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来客 1

『変な噂流されて困ってるんじゃないですか?あゆ君に会わせてくれたら、俺が先生の力になります。土佐を黙らせてみせますから』 「……由信くん、何言ってるの?土佐くんは君の友達だろう?それに、どうして今更愛由に会いたいの?君の彼女に手を出した愛由の事、恨んでるんじゃないの?」 『そのことはもういいんです。あゆ君、謝ってくれたんですよね?そう、父から聞いてます。だから、もう……。それに、みさちゃんとはもう別れたんです。みさちゃん、土佐の事が好きになったって……。土佐の事は、本当は前から気に食わなかったんです。俺の大事な人をみんな奪っていくから。あゆ君の事も……。天城先生、俺、今普通に話してる様に聞こえますか?けど本当はかなり参ってるんです。もう俺にはあゆ君だけなんです。あゆ君しかいないんです。あゆ君、クスリはまだ抜けないんですか?話せない状態ですか?……それでもいいんです。ただ一目顔を見るだけでも……』 ─────。 仕掛けたトラップは一向に作動せず、憎いあの男は今日ものうのうと生きている。 あいつがばら蒔いた噂のせいでお父様が毎日文句を言いにやってくる。電話を無視すればこの家にまで押し掛けてくるし、それを無視していたら今度は病院にまでやって来る始末だ。苦言の中身は毎回同じで、要約すれば愛由を手放せというものだ。当然、俺は漸く手に入れた愛由を手放すつもりなんて微塵もないから話は平行線。「天城家」の事を一番に考えているお父様の怒りは相当のものだが、曲がりなりにも「天城家」の一員である俺を見捨てる事も切り捨てる事も出来ない筈だ。何があってもあの人は俺を守るしかないのだ。 土佐はこんな事で俺から愛由を奪えると思っているのだろうか。俺が人目を気にする小者とでも?全く見くびられたものだ。だがそれによってお父様には煩わされているし、終息させられるものならそうしたい。俺は平穏に静かに、誰にも邪魔されずに愛由と愛を育みたいだけなのだ。 新たに何か手を打つしかないのか……。そう思っていた時だった、由信から電話が入ったのは。俺にはそれが僥倖に思えた。土佐を黙らせるなんて事が由信に出来るのかは甚だ疑問だからそこに期待はしていないけれど、由信を上手く操れば役立たずのトラップ以上のいい働きが期待できるかもしれない……。 それにしても岬は流石だ。俺が指示した訳でもないのに、土佐にヘイトが集まるいい別れの口実を考えついたものだ。由信を使う作戦が上手くいったら、功労者の岬にも褒美を与えてやろう。また抱いてやってもいい。 だが、いくら由信を操る為とは言え、愛由と会わせるかどうかはかなり悩んだ。由信の顔を見れば、この生活に大分慣れてきた愛由の心は間違いなく揺れ動くからだ。 愛由の世界には俺以外いらない。話す相手も想う相手も見る相手も俺だけ。あの部屋に閉じ込めてからずっとそういう風にしてきたのに、ここで由信に会わせればまた振り出しに戻ってしまう。俺しか知らない愛由を汚される。そんな気すらして拒絶反応が出た。 けど、それでも俺は悩んだ末にイエスと答えた。なぜなら、上手く行った場合のシナリオが余りに秀逸だったからだ。土佐が由信によって消されて、由信も刑務所へ。そうなれば真に愛由の世界は俺だけになる。それなら例え振り出しに戻ろうといくらでも取り返しはつく。時間はこの先無限にあるのだから…………。 * 「最近、元気がないんだ……」 まだ呼吸も整っていない内に愛由の視線はもう窓の向こうに奪われた。ついさっきまで涙目で俺だけを見ていた瞳は、窓の外の目玉焼きの花を心配そうに見つめている。 この花のどこに愛由はこんなに惹かれているのだろう。両脇に新たに植えた黒薔薇の方が遥かに美しく咲いているのに、そちらには目もくれない。折角愛由の為に植えたのに。 「そう?ああ、少し花びらが萎れてるかもね」 「庭師の人に見て貰ったらよくなるかな……?」 「どうだろう。次の手入れの時に見るように言っておくよ」 「ほんと?ありがとう」 愛由は横たえていた身を半分起こして俺を見ると目を輝かせた。そうだ。愛由はそうやって俺だけを見ていればいいんだよ。俺だけを見て、俺だけを感じられる事をまたしてやろうか。 些か乱暴に顎を持ち上げると、愛由はそのままじっと俺を見上げた。怯えも怒りも何も含まない琥珀色の瞳は、何を考えているのか読めない。見つめていると吸い込まれそうになるから、首元に視線を落とす。 上を向いていると、首を一周する赤い痣がよく見える。首輪を外した愛由を見るのは久し振りだったけれど、まるでまだ巻いているみたいに痕が残っている。その艶かしさに惹かれてキスをしている内に歯止めが効かなくなり、結局最後まで致してしまったのがついさっきのこと。まだ抱き足りないし、すぐに余所見をする愛由にもっともっと俺を刻み付けたいけど、いかんせん今は時間がない。 「シャワーに行こう」 「シャワー?」 いつもならキスを落としていたシチュエーションで手を引くと、愛由が小首を傾げた。その仕草と「?」な表情が可愛くて知らず頬が緩む。 けど、愛由が驚くのも無理はない。俺が抱くのを我慢したのもそうだけど、普段からセックスの度にシャワーを浴びさせる事はなかったし、さっき一緒に薔薇風呂にも入ったばかりだ。 「これから来客があるから。えっちな匂いぷんぷんさせてる訳にいかないだろ?」 先程の情事で乱れた髪を整える様に撫で付けてやりながら言うと、愛由は恥ずかしそうに頬を染めて、それから何かに気付いた様に俺の目をまじまじと見つめてきた。 「俺も会うの……?」 愛由の心当たりは、理由も知らされずに急に外された首輪にもあった様だ。片手を首に添えて不安そうにしている。 「そうだよ。愛由に会いたいらしいからね」 愛由の大きな瞳が揺れた。 「そんな顔してどうしたの?まるでお仕置きされる前みたい。愛由は何か悪いことしたのかな?」 来客について悪い想像をしているのは間違いないだろう。ただの冗談なのに、不安を通り越して最早怯えきっている愛由の反応は久し振りに見るものだった。少し、自分の中のサディスティックな部分が刺激される。多分今の俺はいつもよりも冷酷に笑ってる。 「な、にも……」 愛由は目を見開いたままたどたどしく言って、大きく首を横に振った。 「本当に?」 「どうして……」 何でそんな事言うの?見開かれた愛由の瞳はそう訴えている様にも見える。 「お父様がここに来ると思ってる?」 愛由は何も言わない。それどころか「お父様」と言った途端、呼吸すら止めてしまったかの様に微動だにしなくなった。ちょっとやり過ぎたか? 「違うよ」 俺のあっけないネタバラシが聞こえていないのか、愛由はまだ固まったままだ。 「違うって。来るのはお父様じゃない」 「ちが、う……?」 2回目の訂正で漸く反応した愛由だったけど、急に日本語が分からなくなったみたいに震える唇で片言に俺の言葉をオウム返しした。 「そう。違う。愛由はこんなにいい子なんだから、お仕置きなんて必要ないでしょ?」 愛由はまた数秒固まった後、自分の身体を抱くように腕を肩に回した。その身体は小刻みに震えている。 「そんなに怯えないでよ。ちょっとした冗談のつもりだったんだから」 愛由が小さく首を振る。胸に手を当てて、多分落ち着こうと深呼吸を試みているけど、上手く行かずに過呼吸みたいになっていく。 「愛由、落ち着いて。お父様は来ない。来るのは由信だよ。よしのぶ。分かるだろ?愛由も会いたいでしょ?ね?いい子にしてたご褒美だよ。お仕置きじゃない、ご褒美なんだからね」 愛由の身体を抱き締めてゆっくりと言って聞かせる。理解できたのか愛由は相槌を打つように何度か頷いていたけど、震えはなかなか止まない。 ───愛由はお父様の事をこんなに恐れていたんだ。お父様から受けた仕打ちを思い返せば確かに恐れて当然だ。……岬の言う通り、俺は無神経だった。これは冗談で言っていい内容ではなかった。 「ごめんね愛由。怖い思いさせたね……。大丈夫。今後何があっても、愛由をお父様に引き渡したりしないから。愛由の事は俺が守るから」 可哀想な程に怯える愛由をどうにか宥めたくて、愛由を捕らえている見えない鎖を1本壊す様な事まで口走ってしまう。けどこれは本心だ。初めから、自分以外の他人に愛由のお仕置きをさせるのは嫌だった。お父様にも誰にも、愛由を好きにさせたくない。まして、こんなにも愛由が怯えて嫌がっている相手に渡す気など更々ないと言うもの。 愛由は黙って震えながら、まるで離れたくないとでも言う様に俺の服の裾を力任せにぎゅうっと握りしめていた。以前なら皺になるだろうと叱ったであろう子供みたいな縋り付き方が可愛くて愛おしくて、男にしては大分華奢で折れそうな身体を掻き抱いた。

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