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白い部屋 1

奥さまが刺された シャリちゃんに電話を貰った時は血の気が引いた。もしかして、俺が天城を追い詰め過ぎたせいで無理心中でも図られたのか……と最悪な妄想が頭を過った時、予想外の事が告げられた。 これ以上慌てた事なんてないってぐらい慌てていたけれど、それでも冷静になれと努めて言い聞かせて、シャリちゃんから恐らく運ばれたのはそこだろうと聞かされた、天城の父親が経営する病院へと駆け付けた。家族だって嘘をついて看護師に案内された待合室では、血だらけのよっしーがひとり頭を抱えていた。 「よっしー!お前なんて事……!!」 言い聞かせてはいたものの冷静でなんていられる筈もなく、気付いたら俺はよっしーの胸ぐらを掴んでいた。 「土佐……。ごめん、ごめんなさい……。俺、こんな筈じゃなかったのに……」 よっしーは歯を食い縛ってガタガタ震えていた。泣き虫のよっしーなのに泣くこともせず、生気のない虚ろな表情を浮かべていた。 俺はよっしーから手を離した。許した訳じゃない。今手術中という及川にもしもの事があったら絶対に、永遠に許さない。よっしーのこの様子からも故意でやったって線はなさそうだけど、故意だろうと過失だろうと、及川を危機的状況に追いやった罪は重い。 「及川、助かるか?」 そんな事、医者でもないよっしーに分かる筈もない。けど、俺が分かってるのは及川がよっしーに刺されて意識不明になったって事だけだから、ともかく知りたかったのだ。出血量がどうだったのかとか、及川の顔色がどうだったのかとか、刺されたのはどの辺なのかとか、そういう助かる可能性がどの程度あるのかって判断材料が何でもいいから欲しかった。 「胸の、この辺りを……」 よっしーは震えながらも感情を無くしたみたいに淡々として、左胸の辺りを示した。 「嘘だろ……」 だってそこ、心臓……。全身から力が抜けそうになった時、よっしーが言った。 「心臓は外れてるだろうって、天城先生が……」 「ほんとか!」 暗闇に光が射したみたいだった。天城の言葉が有り難かった事なんてただの一度もなかったけど、今は別だ。あいつは曲がりなりにも医者だ。今は精神科の医者をやっているけど、学生時代からかなり優秀で外科医を目指していた時期もあるというのは、あいつを嗅ぎ回ってすぐに得られた情報のひとつだった。 「……血が……凄く出てた……。天城先生がすぐに傷口押さえて……ともかく止血しなきゃって言ってた……。車で連れてくる間は、俺がそれ、任されて……ともかく強く圧迫しろって言われて……それでもなかなか止まらなかったけど…………けど、救急の先生が言ってた。初期対応がよかった、って。それって、助かるって事かな……?ねえ土佐、どう思う?あゆ君大丈夫だよね?死んだりしないよね?ねえ土佐!」 虚ろだったよっしーは話してる内に興奮状態となった。俺に詰め寄り、助かるって言ってくれと訴える。気持ちは、痛いほど分かる。俺も、誰かに言われたい。「大丈夫ですよ、助かりますよ」って。その誰かが天城だっていい。寧ろ素人のよっしーと馴れ合う「大丈夫」より、医師である天城のそれの方が100倍欲しい。 「今及川頑張ってんだから、祈るしかねえだろ……」 手術室には腕利きと評判の天城の父親と、その補佐に天城自身も入っていると聞いた。悔しいけれど、今は俺には何も出来ない。二人の腕と及川の生命力を信じるしかないのだ。 ───あの天城が及川を死なせる筈ない。だから、大丈夫。大丈夫だよな、及川…………。 「俺、捕まるよね……」 カチカチカチ。 俺もよっしーも黙りこくっていたから、時計が秒針を刻む音だけがやけに白い室内に響いていた。そんな中、よっしーがぽつりとそう漏らした。 「……天城をやろうとしたのか?」 俺はよっしーの問いかけには敢えて答えずに聞いた。だって、人を刺したのだ。普通に考えて言うまでもなく傷害とかで逮捕されるだろうから。冤罪すら作り出すあの天城が、よっしーのこの罪を見逃す筈ないだろうし。そもそも俺は、もう既によっしーは警察署に連れて行かれてるものだとばかり思っていた。だからここに来てよっしーがいたことに少し驚いたのだけど。 「うん……。けど、あゆ君が庇って……」 想像通りだった。及川は庇ったのだ。天城ではなく、よっしーを。俺が天城に殴りかかろうとしたあの時同様に。 「なんで止められなかったんだよ……」 本当にこの一言に尽きる。なんで───。 言いたい事が沢山、沢山湧いてくる。 俺だってスレスレで及川殴る所だった。だから今回もかなりシビアなタイミングで及川が出てきたんだろうなとは思う。けどさ、間に合わなくて切っ先が当たっちゃったとしても、それでも及川だって分かった時点で勢い殺すくらいは出来たんじゃねーの?いくら鈍いよっしーでもそれぐらい出来ただろ。一刺しで意識不明になるくらい出血させるって、それかなり深く刺したからだよな?心臓いってなくても、深いとこにある動脈とか切ってんだろ。なに全力で刺してんの?いくらなんでも鈍すぎだろ。本当ふざけんなよ。まじでふざけんな。 ──流石に、かなり精神的にきているであろうよっしーにここまで言えない。けど、初めの「なんで……」の一言だけでも、俺がよっしーを責めている気持ちは充分過ぎる程に伝わってしまった様で、よっしーは眉根を寄せて黙ってた。 「…………覚悟は出来てたつもりだった」 眉根を寄せて暫く黙ってたよっしーが、その言葉同様、覚悟を決めた様に口を開いた。 「もう俺には失うものなんて何もないから。だから、どんな手を使ってもあゆ君を救うんだって。……けど、いざナイフを取り出したら怖くなってしまって……。とても……、とても、……を見ていられなかった。だから、……目を瞑って、思いっきり…………」 よっしーが声を震わせ言葉を詰まらせた。その先は、わざわざ聞かなくても分かる。よっしーは気付かなかったのだ。「相手」が天城から及川に代わっていたことに。 「殺すつもりだった?」 当然、天城を。 「…………死んでもいいと思った。それであゆ君が救えるなら。いや……」 ──俺は目を瞠った。よっしーに殺意があった事に驚いたんじゃない。「いや、」と否定の言葉を口にしたよっしーが、場違いに笑ったからだ。 「ごめん違う、それだけじゃない。俺とみさちゃんを弄んだ罰を受けさせたかったんだ。結局、俺は自分の復讐をしたかっただけなのかもしれない……」 自嘲しそう続けたよっしーの横顔には、これまで見たことのない翳りがあってゾッとした。そして─── ───俺はこいつには敵わないかもしれない。 そんな声が頭を過った。

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