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本心

俺がここにいるのはシャリちゃんから連絡を貰ったお陰で、よっしーは警察署に連れて行かれたっきり。俺から経緯を聞いた及川は少し混乱している様だった。無理もない。よっしーに刺されて、手術して、点滴もいっぱい刺さってるし、他にもなんか管がいっぱい出ててよく分からない難しそうな機械に繋がってるし。そんな満身創痍状態でようやく目覚めたら、及川的にはもう関わってはいけない「俺」が現れて天城とバチバチし出すわ、そうかと思えば天城父の登場でまさかの「宗ちゃん」の撤退。流石に目まぐるしすぎだろう。 「俺、由信を助けてやれなかった……」 「及川には何の責任もねーんだから、自分を責めるなって」 及川は死の淵から生還してすぐでも、自分の事より他人の心配をしている。自分の容態なんてひとつも聞かず、さっきから俺やよっしーの事ばかり気にかけて。 「土佐も、宗ちゃんに何かされるかもしれない……」 「心配すんな。俺は大丈夫だから」 天城は俺の事本気で消したがってるんだろうけど、俺は意地でも死なない。これ以上及川に苦悩を背負わせる訳には行かないし、俺は及川を救い出して及川を幸せにする。そう決めてるから。 及川は心も身体もかなり弱っているのだろう。いつもの様な強い言葉は鳴りを潜ませ、ただただ不安そうに眉を潜めている。そう言えば………。 「天城の、もしかしたらいい奴なのかなって一瞬思ったけど…………違うんだな」 ───やっぱり。さっき天城父が部屋に入って来た時、及川の空気が一変した。表情が固まり、強い恐れと緊張感を発していた。今、俺が天城父の名前を出しただけでも、及川は同じ反応を見せた。天城父は確実に及川の、そして俺の敵だ。 「考えてみればよっしーの親に変な事吹き込んでたのもあのだし、いい奴な訳ねーよな。まあ、何企んでんのかは知らねーけど、及川とこうして普通に会えるのは助かるなー」 「…………」 「大丈夫。あいつら親子の企みが露見する前にさ、この病院から逃げ出そうぜ」 「え……」 「本当は今すぐ連れ出したいけど、流石にそれはな。及川の命危険に曝す訳にはいかねーし……。天城の事も天城父の事も怖いだろうけど、せめてその難しそうなチューブが取れるまで、あとほんの少し我慢してな」 「だめだそんなの。そんな事したら大変な事になる。土佐は…………もうここに来ない方がいいんだ……」 及川の視線が伏せられる。傷のせいで元々声を張り上げる事ができないのだろう、やっぱり及川の口調は弱いけど、最後の方はその声がもっとずっと、消え入る程にか細かった。 「来るよ。毎日来る。及川が何て言おうと、俺は及川を助け出すから」 「だめだ」 及川がふるふると力なく首を振る。 「俺、今までよりももっと強い気持ちで及川の事助けるって思ってんだ。何でか分かる?」 及川は何も言わず、ただ不安そうに俺を見返した。 「及川の本心が聞けたから。あ、初めて知ったって訳じゃねーぞ。一応俺なりにこれまでも察してたつもりだから。けどさ、及川の口からそれが聞けたっていうのは、やっぱすげー力になんのな。俺、今めちゃくちゃ漲ってるぜ。一気にレベル100くらいになった気分」 力こぶを作ってみせる。不安そうな及川に、少しでも笑って欲しいと思った。笑って誤魔化されて欲しいと。俺に「もう来るな」と言わなきゃいけない及川は、その度毎に傷付いている筈だから。 「昨日の……」 けど及川は結局笑ってはくれず、視線を伏せてじっと何か考え込んでいた。そして、小さな声でそう切り出した。 「うん?」 「夜もいたって……」 そーいやさっき天城父がそんな事言ってたな。もしかして及川、昨夜の事覚えてるのかな……?夢現って感じだったけど……。 「いたよ。手術終わってから暫く、傍についてた」 「あれ、は……現実……?」 何事か呟いた及川の視線が泳ぐ。なんだか動揺している。 「どした?」 「…………俺、変な事言わなかった……?」 意を決した様に俺にそう尋ねた及川の頬がほんのり紅い。 「変な事は言ってねーよ。俺のやる気漲らせる可愛い事は言ってたけど」 ほんの一瞬ほっとした及川の顔が、見る見る内に真っ赤に染まった。及川は昨夜の事、俺が思ってる以上に覚えてるみたいだ。それにしても反応がいちいち可愛い。可愛い過ぎて困るって。 「夢だと思ってたから……」 言い訳するみたいに口を尖らせる及川。可愛いすぎ。 「すっげー嬉しかった。俺は及川に必要とされてるんだなって」 及川はニコニコ笑う俺の顔を何も言わずじっと見つめてきた。 わー。相変わらず美人だなあ。目力ヤバイって。吸い込まれそう。ドキドキし過ぎて心臓痛い。 もう少しで、「何?」って声を上擦らせて聞く所だった。けどその直前、ふいに視線が逸らされた。そして及川の桜色の唇がすっと弧を描いた。 「俺、強がってただけだった」 「え、及川違う!」 俺が慌てて否定したのは、及川の言葉に対してではない。何を思ったのか、及川が自分を嘲る様な言い方をしたからだ。言葉の裏に、自分を蔑む色があったからだ。 「違わない。俺がこんなだから。忘れないでとか、傍にいて欲しいって気持ちが捨てらんないから、そのせいで土佐も俺を捨てきれないんだ……。けど俺本当に土佐が心配で、土佐に無事でいて欲しいのも本心のつもりで……。俺が寂しいとか悲しいとか、そんな下らない感情よりももっと強くそう思ってるつもりだったのに……もう、自分でも何が本心なのか分からない…………。夢で、土佐が俺の事置いて行って、俺はそれを一番望んでた筈だったのに、そう思ってたのに、土佐を失うのも、土佐の中から俺が失われるのも苦しくて…………。由信の事も、結局俺が中途半端だったせいで救えなかったし…………。俺、何やってんだろ。土佐の事も由信の事も、少しも助けられなくて守ってやれなくて、…………その為の強がりすら、通せないなんて…………」 及川は口元だけ自分を嘲る笑みを浮かべたまま、目にはいっぱい涙を溜めていた。 ああ、痛い。胸が痛い。さっきみたいに浮かれた痛みじゃない。鈍器で殴られたみたいな、鈍く響く重苦しい痛みだ。 「及川、あのな。間違ってるとこ他にもあるけど、まずこれだけは訂正させて。お前の気持ちはくだらなくなんかない。俺が一番大事にしたいのも、及川に大事にして欲しいのも、お前自身の気持ちなんだから。本心なんて、ひとつじゃなくてもいいじゃねーか。俺を守りたいのも及川の本心。俺を必要としてるのも及川の本心。それでいいんだ。及川はこれまで誰にも頼らずずっと独りで戦ってきたんだと思う。矛盾する願いを抱くことなんて許されない人生だったかもしれない。けど、今は独りじゃない。俺がいるだろ?俺はお前を幸せにする為ならどんな事だってするよ。あいつに殺されたって死なないし、お前に何度来るなって言われても絶対離れない。俺がお前の望みを、願いを全部叶えるから。矛盾してようと何だろうと、絶対に叶えるから。だから、俺の事をもっと信じろ。もっと寄り掛かれよ。もう、独りで頑張らなくていいんだから」 ずっと潤んでいた及川の瞳から涙が一粒零れた。 ───抱き締めたい。強くそう思ったけど、今及川の身体は壊れそうだから……。昨夜そうしたみたいにそっと頭を撫でると、及川が両方の掌で顔を覆った。 指の隙間をボロボロ零れ落ちていく涙は長い間止まらなかった。それはそのまま及川の傷の深さなのだろうと思うと、俺はまた胸が苦しくなった。この涙が、膿んだ傷を洗い流してくれたらいいのに。そして、ずっとずっと苦しかった及川に、ほんの少しでも癒しと安らぎを与えてくれたら…………。

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