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星になれたら
あんまり長居すると疲れるだろうから。そう言って、おじさん達と由信は帰った。由信は「まだいたい」って駄々を捏ねていたけど、数日勾留されていた由信の目の下には隈がくっきりできていたし、怪我人の俺以上に疲れた顔をしていた。由信が傍にいたいのならいさせてあげたいけれど、今日に限っては早く帰って休んだ方がいい。
「由信が帰ってこれてよかった」
雨のぱらつく窓の外に視線を向ける土佐に声を掛けた。
「そうだな」
「きっとこれも、宗ちゃんがしてくれたんだと思う。由信の事も助けてくれるって、昨日言ってたから」
「…………」
「主治医が変わったのだってそうだよな。宗ちゃん、一体どんな手を使ったんだろう……」
宗ちゃんが土佐に送ったメッセージからも、宗ちゃんが死を決意した事は明らかだ。もしかしたら、父親との取り引きに、自分の命を賭けようとしたのかもしれない。土佐から宗ちゃんの無事を聞かされて一応の安心はしたけれど、それでもまたいつ自分の命を投げ出そうとするか…………。
数分間、俺は黙って宗ちゃんの事で考え込んでいたと思う。今それをやめたのは、違和感に気付いたからだ。
いつも何かと賑やかな土佐が妙に静かなのだ。まだ窓の向こうを眺めているし。
「土佐……?」
声を掛けてみるも、返事がない。纏ってる空気がいつもと違う。
「なんか、怒ってる……?」
恐る恐る尋ねると、弾ける様に勢いよく土佐が振り返った。そしてぶんぶん首を振る。
「怒ってなんかねーよ」
「じゃあ、どうした?なんか、いつもと違うけど」
「え、そーか?別に、」
「嘘ばっか」
「う……」
土佐が言葉に詰まった。誤魔化したり、冗談で話を煙に巻いたりすんの得意な土佐なのに、こんなに取り繕えないのは珍しい。
「嘆いてたんだ」
諦めた様に肩を竦めた土佐が言った。
「え?」
「だって情けねーじゃん。俺、何にも出来なかった。及川の事絶対助けるって言っといて、結局助けたのはよっしーとあいつだったんだから」
「そんな、」
「いーんだ。及川は優しいから否定してくれるのは分かってる。それに、まだ油断は出来ないにしても、及川が晴れて解放されたことは本当に嬉しい。すげー嬉しい。もう及川が辛い思いしなくて済むんだから、こんな嬉しい事はねーよ。ただ……何も出来なかった自分が不甲斐ねーなぁって。いいとこぜーんぶあいつに持ってかれちゃったからさ。これじゃあ俺じゃなくて、あいつが及川の王子さまみてーだよな」
土佐は最後には笑って舌を出したけど、無理してるのが丸分かりだ。結構本気でへこんでるらしい。
「バカだな、お前」
「いてて、容赦ねーなぁ及川は。けど、確かに。こんな小せーこと気にしてんのは、バカだよなあ」
「そーじゃなくて。俺は、王子さまは土佐だと思ってるから」
「……へ?」
土佐は面食らった様に口をぽかんと開けた。
「お前は何も出来なかったって言うけど、俺にとってはそうじゃない。お前がずっと支えてくれてたから俺は今生きてられてるし、お前が帰る場所があるって思わせてくれたから俺は最後まで自分の意思を貫けた。……俺は、土佐がいなきゃとっくに死んでた。『お前は誰に救われた?』ってもし誰かに聞かれたら、俺は宗ちゃんでも由信でもなく、真っ先にお前の名前を出す。それくらい、俺はお前に沢山助けられたし、感謝してるんだから。だから、自分を卑下したりすんな。そーいうの、お前には似合わな、……っ!」
言葉が途切れたのは、いきなり土佐ががばっと覆い被さって来たせいだ。
「及川ぁ、お前ってほんっとに可愛い」
頬と頬がくっつく。耳元に唇があるせいで、喋られるとくすぐったい。
「そんな可愛い事言われたら、俺、気持ち抑えらんねーよ」
耳にかかる吐息が一気に熱くなった。初めて、土佐から「雄」のにおいを感じた。前に告白された時だって、土佐はいつも通り「友達」の土佐の顔をしていた。これまでもずっとそうだった。だから俺は、土佐から向けられる気持ちが友情なのか恋情なのか、真意を測りかねていた。けど、これは───。
「ずっと我慢してきたんだ。及川困らせたくなくてさ。及川をあいつから救い出して、及川の気持ちが落ち着いてから、俺の気持ちもう一回ちゃんと伝えようって思ってた。今はさあ、まだ早ぇんだよ。分かってるんだ。及川ちゃんと救われたかもわかんねーし、及川の気持ちだって全然落ち着いてねーし。なのに…………どーしよ。我慢できない……」
土佐は最後の言葉を絞り出す様に言った。土佐の中で理性と本能がせめぎ合ってるのが分かる。辛そうだ。苦しそうだ。こっちまで、胸がきゅーっとなる。心臓が、ドクドクする。
ふと、思い出した。俺があの邸に監禁されてた時に、危険を侵して会いに来てくれた土佐の事。俺が宗ちゃんを良く言うと見せる不機嫌な顔。そして、思いっきり防弾ガラスを殴った時の事。あの時だって、今思えばしていたかもしれない、「雄」の顔を。俺に、あんまり余裕がなかったせいで気づけなかったのだ。それに、「我慢してた」って土佐が言う様に、土佐は必ずそういう時取り繕ってくれてた。俺に余裕がないのを見越して、土佐はずっとずっと、先回りして俺に気負わせない様気遣ってくれていたのだ。
「土佐、あの、な……」
「ちょっと待ってあとちょっとだけ。ごめん、今及川の顔見たら、絶対キスしちゃう。止められねーんだ、今。だから、もー少し待って」
土佐は俺に咎められると思ったのか、慌ててそう言った。
そう言えば土佐からミスターコンに出るって聞かされた時もキスされかけたな。あの時キスしてたら、俺たちは今頃どうなっていたんだろう……。
「キス、していーよ」
「…………へ?」
びっくりした為か、頑なに俺の肩から頭を上げなかった土佐が、すんなり顔を上げた。
「俺も、土佐にキスしたことあるから」
「………………へ!?」
ぽかんと顔が、たちまち驚愕一色に染まる。
「だから、おあいこ。キスしてどーぞ」
土佐がしやすい様に顎を上げる。土佐が目を見開いた。キスする時は、普通瞑るもんだろ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!え、及川、俺に……?え、いつ!?いつキスしたの!?」
「内緒。そんなのはいーから、早くしろよ」
ちょっと唇を突き出してみる。土佐の頬が一気に真っ赤に染まった。女に不自由したことなさそうなこいつでも、たかがキスでこんな顔するんだ。
「今、すげー混乱してる。けど、俺、据え膳は平らげるタイプだから」
真っ赤な顔のまま、けどキリッと表情を引き締めた土佐の男の顔は、……うん。モテるだけあって結構格好いい。その顔がゆっくり近づいてくる。自分でしろって言っておいて、今更凄く緊張する……。
唇が触れる寸前、土佐が目を瞑ったから俺も倣って同じ様にした。すぐに押し付けられる柔らかい唇。土佐の、優しく自然な香りに全身が包まれる。
ドキドキする。1秒毎に心拍数が上がっていく。
心臓が早すぎて、鼻で呼吸してるのに息苦しい。
………………。
…………。
「…………っ、ながいっ!」
堪らず土佐の肩を押して、ぷはっと息を吸った。
「え?まだ数秒だよ」
肩で息をする俺に対して、土佐は余裕の表情を浮かべていてなんかムカつく。さっきまであんな余裕なさそうに顔真っ赤にしてた癖に。
「あり得ねー!30秒は経ってた!」
「そーかー?じゃあ、もう一回してみる?」
「は?」
「次はちゃんと数えるから。20秒ならいいだろ?」
「いや10秒……って、違う!そうじゃなくて、もう終わり!」
「えー、し足りねーよ。もう1回だけ!」
「だめ!」
あんなドキドキするキスまたやられたら、心臓が口から飛び出て、せっかく塞がってきた肺にまた穴が開きそうだ。
「はー残念。けど、1回だけでもキス出来て、俺すげー幸せだった!けど及川にとっては2回目なんだろ?ずりーなー。不公平だよな。ってわけでやっぱもう一回、」
「バカ言ってんじゃねー!」
「はは、だよなぁ」
2回目は頑なに却下された土佐だけど、それでもとってもいい顔で笑ってる。「幸せ」って言ってたのは嘘じゃないんだろうなって、こっちまで幸せになってしまいそうな、そんな笑顔だ。
「…………あのさ、聞いていい?」
ニコニコ笑顔だった土佐が、ふいに真面目な顔になった。
「?」
「俺と及川は両想いって事でいーのかな」
土佐は軽い口調で言ってまた笑顔を見せたけど、その目は真剣そのものだ。
「……さあ」
「けど及川も俺にキスしたってことは、さ?」
「…………その話は、俺の気持ちが落ち着いてからな」
土佐の言い回しを借りて言うと、そうだな、と土佐が深く頷いた。
「俺はいつまでも待ってるからな。及川の事、ずっと想って待ってる」
俺は視線を逸らして曖昧に頷く事しか出来なかった。真剣で真摯な愛の言葉は、今の俺には眩しすぎて、とても正面から受け止めきれない。
正直、土佐の事は凄く大事だし、好きだし、キスしても嫌悪感はない。土佐の事を、土佐が俺を想うのと同じように想う様になる可能性は高そうだし、もしかしたら心の奥底ではもう既に想っているのかもしれない。けど、だからって「じゃあお付き合いしましょう」なんて気持ちには、まだ到底なれないのだ。
宗ちゃんの事を、引き摺っている。宗ちゃんに恋愛感情があったとか、未練があるとかそういうんじゃないけど、ともかく、宗ちゃんとの関係性、起こった出来事、宗ちゃんとしてきた事、その事実全てにまだ俺の心が引き摺られているのだ。心に空きスペースがなくて、とても普通に健全な恋愛しようだなんて気持ちには、まだなれない。
───土佐が心変わりする前に気持ちに整理がつけばいいけど、どうだろうな。あんな事言ってたけど、こいつ、気が多いからな…………。
点滴を替えにやってきた若い看護師とにこやかに話す土佐を尻目に思う。
さっきまで降っていた雨が上がり、気持ちいい程晴れ渡った空に目を遣る。
「あ」
思わず漏れ出た声に、土佐と看護師がお喋りをやめてこっちを向いた。
「虹が架かってる」
「わ、ほんとだ!すげーくっきり!これはいいことあるぞ、きっと」
土佐が俺を見て歯を出してニッと笑った。あんまり嬉しそうだから、連られて頬が緩む。
「そうだな」
────そうなるといいな。
現実に打ちのめされ、天上で輝く星に手を伸ばしながら恐る恐る生きる。俺の殆どは、そんな人生だった。
この先の未来に何が起こるかは分からない。けど、いいことが沢山起こるといいな。もしそうじゃなくても、土佐と由信がいてくれたら、俺は何があっても地に足をつけて生きていける気がする。「星になれたら」なんて、二人がいれば、きっともう思わないよ。
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