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陰謀
「お父様!一体どういうおつもりですか!?」
院長室のドアが閉まった所で堪らず喚いた。土佐が愛由と二人きりでいるという状態にまず我慢ならないし、お父様がなぜ土佐を排除してくれないのか理解ができなくて腹が立つ。一刻も早く話を終えて愛由の元に戻らなければ。土佐と接すれば接するだけ愛由が汚される。折角、時間を掛けて俺だけのまっさらな愛由に仕立て上げたというのに、全部台無しじゃないか……!
「まあ落ち着きなさい。私には私の考えがあるんだから」
お父様は俺の神経を逆なでするかの如く殊更ゆったりとした動作で院長の豪華な椅子に腰掛けた。
「落ち着いていられる筈がないでしょう!あいつといると、愛由が汚されるんです!すぐに戻って土佐を排除しないと、」
「そうやってすぐ事を急ごうとするのがお前の悪い癖だ。愛由の周りの人間の信頼を得ないからこういう事になったんだぞ」
「信頼?何ですかそれは。愛由はともかく、土佐や由信に媚びへつらうなんてごめんです」
「本当にお前は分かってない」
「どういう意味ですか」
「最終確認だ。お前は愛由を手離すつもりはないんだな?」
そう問いかけるお父様の眼光が突然鋭くて、ほんの少し狼狽えそうになる。けど、これだけは何があっても譲れない。
「そんなの当然です」
深く頷くと、お父様はため息と同時に分かったと言った。
「それじゃあ、これからは愛由の事は私に任せて貰う」
「……え?」
「愛由を私のものにする」
「は……?」
……お父様が何を言っているのか理解出来ない。愛由の事を任せる?愛由をお父様のものに?そんなのおかしい。愛由は俺のものなのに。
「宗佑。私は怒ってるんだ。私の忠告を聞かず、ついにはこんな大事を起こして。お祖父様も、何度手を煩わせるつもりだとお怒りだ。これ以上お前の尻拭いは頼めないと思いなさい」
「お父様、話がよく分かりません!だからってどうしてお父様が愛由を……!」
「私の方がお前よりもずっと上手く愛由を扱えるからだ。安心しなさい。私はお祖父様が私にした様な仕打ちはしない。愛由は私のものになるが、お前にも共有させてやるつもりだ。あくまでメインは私だが、空いている時は好きに使うといい」
「一体何を言ってるんですか?愛由は俺のものです!お父様だってずっとそれを尊重してくれていたじゃないですか!」
お父様が徐に立ち上がり、奥の窓の方へと向かうのを追う。俺から愛由を奪うなんて、そんなの絶対に許さない!
「俺は愛由を絶対に渡しません!」
追い縋り怒鳴っても、お父様は振り返らない。
「……お前は真綾が自分の本当の母親だと知っているな?」
肩に手を掛けようとした時、窓の向こうに視線を向けたままのお父様が、そんなどうでもいい事を言った。
「今そんな話は関係ないでしょう!」
「関係あるから言ってるんだ。真綾は今どこにいると思う?」
「知りませんよそんな事!お父様がちゃんと管理しないから!そのせいで男を作って逃げ出したんでしょう!?メイド達は皆そう噂してますよ!真綾に逃げられたお父様に、俺以上に愛由を上手く扱うことなんかできる筈がないでしょう!」
「真綾はお祖父様の所にいる」
お父様が窓を背に漸くこちらを振り返った。
「お祖父様に、奪われたんだ」
え────。
「お前が年々真綾ソックリになっていくせいで、お祖父様にお前が本妻との子ではない事がバレてしまったのだ。いや……お前の顔のせいだけではない、私も隠すつもりなど殆どなかったから、露見して当然だったのだ。私は思い上がっていた。愛人として真綾を傍に置くことを容認してくださったのだから、例え子供が出来たとしても当然の流れと見てくださると思っていたのだ。だが違った。お祖父様は烈火の如くお怒りになった。天城の跡取りは、お祖父様がお選びになった優秀な本妻との間に作らなければ意味がないと。だが、時は既に遅かった。私も本妻も年を取っていたせいか、お祖父様の望む優秀な跡取りは出来なかった。その罰として……お祖父様は私から真綾を奪った。……そう、聞くところによると、お前には異父兄弟がいる様だ。お祖父様の子種は私と違って健在だった様でな……」
───言葉が見つからない。お祖父様が、真綾を……。そして…………。
「まるきり同じ構図だと思うだろう?お祖父様が私から真綾を奪った様に、私がお前から愛由を奪おうとしていると。だが違う。私はお前に罰を与えたいのではない。愛由を手放したくないと言うお前を助けてやりたいんだ。お前のやり方は騒ぎを起こすばかりだから……。そう言えばお前は土佐や愛由に、警察に伝があるとひけらかしていた様だが、厳密には力があるのはお祖父様で、そしてお祖父様から認められている私だ。お前はお祖父様からすれば天城の跡取りとして出来損ないなんだから、お祖父様はお前の頼みなぞ聞いてくださらないだろう。思い上がっているお前にそれを分からせる為に、昨日事情聴取を受けさせたんだ。あの者達にも、お前の言う事はもう聞かなくていいと言ってある。今後何か事件を起こせば、お前にも一般人と変わらない扱いを受けてもらうからな。土佐を殺せば当然殺人罪。愛由を監禁すれば監禁罪」
「そんな……」
真綾の事を一瞬で忘れてしまえる程ショックだった。突然梯子を外され、地上へと真っ逆さま。
「……ですが、僕が逮捕されたら天城家の信用は地に落ちます。それでもいいんですか?」
───けど、このまま全ての力を失い、地面に叩き付けられて愛由を拐われる訳にはいかない。そんな思いで絞り出した反論に、お父様は余裕の笑みで応じた。
「ああそうだな。だから、その時はお前が妾の子だという事を利用しようと思う。お前はメイドが産んで家に捨てて行った可哀想な子供。憐れに思い自分の子供の様に愛情をかけて育てたが、卑しい血までは浄化できなかった。そういう美談に仕立て上げるから、お前に天城家の事を心配して貰わなくても結構。まあ、跡取りは失うが、問題ばかり起こす跡取りならいない方がいいとお祖父様もお考えになるだろう」
────出来損ないの俺には何の力もないと言うのか。お祖父様の力も使わせて貰えず、天城家の名誉を笠に着ることさえも出来ないなんて……。
「由信の事だが……お前を殺そうとした危険人物ではあるが釈放する事にしたよ。家族内のいざこざという事にしてしまえばそう難しい事じゃない。今後のためにも、この件を利用して由信の親には恩を売っておきたいんだ」
お父様は今更俺に何を取り繕うつもりなのか、言い訳するかの如く言っているが、由信の事など最早どうでもいい。今大事なのは愛由の事だ。
「……愛由が望んでお父様のものになる筈ない。無理矢理奪う以外にどうやって愛由を手に入れるおつもりですか?相手がお父様であれば愛由が嫌がらず、土佐は騒がないとでも?そんな事はあり得ませんよ」
「そうだな。私は愛由に随分と嫌われているから、まず間違いなく拒絶されるだろう。だから私は本物の監禁を実行する。お前は何事も性急過ぎるんだ。私は今後3年かけて、愛由から警戒心を解いてみせる。まずは由信の両親に愛由の養育を放棄させ、私が学費、家賃、生活費を工面する。不審がるだろう愛由には『罪滅ぼしがしたい』と言って、無害な男を演じきってみせるさ。信じる筈がないと思うだろう?だが、人間は忘れる生き物だ。3年も愛由にとっていい人間を演じ続ければ、愛由の中での俺は『改心したいいおじさん』になる。愛由の警戒心が解ければ土佐や周りの人間の信用を得るのも容易い。そして大学を卒業した頃、愛由を留学か研修か何かの名目で暫く海外に滞在する様仕向ける。が、実際に愛由が行くのはあの別荘だ。愛由にはそこで一生暮らして貰う」
「……そんなの、うまく行く筈がない!」
「うまく行くさ。愛由は海外で行方不明になった可哀想な青年。私は失意のどん底。お祖父様の力で絶対に犯人は見つからないし、土佐は落ち込む私を疑うような事は言わないだろう。ああそうだ宗佑。お前も改心したと愛由に思わせないとな。今のままでは真っ先にお前が疑われてしまう。ともかく3年間我慢しろ。そうすれば愛由は永遠に私の……私とお前のものになるのだから」
───頭の中が真っ白になる。嫌なのに。そんな計画は絶対に反対で阻止しなければならないのに、論理的な思考が出来ない。そんなのは嫌だ。愛由は俺だけのものだ。嫌だ。嫌だ。
「どうして……!どうしてお父様が今更愛由を欲しがるんですか……!」
「愛由の事は元々気に入っていた。その上、抱き心地も抜群に良かったものだからな。身体は勿論、声も感じ方も嫌がり方まで全部完璧に好みだったよ。何十名もの紳士たちが皆虜になって連日愛由を貪っていた中、それでも私は我慢した。お前に遠慮したんだ。お祖父様と同じ事はしたくなかった。それなのに……。お前が悪いんだぞ、宗佑。何度忠告しても、愛由を離そうとしないから」
頭の中に、お父様を怖がってガタガタ震えていた愛由の姿が浮かぶ。俺が守ると、約束したのに────。
「…………僕が愛由を手離すと……完全に解放すると言えば、お父様もそうしてくださるんですか?この計画は白紙にしてくださるんですか?」
「何を言っている、もう遅い。私の気持ちはもう固まっているんだ。また愛由をこの手で可愛がれる……。3年後が本当に待ち遠しいよ……」
最後の切り札すら鼻で笑われ呆気なく破られてしまっては、もう本当に何をどうすればいいのか分からない。
為す術もなく愛由を奪われる────。
その恐怖が、絶望が、足元から這い上がってくる。
「お父様……どうか、どうか、お願いですから……」
「なんて顔をしてるんだ。理解しなさい。愛由を手に入れるにはこうするしかないんだから。大丈夫、必ずうまくいく。私を信じなさい」
なぜ、俺はこんなにも無力なんだ……。
お父様の大きな手が俺の肩を抱いた。身体が小刻みに震える。心が、精神が、俺の世界が、ガラガラと音を立てて崩れていく───。
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