだ首を傾げている。変な奴。すぐ釈放されてラッキーだったってだけ、思ってればいいのに。───あ、そう言えば確か宗ちゃんあの時……。 「宗ちゃんはお前に罪を被せる気満々だったよ。父親が勝手に釈放させたって言って怒ってたから」 そうだ。ここに来てすぐにそう聞かされて、俺は土佐の無事を確かに知ってほっとしたんだ。「いい子にしてれば」って言う約束を、あの人はちゃんと守ってくれたんだって。 「あいつの父親って、お前の後見人の……。ふーん、成る程な……」 土佐が一人訳知り顔で頷いている。 「何一人で納得してんだよ」 「宗ちゃんよりも宗ちゃんのおとーさんの方が怖いもの知らずの宗ちゃんよりは少し常識がありそうだなぁって」 宗ちゃんの父親に常識?そんなのがあったら、普通未成年の子供相手にあんなことしない。けど、宗ちゃんが怖いもの知らずと言うのには同意だ。自分の腕をカッターナイフで突き刺した時も、俺を思いっきり殴る時も鞭打った時も、何の迷いも躊躇もなかった。 「何考えてる」 「目には目を作戦」 「はぁ?」 「なあ。及川の事、何人かに話してもいいか?仲間が欲しいんだ」 「だから、もう俺に関わるなって、」 「大丈夫、及川は何も心配しなくていい。さっきも言ったけど、俺は殺されたりしねーから安心しろ」 「安心できる訳ないだろ!頼むから何もしないでくれ……」 「何もしないで及川があいつに食い尽くされんの黙って見てろって?そりゃ無理な話だぜ。俺はお前の事、またこの手で抱き締めるって決めてんだから」 土佐がにっと笑う。笑える状況じゃないだろと思う。けど、土佐は自分を鼓舞する為に笑うのだ。歯を食い縛る代わりに、力を抜いて───。 「俺がやりたくて勝手にやるんだから、及川は何も気に病む事ないからな。必ず助ける」 土佐は自分の決意を確かめる様に言い切った。恐れも迷いもない瞳を真っ直ぐ俺に向けて。その揺るぎない決意が、俺は怖いのに。 「助ける必要なんかない」 なるだけ、感情を排して言う。 「助けるよ。あいつの事、嫌なんだろ?俺の事とか何も考えず、言ってみろよ、お前の本音」 「嘘なんかついてない。本当に、助けて欲しいなんて思ってない」 「及川。だからな、それはお前、脅されてるからだろ?俺の事とか心配なくなっても、それでもそこにいたい訳?好きじゃない男に好き放題やられたい訳?違うだろ?」 「そんな仮定の話なんてなんの意味もない」 「仮定じゃなくなるかも知れないじゃないか。あいつの言ってるのは全部はったりで、本当は俺に何も出来ない。そういう可能性だってあるだろ?」 どうしてこいつはこんなに能天気なんだ。宗ちゃんが怖くないのは分かった。そう思えて羨ましいよ。けど、危機意識は持ってくれないと困る。臆病さだって、生き残って行くためには必要なんだから。 「ない。あんまり宗ちゃんを甘く見ない方がいい」 断言すると、土佐はうーと唸って頭を抱えてしまった。 「俺は、お前の本当の気持ちが聞きたいだけなんだよ……」 俺の本当の気持ち。いつも押し殺すのが当たり前になっているその思いを打ち明ければ、お前は俺に関わる事をやめてくれるのか?そうじゃないだろ。お前は勝手にやると言いながら、俺に後押しされたいんだろ。俺が「逃げたい」とか「助けて欲しい」って言ったら、もっとやる気を漲らせて俺と宗ちゃんに関わってくるつもりなんだろ。だったら俺に言える事はひとつだけ。 「俺は今、お前が想像してるよりも悲惨な状態じゃないから。宗ちゃんは優しいし、大事にしてくれてる。前みたいに死にたいって思う程辛くもない。だからいいんだ、このままで」 「嫌って言ったじゃねーか」 「え?」 「さっき言っただろ。あいつの事嫌だって」 「あぁ、あれは……セックスがきついなって、それだけ」 「したくないのに、させられてんだろ!それだけで悲惨だろうが!拷問だよ!毎日ゴーカンされてんのと一緒なんだから!」 「……今は嫌でも、嫌じゃなくなる日が来るかもしれない」 「は?」 「宗ちゃんの事、好きになるかもしれないだろ?そうしたら、セックスも苦痛でなくなる」 土佐の表情が固まった。 「可能性、あんのか?」 少し黙った後にそう聞いてきた土佐の声は酷く静かで抑揚がなかった。 「分からない」 「……分からないって何だよ。今までも、今もひでーことされて、それで何で『ない』って断言出来ねーの!」 土佐は分かりやすく激昂した。俺が「死のうとした」って打ち明けた時とはまた違う怒り方だと思った。あの時よりも乱暴で、苛立ちが強いと。 「何とか言えよ!」 「分かんないよ、俺だって」 そんな事言われても分からない。宗ちゃんは俺に酷いことをした。冤罪を被せた事もそうだったし、その後暴力で俺を従えた事も、今こうしてここに監禁している事も、酷い事だ。ちゃんと分かってる。現に俺は殴られてた時の事が忘れられなくて、宗ちゃんの事がともかく怖い。どんなに優しくされてもただただ怖くて、今はとても好きだの嫌いだの言える境地ではない。けど、何年も時が過ぎて、その時もずっと宗ちゃんが優しくて今みたいに大事にしてくれてたら、怖い気持ちが薄らぐかもしれない。その後に俺が宗ちゃんに対してどんな感情を抱くかなんて、そんなの誰にも……俺にも分からない。開いてしまった溝が深すぎて何年も経っても埋められないかもしれない。もしくは、宗ちゃんの言う様に一生ここに監禁されるとしたら、俺には宗ちゃんしかいない訳で、その唯一の相手を嫌うよりも好きになった方が幸せな筈。そんな打算で宗ちゃんを愛する様になるかもしれないし、頭で何も考えずに宗ちゃんに惹かれるなんて事も、絶対にないとは言い切れないんだから───。 ダンッと空気が割れたのかと思うくらい大きな音がして息を飲んだ。 「おま……何やって……」 土佐の拳が窓ガラスを叩いたのだ。流石に防弾ガラスなだけあって割れはしなかったけど、普通のガラスなら確実に割れていただろう。それくらい凄い音と衝撃だった。 土佐はガラスに拳を叩きつけた形のまま項垂れる様に俯いて黙っている。とてもさっきみたいに「バカ」と叱れる雰囲気ではない。ピリついた空気が針の様に肌に刺さってきて居心地が悪い。土佐といるのに、宗ちゃんといる時みたいに緊張する。 「かてーな、この窓」 ゆっくりと顔を上げた土佐は、口元を引き上げて笑っていた。 「防弾ガラス、だから」 「そーか。助かったわ」 無理して笑ってた土佐の顔が自然な笑みに変わるのは早かった。 「けど、絶対に割れない訳じゃないと思うから、もう……」 「分かってるって。ハラハラさせて悪かった」 ハラハラ、なんて軽いもんじゃなかったぞ。宗ちゃん顔負けの迫力と怖さだったんだから、お前。 心の中だけで呟く。表情も雰囲気も、もうすっかりいつも通りの土佐だけど、軽口を叩く気にはなれなかった。 「シリウスを見ようぜ」 土佐が唐突に言った。首を傾げていると、土佐がクスッと笑った。 「しっかりしろよ。及川が教えてくれたんだぞ。シリウス、もう夜になったら見えるからさ」 土佐が空を指差す。この前一緒に星を見上げた時は、シリウスもベガもアルタイルも知らなかった癖に、調べたのだろうか。 「俺、及川も見てるかなって思いながら、毎晩夜更かしして見上げてたんだぜ。まさかお前が窓のない部屋にいたなんて知らなくて。けど、これからは見れるよな?俺はお前の事思いながら見上げるよ。お前は、俺の事でもいいし、よっしーの事でも漫画の事でもゲームの事でも何でも。何でもいいから、ともかくあいつ以外の事思ってくれよ。俺の事、俺たちの事、俺たちと過ごした時間を、絶対に忘れるな」 忘れたいと言ったのに。忘れろと言ったのに、その真逆の事をあっけらかんと言ってのける土佐は本当に勝手な奴だ。 「じゃあシリウスが見れない季節になったら、忘れる」 「何言ってんだ、その頃にはもうお前は俺の隣にいるから大丈夫」 土佐がニカッと笑う。感情を揺さぶれたと思ったのに、もうこの調子。掴み所が無さすぎて、こっちの方が気持ちの整理が追い付かない。頭の中もごちゃごちゃだ。 土佐の決意を揺るがせられる言葉が見つからない。ここで諦めさせなきゃ、何れ大変な事になる。それが分かりきっているのに。自分の無力さが虚しい。悔しい。俺には、数少ない大切な人を守ることすら出来ないのか……。

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