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白い部屋 2
「手術は無事終わりました」
1時間以上して、天城の面影のある中年の医師が部屋にやってきた。待ち侘びてた言葉と共に。
「及川は大丈夫なんですね!」
天城の父親とおぼしき医師は、俺を向いてゆっくりと頷いた。
振り返ると、よっしーは泣いていた。よかったと呟きながら。
「及川由信くん」
空気を凍らす様な声でよっしーを呼んだのは、医師と一緒に部屋にやってきたスーツ姿の男の内のひとりだった。
「愛由くんの怪我の事で事情を聞きたいんだ。一緒に来て貰える?」
質問口調だけど、その響きは命令。
「はい……」
覚悟はしていたであろうよっしーは、返事こそ消え入る様だったけど、確かな足取りで刑事らしき男の元へと歩を進めた。
「土佐」
部屋を出る寸前、立ち止まったよっしーが俺を振り返った。俺は、よっしーにかける言葉が見つからなくて、ただよっしーの青白い顔を見ることしか出来なかった。
「命を狙われてる。気を付けて」
血の気の引いた顔色にそぐわない、強い口調だった。誰に?とか何で?なんて事は聞かなくても分かった。及川にも、そう注意されていたから。及川の言うことを真に受けていなかった訳ではないけど、あいつ──天城が及川を脅すためにハッタリかましてるだけかもって気持ちも実は半分くらいはあった。けど、よっしーからも同じ事を言われては流石に背筋が冷えた。あのサイコ野郎、本気か。
看護師さんに案内された病室で、目を瞑り横たわる及川を見て、全身からへなへなと力が抜ける様な感覚になった。立っていられなくなって、ベッド横にあった簡素なパイプ椅子に腰掛ける。
──生きてる。ちゃんと息してる。首から下には点滴やら謎の管やらがついてるけど、首から上はただ眠ってるだけみたいに綺麗なままだ。
「及川ぁ……よかった……よかった……」
及川の両手を取ってぎゅっと握る。ちゃんと体温がある。温かくて愛しい。ありがとう。ありがとうございます。何だか全てのものに感謝したい気分だ。本当によかった…………。
*
「失礼するよ」
微かなノックの後に静かにドアが開いて姿を見せたのは、天城の父親だ。
ベッドサイドまでやってきた天城医師の視線が、ちらっと俺の手元に移動した。
───ああそうか。
俺は及川の手を握っている。男同士でそうやっているのは、奇妙な光景なのだろう。けど、及川は女の子より綺麗だからな。驚きはしても見る人に嫌悪感は与えない筈だ。何にせよ、俺は及川に抱いている特別な想いを隠すつもりはなかったから、天城医師の視線にも変わらず及川の手を握り続けた。
一度朦朧と目覚めた及川が「行かないで」と泣いた。俺はここにいる。どこにも行かない。大丈夫だから。この手の温もりでそれを伝えたいのだ。例え夢でも、及川に悲しい思いをさせたくないから。
「愛由くんは変わりない?」
「さっきちょっと目を覚ましたんですけど、またすぐに眠っちゃいました。魘されてたんですけど、痛いとか苦しいとかはないんでしょうか?」
「痛み止めも点滴に入ってるし、大丈夫だと思うよ。まだ完全に麻酔から覚めるには早いから、意識がはっきりしてなかったかもね。しっかり覚醒して、その時痛みの訴えがある様だったら鎮痛剤を追加しよう」
この人は及川の命の恩人でもあるけど、あの憎っきラスボス天城の父親でもある。俺を釈放させたって話からも天城よりは常識ありそうだとは思ってたけど、それでも完全に信用する訳にはいかない。けど、この人が医者として言ってる事は信頼してもいい気がする。この医師に関して評判以上の事を知っている訳でもないけど、その評判によると腕は確からしいし、俺のこういう直感は割と当たる。
「あの……天城……さんは……?」
及川が大丈夫だと分かれば次に心配なのは、天城の行方だ。いつ来るかとある意味ずっと身構えていたのだが、予想に反して天城は及川の病室に姿を見せていない。
「宗佑なら由信くんと一緒に連れて行かれたよ」
「え……?」
「天城」の名札を下げた天城の父親は、俺の言う「天城さん」が自分の事でない事はすぐに分かってくれた。けど、連れて行かれたってどういう……。
「今ごろ事情聴取でも受けてるんじゃないかな」
あいつが……?
「天城……さんは、警察に顔が利くんじゃ……」
「どういう意味?」
「天城……さんも、先生も、警察に何かコネがあるんじゃないかって……」
「まさか」
天城医師は肩を竦めてあっさり否定した。
「けど及川は天城に冤罪被せられたって言うし、俺も薬物仕込まれて罠に、」
「薬物?宗佑がそんなことを?」
「あ、いや……。証拠は、ないんですけど……」
一時、シーンと室内が静まり返った。その静寂を破ったのは、天城医師の深いため息だった。
「ごめんね。宗佑と愛由くんの関係については私も頭を悩ませていたんだ。これをいい機会に反省して貰いたいものだ……。宗佑が何を言ったのか分からないけど、警察にコネがあるとかそんなのは全部はったりだよ。きっと、君に愛由くんを取られると思って苦し紛れだったんじゃないかな」
そうは言っても実際及川は冤罪被ってるし、あの時だって警察署連れて行かれた結果及川と引き離されてるんだけどな……。
けど、ふるふると力なく首を振る姿からは、我が子を案じる普通の父親の苦悩が見てとれる気がした。
──え。この父親、普通なの?あの天城の親なのに?
「あの、」
「土佐くん。大変申し訳ないんだけど、面会時間を大幅に過ぎていてね」
天城の悪行について、もう少しこの父親の耳に入れてみて反応を探ろうと思った矢先、言葉の通り申し訳なさそうに言われた。慌ててポケットのスマホに目を落とすと、もう24時を回っていた。
「及川が目を覚ました時に傍にいてやりたいんですけど……」
「悪いけど規則でね。……ここの看護師長は怖いんだ」
後半茶目っ気を出して小声で言った天城医師にこれ以上粘るのは不粋に思えた。ここはこの人の病院で、この人は及川の命の恩人であり今後の治療もしてくれる主治医なのだ。逆らうべきじゃない。けど、やっぱり及川の事が………。
「愛由くんの事は心配要らない。宗佑の事も、ちゃんと私が見ているから」
天城医師は俺の心を見透かした様にそう言った。信じていいのか?いや、信じるしかないだろう。及川を抱いて連れ帰る訳にもいかない。今はこの人に及川を任せるしかないんだから。
「明日も、また来ます」
「ああ、いつでもどうぞ。朝は10時から面会できるから」
当たり前の様に、天城医師が答える。
この瞬間実感した。及川はもう監禁されてないんだって。この病院の規律の許す範囲であればいつでも会える。触れられるし、話せる。
この病院だってある意味「天城」のテリトリーだから油断は出来ないけど、天城父は話せば分かってくれる様な気がする。まだ確信ではないけれど……。
それにしても、やっぱよっしーには敵わねえな……。
やり方が大胆で危険過ぎるとは言え、こうしてあっさりと及川をあの檻の中から助け出してみせたんだから。
*
土佐が病室を後にして暫くの間、ベッドに横たわる愛由をただただ眺めていた。
「結局、俺も天城家の人間という事か……」
長年の苦悩が確信に代わった途端、解放感に包まれた。
手を伸ばし、首筋をなぞる。そこには、首輪の痕の他に、宗佑がつけたであろうキスマークがいくつかくっきりと残されている。
───脈打つ様にずきりと胸が痛む。だが、仕方ない。もうこうするしか…………。
「お前が悪いんだ」
ぽつりと漏れ出たそれは、誰に向けたものか。
宗佑の絶望の顔が一瞬頭に浮かんだ。それを振り払う為に、死んた様に眠る愛由の乾いた唇に口付けを落とした。
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