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覚醒
両手が温かい。
覚醒が近づいてるのが分かる。けど、この温かい感覚は夢?それとも現実?
夢の続きを、いつまでも見ていられたらいいのに────。
「宗ちゃん……」
瞼を開いて一番初めに目に入ったのは、俯いた宗ちゃんの疲れた横顔だった。お腹の上にある俺の手を、ぎゅっと握っている。
「愛由……!」
パッとこっちに向いた宗ちゃんの泣き出しそうで真剣な顔を見た瞬間、ここに至るまでの出来事を一気に思い出した。
───俺、生きてたんだ。
「由信は……?」
ともかく、何を置いても由信の事が一番に気掛かりだった。俺は言わなきゃいけないことを何も伝えないままに眠ってしまったから。
「あいつの事なんてどうでもいいだろ?それより、」
「どうでもよくなんて……!教えて、由信はどこにいるの?」
「愛由落ち着いて。傷に障るよ」
「由信の事を、」
「分かったから。あいつは警察署だよ。すぐに殺人未遂で逮捕されるだろう。愛由をこんな目に遇わせたんだから当然一番重い罪を、」
「それはだめ、っ……!」
大声を出したせいか、胸がズキズキと痛い。そして今気付いたけど、息も苦しい。
「大きな声を出しちゃいけない。胸の傷が開いてしまうよ」
宗ちゃんが頭上のバルブを操作して、透明のマスクを俺の口元にあてがった。どうやら酸素マスクの様だ。
「肺に穴が開いてるから、興奮しないでゆっくり呼吸して」
胸が痛くて深呼吸は出来ないから、宗ちゃんの指示通り浅く、ゆっくり呼吸をする。
「宗ちゃん、お願いだから……」
胸の痛みと息苦しさが少し緩和した所でマスクを外した。一刻も早く、伝えなきゃならない。
「愛由、無理しないで。もう少し酸素を、」
「これは俺が、自分でやったことにして」
心配する宗ちゃんに大丈夫だと首を振って、それから胸の傷の上に手を置いて言った。宗ちゃんは目を見開いた。
「何言ってるの、愛由」
「お願い。お願いします。宗ちゃんならできるでしょ?何でもするから。本当に何だってするから……だからお願い。お願い宗ちゃん……由信を助けて……」
お願い、と言う度に宗ちゃんの顔から表情が消えていく。それでも、俺に出来ることはこれしかない。由信を救うには、宗ちゃんにお願いするしか……。けど、宗ちゃんの顔色からはついに色がなくなってしまって、それが意味するのは───。
「愛由、何でそんなこと言うの?由信は、俺の事殺そうとしたんだよ?愛由が守ってくれなかったら、俺は死んでたかもしれないんだよ?なのに何で愛由はあいつを庇うの?愛由は、俺が殺されてもいいの?愛由は俺を愛してるから命をかけて俺を守ってくれたんだよね?俺、嬉しかったよ。……嬉しかったんだ。それなのに、どうして愛由は由信の心配ばかりしてるの?俺の事はどうでもいいの?」
宗ちゃんは真顔で俺に詰め寄った。宗ちゃんがこうして表情をなくす時は大抵凄く怒っている時だった。これまでは。けど今は、怒り以外の感情がある様に見える。失望、そして、悲しみが……。
「愛由、俺を見てよ。俺だけを見て。俺以外の事なんて考えるなよ。心配するなよ。俺以外の事は全部擲って、俺だけを愛してよ……」
宗ちゃんは絞り出す様に言って、ベッドに突っ伏した。もしかしたら、泣いているのかもしれない。けど、俺にはかけるべき言葉が見つけられなかった。
宗ちゃんの心の悲痛な声は───愛してくれと叫ぶ声は、口に出さずともいつも聞こえてきてた。俺が全てを捨てられるのなら、由信や土佐の事でさえどうでもいいと思えるのなら、宗ちゃんを慰める事が出来たと思う。けどどうしたって、二人を忘れる事なんてできない。心の中で、土佐の前で、「忘れたい」っていくら強がって見せても、それは所詮、自分を守るための強がりだった。仮定の話なんて無意味だっていつも目を逸らしてきたけど、もしも叶うのなら俺は帰りたい。由信と土佐のいる場所へ。二人が大切だ。大好きだ。だから守りたい。帰りたい。唯一、心が安らげるあの場所へ───。
視界の端で、ドアがすっと開いたのが分かった。
「及川!」
現れたのは土佐だった。土佐が歓声とも呼べる声を上げたと同時に、ベッドに突っ伏していた宗ちゃんが頭を上げた。
「なぜお前がここにいる」
宗ちゃんの声はさっきまでとは打って変わって、地の底を這うようだ。
「あんたこそ。まだ警察署にいるもんだとばっかり」
土佐は相変わらずだ。宗ちゃんに気圧されずヘラっとしている。───頭の整理が追い付かない。どうして土佐がここに……。だめ。だめ。いけない。土佐は俺に呆れて俺から離れたって事になってるんだから。宗ちゃんがいる前で俺に会いに来るなんて事しちゃ絶対だめなのに……。
「及川が目覚ました時に傍にいてやりたかったんだけど、まあしょうがねーか。ともかく、ちゃんと意識戻って嬉しいよ!本当によかった……!」
土佐は怖いオーラを放つ宗ちゃんの事も、顔を強張らせて小さく首を横に振る俺の事も綺麗に無視して眉を下げて笑った。
「出ていけ。お前の面会は許可しない」
土佐が病室に一歩足を踏み入れた所で、ベッドの傍らに座っていた宗ちゃんが立ち上がった。
「あんたに許可して貰うつもりねえから」
「黙れ。お前には愛由に会う権利などない。今すぐここから出ていけ」
「あんたが出てけよ」
「なんだと?」
「及川がこんな目に遭ったのも、全部あんたのせいなんだから。あんたは及川の傍にいるべきじゃないって、いい加減分かれよ」
「何を言ってる?愛由を刺したのは由信だ。俺は愛由を救おうと必死だった。仮に、あの時傍にいたのがお前だったら、愛由を救えたか?俺だから救えたんだ。俺が傍にいたから。分かるか?」
「話が掏り替わってんなぁ。あんたが及川を閉じ込めたりしなきゃ、そもそもこんな事起こってねーんだよ」
土佐の目付きが怖い。俺に背中を向けてる宗ちゃんだってきっと怖い目をしてる。一触即発だ。止めないといけない。その為にどう言うのが一番いいかは、あまり頭を働かせなくても分かる。けど───。
「愛由に決めて貰おう」
宗ちゃんが突然俺を振り返った。
「俺と土佐くん、どっちがここを出て行くべきだと思う?」
「あんた本当に卑怯だな。及川、何も言わなくていい」
「なぜ?愛由の意思を尊重しないと」
勝ちを確信してか声のトーンが変わった宗ちゃんだけど、それでもまだ視線は鋭く、突き刺さる様だ。
二人の喧嘩を止めるために俺が辿り着いた最善の答えは、正に今宗ちゃんが俺に言わせようとしている事だ。言わなきゃいけない。土佐に「出ていけ」と。けど、土佐はその俺の言葉を本心ではないと気付いてくれるだろうか……。もし気付かなかったら。土佐を怒らせたら。あの夢みたいにどうでも良くなったと突き放されて、さよならだと言われたら…………。
土佐を失うかもしれないという不安に押し潰されそうになりながら、それでも口を開こうとした時だ。病室のドアが微かな音を立ててまた開いた。そして現れた姿を見た瞬間、俺の身体は凍った。
「やはりここにいたか」
その人は──宗ちゃんの父親は、宗ちゃんに目を遣るとため息混じりにそう言った。
「お父様!こいつをどうにかしてください!」
「ああ、土佐くん来てたの。早いね」
「お父様!こいつは愛由に付き纏うストーカーなんです!俺と愛由の仲を邪魔しようとする諸悪の根源です!面会禁止にしてください!」
「何を言ってるんだ宗佑。土佐くんに失礼だろう。土佐くんは愛由くんの友人だよ。昨夜も遅くまで愛由くんの傍についててくれたんだぞ」
「昨夜も……!どうしてなんですお父様!」
「宗佑。病室だぞ。大きな声を出すんじゃない」
「どうしてこいつの肩を持つんですか!」
「宗佑落ち着きなさい。お前に少し話があるんだ。ついてきなさい」
「いいえ!まずこいつを愛由から遠ざけてからでないと、」
「いい加減にしなさい。ここは私の病院で、愛由くんの主治医は私だ。その私が土佐くんの面会を認めているんだから、お前にとやかく言う権利はない。さあ早く来なさい」
宗ちゃんの父親は有無を言わさぬ口調で命じると踵を返した。悔しそうに拳を震わせる宗ちゃんが項垂れて後に続く。
「愛由におかしな事をしたらただじゃおかないからな」
すれ違う時に宗ちゃんがかけた言葉に、土佐は肩を竦めてやれやれといった調子で首を振った。
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