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病弱くん、出会いは唐突に/その5
加藤さんを送ろうとリビングに向かう廊下には、何やら良い匂いが充満していた。
「あ、二人ともお疲れ様! 加藤さん、お帰りですか? 良かったら、お昼ご飯いかがですか? 今日はサラダと冷奴、白身魚の煮付け、なすのごまポン酢和えに鶏もも肉の南蛮漬け、あ、あと、ささみのネギ塩ダレ、それからみそ汁も作りました。鶏肉料理が多めですが、以前良い鶏肉を頂いたもので〜♪」
「本当ですか? ではお言葉に甘えていただいちゃおうかしら♪」
リビングでは、こーくんが広いダイニングテーブルに料理を並べ、三人分の食器を用意しているところだった。
「どうぞどうぞ、座ってください。暇だったんで色々挑戦しちゃいました〜♪」
僕と加藤さんが隣同士に、向かい側にこーくんが座って食卓についた。
「このなすのポン酢和え美味しい! ポン酢だけじゃありませんね?」
「正解です! 隠し味にある物を混ぜてるんですよ〜。」
加藤さんはこーくんの料理を気に入ったのか、楽しそうに料理について話を膨らませていた。しかし僕は料理を全く作れないので聞いているだけだった。
「料理、お上手なんですね。これなら私も安心できます。いつも先生の体調が心配でしたから。」
「あははっ、任せてください。」
何だか加藤さんが僕の保護者のようだ。こーくんは茶碗と箸を持ったまま、得意気にニカッと笑った。彼が「ねー?」と僕を見たが、僕は「あ、あはははは……。」と苦笑いを返した。
「本当に、神山さんのような方が先生と一緒になってくださって安心しました。先生にはしばらく執筆活動をお休みしていただきますので、ゆっくり休ませてあげてください。これからも末永く、先生をよろしくお願いいたします。先生、神山さんにご迷惑をおかけしちゃダメですよ?」
こーくんと、玄関まで加藤さんを見送る。加藤さんはこーくんを非常に気に入ったようで、満足そうに仕事に戻っていった。こーくんもこーくんで、加藤さんに良い印象を受けてご機嫌だった。
「かずくん、打ち合わせお疲れ様。長い時間話してたみたいだし、疲れたんじゃない?」
「いえ、そんな……むしろ、またご飯を作らせてしまって……。」
「ふふっ、いいんだよ、それくらい。加藤さんに言われたように、僕はかずくんの体調をしっかり管理しないといけないからね!」
彼は上機嫌ににっこり笑うと僕の肩を抱いてリビングに戻った。
この日は久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしたと思う。ソファに座って、こーくんの淹れてくれた紅茶を飲みながら、ぼんやりとテレビを見て、景色の眺めを堪能して、贅沢な時間を過ごした。こーくんはテキパキと食器を洗って、その後は、少し待っててね、と行って姿が見えなかった。食器洗いも手伝おうと思っていたのに、かずくんはゆっくり休んでいて、とキッチンに立ち入らせてもらえなかった。
テレビなんて何年も見ていなかった僕は、画面の向こうで知らない人たちが話しているのを聞いていた。たくさんの人が会話をしている声を久しぶりに聞いた気がする。ニュースが始まると、世の中の凶悪な事件がたくさん流れてきた。こんなにも多くの人が殺されて、悪事をはたらいて、逮捕されて、裁判にかけられているのか。何となく憂鬱な気分になってきた。気がつくともう夕方で、窓の向こうはオレンジ色の世界になっていた。僕がこーくんに迫られて、流された、あの時を思い出す。あぁ、何て綺麗な景色なんだろう。
僕はテレビを放ってソファを移動し、窓際の背もたれのない場所にペタリと座り込んで外の世界を見つめた。道路を走る車がオモチャのように見える。歩く人々は、みんなテレビの画面の向こうを見ている感覚。視線を真っ直ぐ向けると、眩しいくらいに光り輝く太陽が今にも消えてしまいそうだ。何だか、この太陽はセミみたいだなぁ。彼らは消えてしまうその瞬間まで、必死に鳴き続ける。つい先日、道端に転がるセミを見つけた。僕が近くを通るとジジジッ! と急に跳ね回って、そしてやがてパタリと動かなくなった。その時僕はただびっくりして距離を置いていただけだったけど、今思うと、彼はまるで自分はここにいるぞ! ってアピールしていたのかもしれない。
そんなことをぼーっと考えていたら、ふと、今こーくんは何をしているのだろうと思って、彼が消えていった扉を振り返る。それら彼の自室がある方で、流石の彼ももう三日も休んでいるし、部屋で仕事をしているのかもしれない。何やら休み明けにある仕事について、マネージャーの山下さんから考えておけと言われていたみたいだったから。
そして視線を下げて机の下を見ると、一冊の冊子が置いてあった。その表紙には神山 宏輝の名前。手に取って開いてみると、僕と一緒に暮らして、僕にいつも微笑みかけてくる彼が物寂しげな表情が大きく写っていた。『落ち込んでいる時に見たい! イケメンモデル特集』という題名で彼が大きく取り上げられていた。他にも優しげに笑う彼や、無邪気に笑う彼。ページの端のインタビューの中には、『やっぱ好きな子の元気がなかったら、ずっとそばにいてあげたいです。俺なら絶対傷つけたりしないのに。』と書いてあった。確かに、彼はそういうタイプだなぁ。でもこんなに素敵な人にそんなに好かれる人なんて本当はほんのひと握りだろう。そのひと握りの中に、僕が入ってしまったのかもしれないのだ。
雑誌の中の彼は、僕には到底着こなせないようなオシャレな服を着て、全身を着飾って、それでも自然な表情だった。優しい笑顔も、いつも僕に向けられているものと同じ。モデルってすごいなぁ、と感心するばかり。決して服に着られているわけでもなく、服を着こなしてやっているような感じがする。別のモデルとの写真もあるけど、どうしても彼に目がいってしまう。男の人とも、女の人とも、誰と並んでいても彼の溢れんばかりのカリスマ性が光っていた。
次のページをめくると、彼が女性モデルを抱きしめているシーンがあった。仲良く抱き合う写真や、後ろから女性モデルを抱きしめた彼女の首に唇を寄せる彼を正面から撮っている写真などなど。様々なシーンで、違う色気が漂っている。こういう写真を見ると女性は元気が出るのかな?
「かーずくんっ。何見てんの??」
「わっ!!」
急に、こーくんが後ろから抱きついてきた。そして、僕の手元に視線を落とす。
「あぁ、それね。どお? 俺かっこいい??」
「え、……あ、う、うん。」
「あははっ、嬉しい! でも俺がこういう風にラブラブしたいのはかずくんだけだからね〜!」
そう言って彼はソファの上に胡座をかくと、僕を後ろから抱き上げてその上に乗せた。僕のお腹に彼の腕が回されて、がっちりとホールドされた。
「長時間ひとりにしてごめんね? 寂しくなかった?」
僕の髪の匂いを嗅いで、そのまま頭に頬擦りをする。
「かずくん、何してたの?」
「て、テレビを見ていて……。」
「あー、かずくんの前の家、テレビなかったもんね。テレビ置いてないと暇じゃなかった?」
「ぼ、僕……ずっと小説書いてたから…………その前もアルバイトたくさんしてたし、そういう自由な時間はとらなかったかな……。」
「そうなんだ。じゃあここに来てからは随分ゆっくりできているんじゃない? 良かった〜♪」
むしろ僕は何もしていなさすぎなのでは……。そう思っても言葉にはしなかった。彼に言っても、何かさせてくれるわけではなさそうに感じたからだ。
「そうだ。この雑誌、俺のモデル仲間が写ってるんだよ〜。たまたま一緒に撮影してさ〜。」
そう言って雑誌のページをめくると、誰が彼の友達なのか教えてくれた。雑誌も見ない僕は知らない人ばかりだったけど、彼が指を指すモデルはみんな綺麗な顔をしていて、やはり類は友を呼ぶんだなぁ、と思った。
「あの、さっきの女性は……。」
「あ〜ぁ、Yukiちゃんね。この雑誌でYukiちゃんとの絡みのウケが良くてさ、次の企画もこの子となんだよねぇ〜。」
少し嫌そうな彼に、僕は首を傾げた。
「とても美人さんだと思うけど…………何か嫌なのかな……?」
こんな美人とお近付きになれるなんて、世の中の男性だったら大喜びだと思うのだが。彼の表情は浮かない。
「苦手なんだよね。何かすごく男に媚びてくるというか。まぁ、そういう世界だから、そういう人が多いんだけどさ。」
彼が苦笑する。昨日言っていたが、彼は一度、その業界に心底嫌気が差したようで、モデルも辞めようかと考えていたらしい。きっとたくさん傷ついてきたのかもしれない。そんな彼を、また元の場所に戻してしまった僕は、果たして彼にとって良い選択をさせてあげられたのだろうか。
「次の企画、嫌だなぁ〜。『モテたい男子必見! 秋のモテる男のモテコーデ&彼女の心を掴むデート10連発!』だってさ。何回デートさせるんだよぉ〜! 俺やだよぉ〜! かずくんとデートしたい〜! あの子とじゃやだよぉ〜!」
先程まで仕事について考えていたのだろうか、彼の不満が爆発したようだった。
「社長も俺を売り出してくれようとしてるのはわかるけどさぁ〜! ちゃんと好きな子と行きたいしぃ〜! 俺まだかずくんとどこも行けてないのにぃ〜!」
僕の肩にグリグリと額を擦りつける彼に、どーしたものかと困った。彼の仕事のことは、素人の僕には何も言えない。その上、彼は僕を好いていてくれてることが伝わってきて恥ずかしい気持ちが余計に僕を無言にさせた。その代わり、顔ばかりが熱くなるのを感じた。
「まぁ、大好きな子とこんなに近くにいられるんだから、十分幸せなんだけどさっ! あぁ、お仕事始まるの嫌だなぁ〜……。」
四日目は久しぶりに外に出た。毎週木曜日、僕の定期検診の日だった。学生時代、よく倒れる僕を心配して、加藤さんが病院に通うことをオススメしてくれてから通い続けている。しかし、学生時代の僕は忙しくて自分の体調管理を疎かにしていて、全然定期的に通わなかった。そして倒れる度に加藤さんに怒られたものだ。
大学を卒業してからはちゃんと毎週木曜日に検診を受けに行っている。なぜかこーくんは僕の検診の日を把握していて、朝起きると「今日定期検診の日だよね? 〇〇病院だっけ? 車出してあげるから、ご飯食べたら支度しておいで。」と言われて流されるまま一緒に病院に向かった。彼は僕の診断にも着いてきて、担当医に自己紹介と一緒に住んでいるということも話していた。本当に保護者みたいだなぁ、と思っていたら、僕の担当医も非常に喜んでいた。いつも加藤さんと一緒に僕を心配してくれているので、僕がひとりではなくなったことに安心したようだった。
そうして、彼の四日間の休日はあっという間に終わったのだ。その間、僕は全然家の手伝いをさせてもらえなかった。させてもらえたことと言えば、食器を拭くことくらい……。その他は寝るか、食べるか、テレビを見るか、外の景色を眺めるか。長い期間、常に執筆活動が僕の生活の中に居座り続けていたので、その習慣がなくなってしまうと、本当に僕には何も残らなかった。相変わらずこーくんは僕を甘やかし続けて、僕はこのままだと本当にダメになってしまうんじゃないかと思った。もう何年もひとりで生きてきて、ずっと『常に働かないといけない』という気持ちが身体に染み付いていて、この家の環境に少しずつ慣れてくると、誰かに任せっきりという状況に、だんだん落ち着かなくなってきた。
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