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病弱くん、お仕事を見学しに行く/その1
僕はその日、こーくんが持って帰ってきて、リビングのテーブルに置きっぱなしにしていた数冊の雑誌のうち、一冊を手に取った。
「あぁ、それはこの前の撮影でできあがったやつ、今日もらってきたんだ〜。」
彼はキッチンから何やら美味しそうな匂いをさせながら、別段興味が無さそうに言った。
開いてみると、大きく見開きで彼の写真が載っていた。この雑誌は彼の特集が組まれているようで、見事に表紙も彼が飾っていた。どこかオシャレなカフェでインタビューを受けている彼や、どこか雰囲気の良い場所で楽しそうに笑う彼。どれもかっこよくて、The☆芸能人! という感じで、やっぱり僕とは全く別次元の人なんだなぁと実感した。
いくつかの雑誌を、特に内容は見ずにぺらぺらと捲っていると、どれも彼のようなキラキラした人たちばかり。こういう人たちに囲まれている彼は、一段と輝いて見える。その中に、公園で楽しそうに遊んでいる彼の写真があった。運動の秋をテーマにした特集らしく、他にも、彼と別の男性モデルがジムに行ったり、登山に行ったり、ランニングをしたり……そこでのスポーツウェアやファッションを紹介する男性向けの雑誌だった。
ふと、それを見て、
「そういえば、最近外に出かけていないなぁ……。」
まぁ別に外が好きか嫌いかで行ったら、嫌いなんだけど。でも、もう9月間近で夏も終わりに近づいている。茹だるような暑さも、次第に過ごしやすい気温になっていくことだろう。ずっと家にいても、仕事をしないとなるといい加減やることもなし、僕はリビングの大きな窓から外の世界を眺めているばかりの日々だった。
「あ、じゃあ、明日俺の撮影着いてくる?」
僕の独り言を聞いたようだった彼は、テーブルに晩ご飯を並べながら言った。
「でも、僕なんかが着いていったら邪魔なんじゃ……。」
「大丈夫だよ。かずくん、人に迷惑かけるような子じゃないし、小説家で次の作品のために〜とか言っておけば、全然OKだと思うよ。何より、スタッフとかじゃなく、モデルの俺が連れて行くんだしね。」
彼が得意気にウィンクをする。
「いやいや……撮影現場なんて、僕が行ったら変だよ…………だってこんな僕だし……。」
自分は根暗で見た目も良くないから、そんなキラキラした人たちがたくさんいるような場所に、たとえ見学だとしても、とてもじゃないけど行けるわけがない。
「えー? 俺的にも、かずくんと一緒にいられるの嬉しいんだけどなぁ〜? かずくんがいてくれれば、俺めちゃめちゃ頑張っちゃうし!」
夏ももう終わるのに、ひまわりが咲いたような笑顔。この家では、きっと一年を通して何度でもひまわりが咲くのだろう。
「そ、そうかな……。」
「うん! そうだよ! だから明日、一緒に行こうね。ほら、ご飯の用意できたからおいで。」
すっかり上機嫌の彼は、嬉しそうにテーブルに着いた。僕は雑誌に夢中で、せっかく料理を運ぶことくらい手伝おうと思っていたのに、気づいたら全て彼に任せてしまったことを申し訳なく思いながら席について、手を合わせた。
次の日、こーくんは本当に僕を職場に連れ出した。朝起きて身支度を整えると、「あ、山下来たって。」と言って一緒に部屋を出た。最上階まである車用のエレベーターに乗り込むと、こーくんは「おっはよ〜! 今日はかずくんも一緒だよ〜!」と車の運転席に座る山下さんに言う。山下さんは朝だから機嫌が悪いのか、「そうか。」とだけ返した。
「あ、あの……ご迷惑だと思いますが…………すいません。よろしく、お願いします……。」
僕も何か言わなきゃと思って、ぺこりと頭を下げた。
「いえ、構いません。」
山下さんは短くそれだけ返事をしてくれた。とりあえず、怒ってはいない……かな?
「さ、かずくん、乗って〜。」
僕は彼に言われるがまま、一緒に後部座席へ乗り込んだ。すると、エレベーターのドアが閉まり、この箱がゆっくりと降下していくのを身体で感じた。
「今日はなんだっけ? 確か同じスタジオだったよね?」
「あぁ、この後9時から……。」
山下さんが何も見ずに、こーくんの今日の一日のスケジュールを説明する。僕にはよくわからないけど、細かい所まで全て暗記しているようだった。これが敏腕マネージャーというやつか。
マンションから外に出ると、なんだか久しぶりにこんな低い場所に降りてきたなぁという感覚。いつも30階から見下ろしていた道や木々、建物たちが今はこんな近くにあることが、少し不思議にすら思った。僕は無意識的に、窓の外に広大に広がる世界は、もうすっかり別世界のように思っているみたいだった。
何やらオシャレな建物に着くと、こーくんはすぐにスタッフさんに出迎えられ、僕は彼の控え室に連れていかれた。彼とは撮影の支度があるから、と別行動になったが、初めて来た場所で一人にさせられて少し不安そうな僕に「ちょっと待っててね。ちゃんと迎えに行くから。」とはにかんでくれた。山下さんも、もちろんこーくんの方について行った。控え室はこーくんが見学に来ている僕のことをスタッフさんに説明すると、じゃあとりあえず神山さんの用意が終わるまで、と言って案内してくれた。机と椅子と鏡と、後から案内してくれたスタッフさんがささっとお茶を出してくれた。極度の人見知りである僕は慣れない場所に緊張しまくりで、誰もいない部屋で縮こまり、時々ちびちびとお茶に口をつけた。
「かずくん!」
「っ!?」
部屋のドアが勢いよく開かれて、僕は椅子の上で跳ね上がった。扉の方を見ると、キラキラと着飾った彼がいて、カリスマ性が光り輝いていた。そのが輝きに、僕は思わず目を細める。
「どお!? 今日の衣装! カッコ良い!?」
バッと手を広げてクルクルと回るこーくん。
彼の眩しさにチカチカと目を回していると、彼に手を掴まれて立ち上がらせられ、「さ、撮影に行くよ〜!」と抱きしめられた。
「おい、借り物なんだぞ。シワになる。」
気付くと部屋の入口に腕を組んで立つ山下さんの姿があった。今はそれほど機嫌が悪くないのか、いつもより眉間のシワが薄い。
「はいはぁーい。かずくん行こ!」
彼に腰を抱かれて流されるままに部屋を出た。廊下に出ると道行くスタッフさんたちがこーくんに「おはようございます。」「おはよーございまーす!」とそれぞれ挨拶をしていた。彼もそれに「おはよーございます。」「あ、おはよ!」等とキラキラのモデルスマイルで返事をしている。僕はどうしたら良いのかわからず、彼の隣でひたすら俯いて歩いていた。
「ふふっ、別に怖い人たちじゃないよ? だいじょーぶだいじょーぶ。」
そんな僕に彼が言葉をかけてくれたが、あぁもう、なんでこんな所に来てしまったんだろう……と、僕は早くも後悔していた。
「神山 宏輝さん、入りまーす!」
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします! あ、すんません! 今日は俺の大好きな作家さん連れてきてるんですけど、見学させてあげてくださーい!」
スタジオに入るとこーくんの言葉にスタッフ全員が「おはようございます!」と元気良く挨拶をした。大声で紹介された僕は、視線が集まるのを感じてぺこりと深くお辞儀をした。
「んじゃ、こーくん、ここの椅子に座ってて良いって! 俺のカッコ良いとこ、ちゃーんと見ててね!」
僕をパイプ椅子に座らせると、スタッフさんに誘導されてさっさと離れて行ってしまう。
スタジオの中はよくテレビドラマ等で見るそれと一緒。僕もたまたま付けたチャンネルでやっていたドラマで見たことがある。黒くて複雑そうな機材がたくさんあって、スタッフさんもみんなオシャレでちゃんと着飾っている。その中でもこーくんは一段と輝いていた。最近テレビを観るようになったり、こーくんの持って帰ってくる雑誌をぺらぺら捲ってみたりして、僕も、本当は彼が画面の向こうみたいに僕なんかとは到底直接会うことができないような存在だということをちゃんとわかってきた。だからこそ、僕ひとりがこのスタジオの中で異常なまでに浮いているような気がして落ち着かない。
手を膝に、両膝を擦り合わせてもじもじとしていると、頭の上から声が降ってきた。
「宏輝はどうですか?」
驚いて見上げると、真っ直ぐ前を向いたまま、腕組をして立っている山下さんがいた。
「先生にご迷惑をかけてはいないでしょうか。」
山下さんは普段から低く透き通った声をしているが、この声は決して怒っているわけではないことはわかる。けれど、実際にマンツーマンで話さないといけないとなると、ビビリな僕はめちゃくちゃビビった。
「い、いえ……そんなことは……。」
「今こんな生活になっていることからして、迷惑しかかけていませんよね。」
冷たく感情のない言い方に、何も言い返せず俯く。
「でも、先生のおかげで、あいつも真面目に仕事に取り組むようになりました。」
意外な言葉に、もう一度山下さんを見上げた。そういえば、彼は僕のことをどう思っているか等、自分の気持ちを全然話さない。というよりも、僕はほとんど挨拶程度の会話とも言えない言葉しか交わしたことはないのだが。
「宏輝から話は聞いているでしょうが、あいつは先生の小説に出会う前、モデルの仕事やこの業界に嫌気がさしていました。俺はあいつの性格はともかく、才能は認めている。マネージャーとして、あいつの才能を潰してしまいたくなかった。しかし、俺にはどうにもできなかったことを、先生はあいつに出会わずして成し遂げてしまった。だから先生には感謝しています。」
「は、はぁ……。」
まるで誰か他の人のことのような話。あまり実感が湧かない。生返事を返すことしかできなかった。
「それからは、我儘なあいつに振り回されっぱなしでかなり苦労しました。先生についてできる限りを調べあげろ、絶対にインタビューの仕事を取り付けろ、今週中に引っ越すから業者を手配しろ、等と無茶苦茶を言い出す始末だ。」
「え……?」
何だろう、色々と種明かしをされているのでは……? それに、心無しか、山下さんの額に血管が浮かび上がっている気がする。
「先生と今の関係になるまで、あいつはかなりブラックな所まで手を回していました。俺もかなり手伝わされましたが。でも、見てやってください。あいつは今、先生のためにちゃんと努力しています。」
言われるがままに視線を上げると、そこには僕の方を見て頬を膨らます彼と目が合った。
「というか、俺からも頼みます。あいつ、多分先生が見てくれていないと、不貞腐れて仕事をしなくなります。」
視界の端で山下さんがつま先を上下していて、もうかなりイライラしているようだ。僕は慌ててこーくんに苦笑すると、彼はまた機嫌を直してにっこりとはにかんだ。
「は、はい……。」
本当、何なんだろうこの人たちは……。機嫌が良かったと思ったら途端に不機嫌になったり、片やずっと不機嫌だったり……。
僕はすっかり呆れてしまって、ずっと力んでいた肩の力が抜けた。
「次、視線前で!」
パシャッ、パシャッ
「こっち、キツめのやつちょーだい!」
パシャパシャッ、パシャッ
何でそんなにレパートリーがあるんだ、と思ってしまうほど、彼はシャッターが切られる度に何回も何回もポーズを変えた。そのどれもがこんなにカッコ良いのに、雑誌に載るのはほんのひと握りだなんて。
「はい、次、目はそっち!」
「!!」
こーくんがこっちを向き、目が合う。すっかりお仕事モードな彼の瞳に射抜かれて、思わず目を逸らして俯いた。
「おっ、今のい〜ね〜! 最高! それ、別のポーズでもっかいちょーだい!」
そっと視線を上げると先程とは違うポーズで、それでも僕に視線を向ける彼がいた。見られている。恥ずかしい、恥ずかしい……。
両手で顔を覆うと、頬が熱くなっているのがわかる。
「あぁ〜いいね! 今までの中で一番良いよ! はい、次右向いて〜!」
カメラマンの男性はかなりテンションが上がっているようで、かなり大声を出して喜んでいる。その様子を見ていて思い出した。前にこーくんから送られてきたLINEの写真の中にツーショットが載っていた。カメラマンのゆーじくんだ。横顔がまさに、その彼だった。
「神山さん! 衣装チェンジでーす!」
そうしてまたスタッフさんに誘導されてこちらへやってきた。
「ね、見てた!? どーだった!?」
運動会の徒競走で一位を取った子供のようにキラキラとした笑顔でこーくんがこちらに走ってくる。
「う、うん……カッコ良かったよ。」
言ってから、心無しか彼の後ろに犬の尻尾が見えたような気がして苦笑した。
「ふふっ、嬉しい〜!」
「衣装チェンジだろ。早く行け。」
喜ぶこーくんを、ずっと僕の隣に立っていた山下さんが睨んだ。
「うっさいな! てか、なんでお前はかずくんの隣をずーっと陣取ってんだよ!」
「うるさいのはお前だ。すいません、こうなると長いので連れて行って構いませんよ。」
「もー! お前後で覚えてろよー!」
こーくんがきゃんきゃんと喚きながら誘導していたスタッフさんに連れられてスタジオから出ていく。その様子をまた苦笑しながら見守った。どうしてこうも、この二人は噛み付き合っちゃうのかな……。
「あ……あの、……すいません。お手洗いは……。」
「ここを出て右に、二番目を左に入って、突き当たりをまた右に行ったところに……良かったらご案内しましょうか。」
「い、いえ……大丈夫です。ちょっと行ってきます……。」
山下さんの気遣いをやんわりと断って、そそくさと部屋から出た。この調子だと撮影の途中に抜けられそうな気がしなかったので、今のうちにと思ったのだ。それにしても、やっぱり山下さんは根は良い人なんだなぁ。どうにも、苦手だけど嫌いにはなれない。
「右に行って、二番目を左……突き当たりを右……。」
スタジオから出ると、ブツブツと独り言を言いながらトイレを探した。僕は普段ひとりでいることが多いためか、昔から無意識に独り言を言ってしまう癖があった。そしてそれを咎める者も誰もいなかったので、気づいてから、また恥ずかしくなった。こんな所で独り言なんて……。
何とかトイレに着いた僕は、さっきまでブツクサと唱えていた呪文をすっかり忘れて、帰り道がわからなくなってしまった。この建物は上に高くない分、横に広くて、どこを回っても同じような風景が広がっていた。まさしく迷路だ。僕は迷子になってしまったのだ。
すれ違う人はまばらにいるけど、自分がどこのスタジオに帰れば良いのかもわからない。大人しく山下さんのご好意に甘えておけば良かったと思ったけど、もう23の代になるのにひとりでトイレも行けないだなんて……と変に恥じらってしまったのだ。全く、ここに来てからというもの、恥ずかしい思いをしてばかりだ。むしろ、この世に生まれ堕ちてしまったことが恥ずかしいくらいだ……。
そんなくだらないことを考えてながらやたらめったら進むものだから、本当にわけがわからなくなってしまった。勇気を出して誰かに聞いてみようと思った時に限って、誰も通りかからない。しばらく歩いて、僕はとうとう廊下の隅に立ち尽くしてしまった。こういう時に限ってスマホを持っていない。いや、常備する習慣がないのだ。そういえば、家に置いてきてしまったんだった。途方に暮れて、だんだん涙目になってきた。どうしよう。怒られてしまうかな……いやその前に、会えるかどうかもわからない。仕事中に心配させてしまっているだろうか。きっとこーくんも山下さんも忙しい身だから、僕のことを探す暇なんてないだろうし……。このまま置いていかれてしまうのかな。あぁそうしたら、もうあの家にも帰れない。今日の夕方にやるトラえもん、見たかったな……。
「あれれ〜? おにーさん、そんな所で何やってんのー??」
蹲った僕の頬に涙が一粒、ほろりと流れ落ちた時、僕の背後から男性の声がした。僕はもう樹海で遭難してしまった気分になっていて、その声を聞いた瞬間に、救世主……!!!! と思ってすぐさま後ろを振り向いた。
「うへぇ〜! おにーさん泣いてんジャーン! どったの〜? 転んだー?」
その男性は、所謂パンクファッションというやつに身を包んでいて、ヘアピンがたくさん付けられた明るい茶髪の中に、パッションピンクが見え隠れしている。耳にもじゃらじゃらとシルバーのピアスをたくさん付けていて、いかにも柄が悪そうな見た目をしていた。
「え、いや……あの……。」
「やっぱどっか打ったの? …………うーーーん……??」
このパンクな男性は、廊下の隅に蹲る僕の身体を下から上へと観察すると、最後に顔をまじまじと見つめ、何やら考えているようだった。
「おにーさん、モデルに見えないね? スタッフさん? お腹痛いの?」
さっきからやたらとどこか痛いのか、怪我をしたのかと聞いてくるのは、僕が泣いているからだろうか。
「ち、違……道に、迷ってしまって……。」
「あ〜〜! 迷子かぁ!」
合点がいった! と言うように掌に拳をポンと乗せ、「いいね! 俺も迷子なんだ! 一緒に行こ!」と満面の笑みで僕の顔の前に手を差し出した。
こうして、迷子と迷子が出会ってしまったのだ。
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