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噂 2

「岬、実にいいタイミングだったよ」 本当にいいタイミングだったから、遠隔でも開けられる玄関のドアをわざわざ自ずから開けに行った。岬はいつもと違う出迎えられ方に少し驚いた様だったけど、すぐに嬉しそうに笑った。 「なんのこと?タイミングって」 「こっちの話だよ。それより、」 最近よく買うピンク色の紙袋が岬の左手にぶら下がっているのが目に入った。 「買ってきてくれたんだ」 「リクエスト通り買って来たよ。宗佑が甘いもの欲しがるなんてめずらしーね」 「ありがとう」 岬から受け取った紙袋はずっしりと重いし、やけに角張っている。 「愛由くんはお休み中か」 慣れた様子でキッチンカウンターのスツールに腰掛けた岬が、リビングのテレビをチラッと振り返って言った。 俺は紙袋の中身を確認して、どおりで重くてでかい訳だと納得していたところだ。 「これ、ケーキか?」 「そ、アイスケーキ。その方が映えるでしょ?」 自分で愛由に土産を買うときは、普通のポーションアイスしか選んだ事はなかった。愛由のお気に入りのフレーバーに、季節限定のものを混ぜたりして飽きない様に工夫はしてたけど……そうか。あの店にはこんなものも売っていたのか。 「愛由が喜びそうだ」 「………ねえ、もしかしてあの子に食べさせる為だったの?」 「そうだけど?」 岬にお土産買って行こうかと言われたから、アイスクリームが欲しいと言った。それは当然、俺が食べたいからではなく、愛由に食べさせてやりたいからだ。だから当然のように肯定の返事をしたら、岬が大きなため息をついた。 「宗佑ってほんっと無神経だよね」 「何怒ってる?」 「怒りたくもなるよ。私の気持ち知ってる癖に……」 『私の気持ち』というのは、岬が俺を好きだという事だ。当然それは知っている。年の離れた幼馴染みだった岬は、物心ついた頃からずっと「宗佑兄ちゃんと結婚する」と言っていたから。 「それを言うなら岬だって俺の気持ちを知ってるだろ?俺がずっと愛由だけを好きだって」 「だから余計に腹が立つの!宗佑が男を好きなら、私わざわざ女になんかならなかったのに……」 「岬、何度も言ってるだろ?俺は男が好きなんじゃないよ、愛由が好きなんだ」 「どっちだって同じよ!」 岬が甲高い声で怒鳴る。まあ、岬が拗ねるのも無理はないとは思う。岬は元々男だった。男だった時から女っぽい所があったから、所謂心は女ってタイプだったのかもしれないけど、岬いわく、俺に振り向いて貰う為に性転換手術を受けたらしい。そんな事を言われても俺に責任を取る義務もなければつもりもないけれど、切り捨ててしまえる程どうでもいい存在ではない。幼い頃から弟の様に思ってきた相手だし……何より俺の言うことを何でも聞いてくれる。 「『愛由が喜びそうだ』って、何よ。デレデレしちゃって。優しくしたら舐められるんでしょ?付け上がるんじゃないの、あの子?ちゃんと躾けないと、また逃げられるよ?」 「俺がそんなヘマすると思う?」 「何度も逃げられてる癖によく言うわ」 「今度は大丈夫。あの部屋からは出られない様になってるし、首輪も手錠もつけてる。それに、次逃げたら土佐を殺すって言ってあるから、もう愛由は絶対に逃げないよ」 「なに?殺す?そんな事信じちゃってるの、あの子?」 「ああ。だって本気だから」 「……ちょっと、やめてそのマジな目」 「愛由には逃げたらって言ってあるけど、もう既にトラップは仕掛けてあるんだ。あいつは目障りだからね」 「……ねえ、ちょっと宗佑?」 「いつになったら消えてくれるんだろう。変な噂撒き散らされてお父様は弱腰になるし、本当迷惑してるんだ。早く死んでくれないかな」 「……冗談よね?」 「冗談?なぜ?」 「本気で言ってるの……?」 「岬もお父様も、何をそんなにビビってるんだ?あんな虫けら一匹潰した所で世界は何も変わらないじゃないか。まあほんの少し可哀想だけど、俺と愛由の邪魔をした罰だ」 「宗佑……」 岬がぽつりと呟いた直後、テレビ画面に動きがあった。大画面のテレビに映っているのは、あの部屋の監視カメラ映像だ。ベッドに横たわって眠っていた愛由が、むくりとその身を起こしている。 「愛由が目を覚ましたみたいだ。謝礼はそこに置いてある。これで最後だよ」 「最後……?」 テーブルの上の封筒を見ていた岬の視線が上がる。 「もうスパイは必要ないんだ。愛由は手に入ったからね。今までありがとう。少し、いつもより上乗せしてある。次のメンテナンス代の足しにでもしてくれ」 愛由はきょろきょろと辺りを見回した後、ずるずると這ってベッドの端まで移動してから膝を抱えて座った。 「私も、もう必要ないの……?」 「そうだな、今のところ頼みたいことはないよ」 愛由の視線の先はいつもの様に窓の向こうだ。肌蹴たシーツの隙間から見える剥き出しの背中が白くて滑らかで、うっすらと浮き出た肩甲骨や背骨の窪みが艶かしい。 吸い寄せられる。早くあの肌に触れたい。身を埋めたい。愛由を感じたい……。 「宗佑、」 「もう用は済んだだろ?」 「え……」 「金、持って行って」 「待って宗佑、話を、」 「悪いけど帰ってくれる?愛由の所に戻るから」 「ねえ宗佑、少し頭を冷やした方がいいって!愛由のこと、噂になってるの知ってるでしょ?ヤバい事になる前に、」 「岬、何度も言わせるな」 「私、心配なの!宗佑の事が心配なのよ!」 いくら岬でも、俺と愛由の邪魔をすることは許さない。 岬が一向に手をつけようとしないテーブルの上の封筒を手に取ると、押し付ける様に岬に差し出した。 「帰れ」 そう一言告げて。

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