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ピリオド

「ふつーにいた……」 診察室から出てきたタートルネックで白衣の長身をようやく見つけて、思わず声が漏れた。 時計を確認すると、面会時刻の午前10時目前。その姿をこの目で確認するまで1時間以上時間を使ってしまったけど、漸くここでの目的を達して急ぎ踵を返した。及川には大学サボるなって言われてるけど、今日は特別。だってなんか不穏だ。 * 「土佐!宗ちゃんが……!」 怒られるかなー、なんてちょっと思いながら部屋に入ると、及川は俺の顔を見るなりあいつの名前を口にした。かなり、焦っている。 「何かあったのか?」 何かあったに違いない。ベッドの頭をギャッジアップさせて寝ているというよりも半ば座っている状態の及川は、ゆるゆると首を振った。 「はっきりは分からない……けど、何となく……何となく、宗ちゃんが死んじゃう様な気がして……」 及川は膝の上でぎゅっと組んだ両手に視線を落とした。自分の事殴って監禁してた奴の事なのに、及川の横顔は不安に満ちていて本当に心配そうだ。 「あいつ、ふつーに病院でお医者さんしてたぜ?」 「え……?」 「今さっき見てきた。ピンピンしてる様に見えたけど」 及川は暫し呆然と俺を眺めていた。 「……え、土佐、いつも宗ちゃんのこと見張ってるのか……?」 それが、及川の辿り着いた答えらしい。まあ、無理もないか。 「なわけ。昨日の夜、突然こんなLINEが来たんだよ」 天城から昨日届いたメッセージを及川に見せる。 「俺にもしもの事が……」 そこまで読み上げて及川は両手で口を覆って息を飲んだ。 『俺にもしもの事があったら、愛由を連れて逃げろ』 あいつから送られたメッセージにはそう書かれていた。 「やっぱり宗ちゃん死ぬつもりだったんだ……」 「『もしもの事』は起こらなかったみたいだけどな。けど、この逃げろって誰から……?」 一番の脅威であるあいつに「もしもの事」が起これば逆に安全になると思うんだけど……。 「多分……」 また膝の上に視線を落としていた及川が自分の腕を抱いて微かに身震いをした。思い当たる節がある様だ。 「宗ちゃんの父親……」 「あー……やっぱそっか」 及川が小さく頷く。 「宗ちゃんが逆らえない相手って、あの人しか浮かばない」 「何企んでんだろうな。あいつが無事って事は逃げなくていいって事か……?けど…………」 けど、明らかに及川に対して善からぬ事を企んでる奴が傍にいるという状況は精神衛生上宜しくない。でもだからって無理に連れ帰れないし…………。そんな事を一人頭の中で考えていた時だ。 コンコン。 ドアを叩くノックの音がした。俺と及川は思わず顔を見合わせる。 「失礼しますね」 入ってきたのは若い……と言っても天城よりは若くなくて、天城父よりはかなり若い、20代後半から30代前半くらいの白衣を纏った男だった。 「天城先生から主治医を代わることになりました。宜しくお願いします」 ぺこりと軽く頭を下げた若い医師を見て、俺と及川はまた顔を見合わせた。 「調子はどうですか?」 「は……はい、大丈夫です」 「今朝撮ったレントゲン写真でも、気胸は大分良くなってきてて…………」 若い医師は、丁寧に及川の病状を説明してくれた。胸の管ももうすぐ抜けるし、順調に行けばもう1週間程で退院できるだろうと。物言いは丁寧だけど喋り方はハキハキとしていて気持ちがいい。何よりも気に入ったのは、が凄く普通だったことだ。 * 「あゆ君っ!ごめんね……ごめんね……っ!」 新しい主治医が姿を消した後で、及川が昨日あった天城との出来事を話してくれた。あいつから別れを告げられたと言う願ったり叶ったりな状況だと言うのに、及川は解放されて嬉しいとかじゃなくて終始天城を心配している所なんかは、やっぱり洗脳されちゃってんなーとは思ったけど、それでも願ったり叶ったりなのは変わらない訳で。 今、及川のベッドに突っ伏して泣いているのはよっしーだ。及川が昨日の事を話してくれた直後に、まるで計ったみたいなタイミングで、両親に連れられやってきた。今朝、処分保留で釈放されたらしい。 「愛由くん、本当にすまない」 ベッドの傍らに立つ二人が、もう何度目だろう、また及川に深々と頭を下げた。 「おじさん、おばさん、頭を上げてください……」 及川が眉を下げ困り顔をしていて可愛い。けど、大の大人にこんなにも平身低頭謝られたら誰だって困るだろう。 「土佐くんも……本当の事を話してくれていたのに、信じてやれなくてすまなかった」 「過ぎた事です」 よっしーの両親は、俺の言うことよりも天城父の言うことをずっと信じてきたけど、ここに来てよっしーから「真実」を聞かされて、漸く俺の言うことが正しかった事に気づいてくれたらしかった。それで、さっきから及川に謝罪し続けているのだ。 「君たちを信じであげられなかった私たちは、本当にバカだった……。一昨日、天城さんから脅迫紛いの電話が来たんだ。由信の罪を問わない代わりに、愛由くんとの関わりを一切絶て……と。何かおかしいと思って返事を伸ばしていたんだが……私たちはまた間違いを犯す所だった。決めていたんだ。今日、天城さんに返事をしようと。由信を、釈放して欲しい、と」 つまり、よっしーの両親は及川を捨てる決意を固めていたという訳だ。 「その返事をする前に、由信は釈放されたんですか?」 及川は自分が捨てられそうになった事については露ほども気にしていない様子でよっしーの父親にそう尋ねた。 「そうだ。それで、由信から真相を聞かされて……。愛由くん、頼りになれない大人ですまない。恨まれても仕方ないと思ってる。本当にすまない……!」 由信の両親がまた謝罪モードに入った。及川は必死に首を振っている。 「おじさん達は悪くないです。由信を心配するのも守ろうとするのも当然の事ですから。俺は、おじさん達に対して感謝しかしてないです。優しくして貰って、食べるものも、着るものも、安心して眠れる場所まで与えて貰って、高校だけじゃなくて大学まで通わせて貰えたんですから。そんな親切なおじさん達を恨んだりしたら、罰が当たります」 及川がそう言って優しく微笑んで見せたお陰で、張り詰めていた空気が一遍に変わった。おじさんは照れた様に頭を掻いて、おばさんは及川の微笑みに呼応する様に表情を和らげた。よっしーに至っては、まるで神様でも見るような目で及川を見つめていた。 「由信、ひとつ頼みがあって…………」 よっしー達が帰る直前、及川が言った。神様からの頼みをよっしーが断る筈もなく、及川の頼み事は二つ返事で受け入れられた。それは俺にとっては少し、面白くない頼みだったけれど。

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