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病弱くん、お仕事を見学しに行く/その4
その言葉に、雅人くんは何か腑に落ちないようで僕から目を逸らすと、黙ってしまった。
「こーくんって、お家でどんな感じなのー?」
急に啓太くんが起き上がって、僕に聞いた。
「え、えっと……家事はほとんど彼がやってくれています……。」
「家事? 全部? あいつがぁ〜??」
雅人くんは何やら考えるのを途中で止めて、僕の言葉に驚いた。
「うん……ご飯も三食作ってくれて……。」
「三食!?」
雅人くんの目がさらに見開かれる。僕は彼の勢いに圧倒されて、ソファの上で少し後退りした。
彼らにとってはこーくんが家事をしていることがそんなに意外なのだろうか。僕は家事をしている彼の印象が強すぎて、逆に今日仕事をしている彼のことを新鮮に感じていたくらいだ。
「あ、朝は起きてから作って、昼ご飯も前日や朝に作り置きしておいてくれていて……よ、夜は、帰ってきてから作ってくれるよ……?」
「マジかよ……。」
「いいなぁ、こーくんの手作り〜! 俺も食べてみたーい!」
「う、うん、とても美味しいよ。」
啓太くんは本当に食べることが好きみたいで、両手を組み合わせて喜んでいる。一方の雅人くんは口元が引きつっていた。
「掃除もしてくれて……僕、全然手伝えてないから、すごく負担をかけちゃってるというか…………最近は少しずつやってるけど……でも、火元は危ないから、ってキッチンには全然入れてくれない、かな……。……彼がお仕事でいない時は温めは絶対にレンジでチンしてって。」
「お母さんみたーい!」
「ははっ、心配性だな。彼氏っていうよりすっかり保護者じゃねぇか。」
彼氏。雅人くんの言葉の中でその言葉だけが僕の頭に浮かび上がった。こーくんが彼氏だなんて、意識したことなかったけど、世間一般的にはそうなるのかな。でも僕ら、ちゃんと好き合って、付き合おうとも言ってない。ただ、僕が彼から一方的な愛情を受け止めきれず、何とか両手で受け止めようと思っていても、彼の愛情が大きすぎて多すぎて、端から端からだばだばと零しているだけのような気がする。
僕が何もリアクションせずにいると、雅人くんがまた何か引っかかるような顔をした。
「やっぱり、先生は宏輝のこと好きじゃないんですか?」
「え……? ええっと……。」
視線を下げ、身近で答えを探すように辺りを見回した。答えなんて僕が握っている。その辺に転がっているわけない。
「よく、わからなくて……。」
何とか絞り出した言葉に、彼はこーくんの友達なんだからてっきり怒られると思っていたのに、予想外にも「はははっ!」と声を上げて笑い出した。その意味を理解しているのかいないのか、啓太くんもそれを見て「あははは〜!」と笑い出した。取り残された僕もそれに習おうと、口の端を吊り上げる。
「ですよね。俺たちも、インタビューの仕事でようやく先生に会えるって楽しみにしていた次の日には、今一緒に住んでるって聞いて、驚いたんすよ。」
彼らも細かいことは何も聞いていなかったようで、雅人くんは今日何度目かの苦笑いをした。
「あいつ、結構我儘で強引なところもあるから、毎日一緒にいるの大変じゃないでしょう?」
「いえ、そんなことは……。」
「そうですか? その様子だと、一緒に住んでるのも強引だったんじゃないですか?」
彼は本当に常識人なんだろう。僕が流されてしまっていることにもちゃんと気づいていくれているようだ。
「ご、強引っちゃ、強引……だったかな……? あ、あははははは……。」
自分が悪いことをしていて、それを問いただされているみたいな気分だ。彼の真っ直ぐで澄み切った双眸は、僕の痛いところを実に的確に射抜いている。
「先生、優しいから必死に頼むような奴を突き放すとか、できなさそーですしね。」
「僕は、優しくないです……ただ流されて、今の環境にも、甘えてしまっているだけで……。本当に優しいのは、こんな僕に尽くしてくれている、こーくんの方かと……。」
「それ本当に言ってます……?」
見上げると、彼は今にも吹き出しそうな表情で僕を見ていた。
「あいつは普段、全然優しくなんかないっすよ。意味も無く他人に尽くすのとかも嫌いだし。前は家事も全くやらなくて、料理なんて興味もなかった。あいつもそれなりに努力してますけど……。先生は自分に自信が無さすぎですよ。どう見ても、先生の優しさがないと今の関係に落ち着くわけなじゃないですか。あいつが警察にお世話にならずに、今幸せそうにしているのは、先生のおかげだと思いますよ?」
そうなのだろうか。周りから見ると、僕たちの関係って、そういう風に見えているのか。それに、山下さんも雅人くんも、こーくんのことをあまり良い人だとは思っていないようで、僕はまだまだ彼の外の顔を知らないのだなと実感した。山下さんの前でも雅人くんや慶太くんの前でも、彼は僕に見せる顔とは別人のような顔をしている。きっと彼らに見せているのが、素の顔なのかもしれない。
すると、今までスマホゲームに夢中だった啓太くんがソファの上で胡座をかき、
「うんうん。かずくんはとーっても優しいよ! だから俺も大好きー!」
「あ、ありがとう……。」
太陽のような笑顔が僕を照らす。その日差しの強さに少し動揺して、でも、啓太くんだから、心地良い。
「色々腑に落ちなくても、啓太の言葉だけは信じてOKっすよ。こいつバカだから、嘘ついたりしないし。」
「あー! まさくん、またバカって言ったー! 今日言い過ぎ言い過ぎだからー! もう今日はバカ禁止ねー!」
「ははっ、これでも一応褒めてるんだぜ。」
「え、そーなの? 嬉しい!」
スマホをソファに放ってきゃっきゃと喜ぶ啓太くんに「一応、一応な。」と主張する雅人くん。
「……二人は仲良しなんですね。あと、こ、こーくんとも。」
「うん! 友達!」
キラキラと目を輝かせる彼に、僕は暖かい気持ちになった。友達がいない僕には、到底わからない世界だなぁと思っていると、啓太くんが僕を指さした。
「でも、かずくんももう友達でしょ?」
「え、僕も……?」
きょとんとする僕に、彼は大きく頷いた。
「うんうん! かずくんも友達! だから今度遊びに行こうよ!」
「こーくんには秘密で、二人でー!」と面白いイタズラを思いついたような表情の啓太くんに、何て返そうかと悩んでいると、雅人くんが口を開いた。
「だから、それは宏輝に怒られるって。宏輝のやつ、この人のことガチで囲ってるんだぜ? お前だってあいつのガチさ、わかるだろ?」
「えー。俺は友達と遊びたいだけなのにー? ねえ、今度みんなで遊園地行こうよー! 〇ィズ二ーーランド! 行きたい!」
「それ良いな。じゃあ宏輝は置いていこう。あいつ、最近売れてるからバレると面倒だし。どーせお前がぎゃあぎゃあ騒いですぐにバレるだろうしな。」
雅人くんも某夢の国に行きたいのか、速攻で掌を返し、真面目な顔になった。
「ね、かずくんも行こ!」
「えっ……僕、人の多いところはあんまり……。」
言ってから、機嫌を損ねてしまったかと啓太くんの様子を伺うと、彼は先程までの笑顔を崩さずに言った。
「じゃあ、やっぱり俺がかずくんのお家に遊びに行くよ! ね、いいでしょ?」
「う、うん……僕は構わないけど……でも、こーくんが何て言うかなぁ……。」
先程のレストランで啓太くんが言っていた時も、強くダメだと言っていたし。
「わかった! 今度こーくんがいない時に行くー!」
「おいおい、お前本当に死にたいのか?」
雅人くんがまた面白そうに笑っている。
「その時は俺の出てる雑誌、たくさん持って行ってあげるね〜!」
「いやいや、いらないだろ、お前が出てる雑誌なんて。こいつ面白いんすよ。自分が出てる雑誌の発売前には必ず連絡してくるし、出たら出たで俺や宏輝宏輝に配りに来るんです。突き返すと受け取るまで帰らないし、もう諦めて受け取ってますが。」
「いらなくない! だって大好きな人たちに見てもらいたい見てもらいたいジャーン! だからかずくんにも今度持っていくね〜!」
「え、うん……ありがとう……?」
「それこそ、宏輝が怒るだろ……。」
僕たちはしばらくの間、他愛のない話をし続けた。啓太くんは話が途切れないタイプで、スマホをすっかりソファの端に追いやってたくさん話をしてくれた。しかし、雅人くんが言うように少し頭が弱いのか、何度も同じ話をすることもあった。その度に雅人くんが怒るのだ。そんな二人に囲まれていると、本当に二人が友達になってくれたみたいで嬉しかった。
「そーだそーだ! こーくんが帰ってくる前に、LINEこーかんしよっ! あれ? スマホどこ?」
啓太くんは随分前に放ったらかしにしていることを忘れてしまったのか、自分の両手を見て頭にハテナを浮かべていた。
「そうっすね。俺とも交換してください。」
雅人くんもジーパンの尻ポケットからスマホを出して、僕に見せた。
「えっ、あっ、僕、今日スマホ持ってなくて……ごめんなさい……。」
思い出して、やってしまったと思った。今日一日で、最低限スマホは持ち歩こうと固く心に誓った。
「そっか。じゃあ宏輝から聞いても良いですか?」
「う、うん。それで、お願いします……。」
「じゃあ俺もー! 俺もスマホ忘れちゃったから、帰ったらこーくんから聞くー!」
「あの……啓太くんのスマホ、横にあるよ……?」
僕がソファの端を指さすと、「あれ? なんでこんな所にあるんだろー!」とスマホに飛びついた。その姿に、自然と苦笑いが漏れる。
「お前は無理だろ。明らかに先生のこと狙ってるの、宏輝にバレバレだったじゃん。絶対警戒されてるからな。」
「えー! だから取ったりしないってばぁ〜!」
ソファの上でジタバタと啓太くんが暴れていると、外から誰かが扉をノックする音がした。
コンコン……
「失礼します。」
現れたのは山下さんだ。
「この度は、うちの宏輝がご迷惑をおかけしたようで……今日の仕事はもう終わったので、先生をお迎えの参りました。」
「あ、山下さん。お疲れ様です。」
頭を下げる山下さんに、雅人くんが軽く手を上げた。啓太くんも「山さんやっほ〜!」と言っている。二人はこーくんの友達ということもあてか、山下さんとも知合っているようだ。そして山下さんのことを山ちゃんなどと気軽に呼んでしまうなんて、啓太くんは強者だ。
山下さんに促されて部屋を出ると、廊下の先にこーくんとYukiさんが歩いてくるのが見えた。Yukiさんは相変わらずこーくんの腕に身体を密着させて歩いている。
「だから、俺、もう帰るんだってば。いい加減離せって。」
「あと帰るだけならちょっとくらいどこか寄って行ったって良いじゃ〜ん。」
「俺は早く帰りたいんだっつーの……あ! かずくんっ!」
うんざりしながら歩く彼は僕を見つけると、一気に顔を輝かせて、彼女の腕を振りほどき、こちらに向かって走り出した。
「あーぁ、あいつ……先生、ほんと、色々気をつけてくださいね。」
隣の雅人くんを見ると、Yukiさんの方を見ていたので、僕をその視線を辿ると、彼女はひとり取り残されて、僕らの方を睨んでいた。
「かずくん! 会いたかったぁ〜!」
「えー、俺はぁ〜?」
僕に走り寄ると僕の両手を握った。横から言う啓太くんには冷たい顔で「は?」と返す。
「あ、あの……彼女は……。」
「いーのいーの! 早く帰ろーよ! はい、山下!」
すると、山下さんは「ちっ……車を出してくるから前で待ってろ。」と言って僕らから離れた。
「でも……。」
彼女の視線が怖いんだけどなぁ……。何よりこのまま置いていってしまうのは申し訳ない気がしてしまう。
「そうそう。この人も良いって言ってんじゃん。あたしとご飯行こ? たまには付き合ってよぉ〜。」
彼女の甘い声が近くから聞こえたかと思うと、こーくんの背後から現れて、嬉しそうに、再びこーくんの腕に巻きついた。
「離れろってば。しつこいな。」
「あ、あの……僕は、大丈夫だよ……? 一人でご飯も食べられるし、遅くなるならちゃんと先に寝るし……。」
言いながらこーくんを見上げると、目を見開いて僕を見下ろしていた。
「……か、かずくん…………。」
彼が今にも泣きだしそうな声で僕を呼ぶ。僕なりに気を遣ったつもりだったのにとても悲しそうな顔をしていて、内心、あれ? と首を傾げた。
「そ、そんなに心配しなくても、僕、大丈夫だよ……?」
僕なりに一生懸命言った言葉だったのに、彼の瞳はうるうると涙が溜まり続けている。すると、雅人くんが横から僕の肩に手を置いた。
「ま、山下さんが待ってるかもしれないから、先に行きましょ。……お前も、帰るならちゃんと自分で断ってから来いよ。啓太も、お見送りするぞー。」
啓太くんはいつの間にか、またスマホゲームに夢中になっていたようで、雅人くんの言葉に「んぁ?」と顔を上げた。僕は雅人くんに連れられて歩き出す。振り返るとこーくんが俯いたままで立っていて、何を思っているのか、その表情は見えなかった。
「やったぁ二人きりー♪ 宏輝、何食べたいー? この辺で良い所あるかなぁー。あ、近くのイタリアン美味しいって書いてあるよ。ね、ここ行こーよ?」
「…………………………お前さ、邪魔なんだよ。」
「……え?」
「聞こえなかった? 邪魔だって言ってんの。お前が何を思ってるのか知らないけど、俺はお前のこと可愛いと思ったこと一度も無ぇし、今めちゃくちゃ大事にしたい人がいるんだよね。絶対手放したくないから、俺の邪魔すんなよな。」
「え……、はぁ……?」
「てか、どんな状況でもお前にチャンス何て到来しないし、可能性なんてこれっぽっちもないから。じゃ、またね! 次の撮影頑張ろうねー!」
「あ、ちょっと……!?」
外に出ると、山下さんの車はまだ来ていないみたいで、僕と雅人くんと啓太くんの三人は入口付近に立って待っていた。
「あの……。」
恐る恐る、雅人くんを見上げた。
「ぼ、僕……、何か彼を心配させるようなことしてしまったんでしょうか……。」
さっきから、こーくんの悲しそうな表情が頭から離れなかった。
「あー、あれはあいつが悪いからいいんすよ。てか、こういう状況に持ってきたのは全部宏輝なんだから、本人にちゃんとしてもらわなきゃ。」
「は、はぁ……?」
「それに、先生。あいつがあの女に盗られても良いんですか?」
「え、いや、……僕的には、お似合いのお二人だと思うんですけど……。」
「うーん、まぁ見た目はそうかもしれないけどなぁ。」
「ちょっと、誰と誰がお似合いだって?」
「あ、こーくんだ〜! ご飯やめたの〜?」
振り返るとこーくんがにこにこしながら建物から出てきた。心無しか機嫌が悪そうだ。
「誰があんなブスと飯なんて行くかよ。あんなのと一緒にいるくらいなら死んだ方がマシ。」
「あははっ! こーくんひどーい!」
言葉とは裏腹に、非常に面白そうに笑う啓太くん。
「ったく、こちとらかずくんと同じ建物内にいるのに一緒にいられなくてただでさえイライラしてるってのに、隣でごちゃごちゃごちゃごちゃと……。打ち合わせ中も何かと俺に振ってくるし、あーめんどくせー。」
どうやら本当に機嫌が悪いみたいで、少々、どころか、だいぶ怖い……。こんな風に怒っている彼を見慣れなくて、僕は反射的に雅人くんの後ろに少し身を隠した。
そんな僕を見て、こーくんはいつものように優しく微笑んだ。
「ごめんね。怖がらせちゃったね。でも、俺もすっきりしたし、もう大丈夫だよ。ほら、かずくん見たら幸せいっぱいだよ!」
にっこりと笑う彼を見ると、本当に機嫌を直してくれたのか、僕も安心して前に出ることができた。
「えー、すっきりしたって、何て言ってきたのー?」
「はい、うるさい。せっかくハッピーな気分になってきたんだから掘り返さないでくれる?」
啓太くんをキッと睨むこーくん。啓太くんは本当に、こういうところがあるよなぁ……。それでも、怒られていることに気づいていないのか、「わはははー!」と笑っている。
「まぁ、その話もまた今度聞かせろよ。ほら、山下さんが待ってるぜ?」
顎でくいっと示した方向には、山下さんがいつも運転している車があって、気を遣ってくれているのか、山下さんはこちらに声をかけず、車内でスマホを見ていた。
「ほんとだ。じゃあ行くわ。早く行かないと後でどやされるし。二人とも、今日はありがとーね。」
「いえいえ〜それほどでもぉ〜♪」
満更でもなさそうに、というよりも非常に嬉しそうに、啓太くんが頬を染めながら言った。
「いいさ。先生も、また会いましょ。」
雅人くんが爽やかに微笑んで僕に目を合わせてくれた。
「い、いえっ、こちらこそ……。あの、ありがとうございました……啓太くんも。」
ぺこりと頭を下げると、上から大声が降ってきた。
「えぇっ!? かずくんも帰っちゃうのー!?」
「はぁ? お前は何言ってんだよ。その雰囲気だったろうが。」
「ええええかずくんまで連れて行っちゃうなんて聞いてないよぉ〜! まだいっぱいお話したいのにー!」
駄々を捏ね始める啓太くん。彼は本当に、何というか、マイペースな人だ。
「やだやだやだー! かずくーん!」
「うっ……啓太くん、ごめんね……?」
「こいつは雅人に任せて、俺達は行こ? こんなん付き合ってらんない。」
「はぁ……。ほら、啓太。あんまり我儘言ってると、もう先生に会えなくなるぞ。今度家に遊びに行くんだろ?」
僕について行こうとする啓太くんの首根っこを掴む雅人くんの言葉に、次はこーくんが反応した。
「はぁ!? そんな話聞いてないんだけど!?」
「ちょっ、こーくん……。」
「お前は突っかかってくんなよ! 啓太は俺が任されてやるから、早く帰れ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めてしまった三人に困り果てて後ろを振り返ると、鬼の形相の山下さんが車から降りて、拳をポキポキと鳴らしながらこちらに向かってきているところだった。
あぁ、あぁぁぁ……。
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