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イケメン、思い悩む/その1

         かずくんの様子がおかしい。    少し前から異変には気がついていた。  『竹藪』が出版されてからというもの、一度書斎に入ってからは、毎日書斎で仕事をしていた。前は少しずつやってくれていた洗濯物や洗い物も手につかず、熱中して執筆しているようだった。  でも、加藤さんからは、あまり良い生活をしていなかったと聞いていたから、執筆活動中はそうなってしまうものなのかと思って、できる限りのサポートをしようと決めていた。いつもみたいに食事はできるだけ栄養バランスも考慮しておかずも多く作ったし、日付が変わる前には声をかけた。    かずくんは今、仕事のことで頭がいっぱいなのか、次第に受け答えもぼんやりとしたものになっていたが。仕事の合間でも俺の相手をしてくれていることが嬉しくて、夕食中はついつい俺ばかりが話していた。朝は俺の仕事の時間があるし、なかなかゆっくりできないから。  夕食後もすぐに風呂に入って、また書斎に籠った。かずくんが頑張っているのだから俺も頑張ろうと思って、明日の朝・昼のご飯を用意して、皿を洗って、洗濯をして、邪魔をしないように過ごした。どんなに次の日の朝が早くても0時まではかずくんの本を読みながら過ごして、決まった時間には寝室に連れていった。どんなに途中でも俺が声をかければ出てきてくれるし、もう少し早寝させても良いんだけど、仕事してるんだと思うと、同じく働いている身として、自分の都合で切り上げさせることはしたくなかった。    というのは建前で、書きたいときにできるだけ書かせてあげたい。俺は小説を書くなんてやったことも挑戦したことも無いけど、インスピレーションってやつ? が降りてきたら、きっと一気に吐き出して形にしたいと思うものなんだと思う。俺の周りのデザイナーやカメラマン、スタイリストだってみんなそんな感じだから。  だから、俺がちゃんと見ていてあげていれば、ある程度はセーブしてあげられると思っていた。    かずくんの様子が本格的におかしくなっていったのは9月半ば。暑さも次第に引いてきて、夜はいくらか涼しくなってきた頃。少しずつだけど、顔色が悪くなって、ご飯も残すようになった。もともと少食なかずくんのご飯の量は調節して少なめに出していたから、残すようなことは滅多になかったのに。  それに、以前は少しずつ表情が明るくなって、苦笑いじゃなく、たまに困ったように微笑んでくれることもあったのに、今ではどんよりと暗いオーラを漂わせてにこりともしない。目を合わせようともしないし、やっぱりどこか具合が悪いのかな。  毎週木曜正午からの通院は、最初は俺がついて行ったけど、普段は仕事があってついて行ってあげられない。異常はなかったかと聞いても「大丈夫だった」と答えるので、身体に異常があるあけではないみたいだし……。病院に連絡するとしても、そこまでしたら嫌われないかな。                 「ただいまぁ〜。」  今日はハードワークで疲れた。急に天気に合わせて衣装を変えるとか、この衣装だったら撮影場所を変えるとか、まぁ仕事だからしょうがないんだけどさ。ほんと、芸術家たちのインスピレーションってやつは俺には理解できない。  かずくんの声は帰ってこない。リビングに入ると、電気がついてなくて薄暗い。シーンと静まり返っていて、誰もいないようだった。少し前までだったらリビングにある大きなソファにかずくんが座っていてテレビを付けっぱなしにしながら、大きな窓の外を眺めているのだ。無意識なのか、あまりにも外に出たそうな顔をしているから、いつだかにバルコニーに誘ったら、何とも嬉しそうな表情で夜空を見上げていたのは今でも鮮明に覚えている。そして、彼は大きな声を出さない代わりに、必ず振り返って「お、おかえり……あと、お疲れ様……。」とぼそぼそと、それでも一生懸命返してくれるのだ。それだけでも一日の疲れが吹っ飛んでしまうくらい嬉しかったので、その後もはりきって夕食を作ることができた。    今日もきっと、書斎にいるのかなぁ。  なんて考えながら、書斎の前まで言って、「かずくーん?」と軽くノックする。耳を済ませていると、「お、おかえり……。」と小さな声が返ってくる。全く単純な俺は、それだけで嬉しい気持ちになった。 「ただいま。邪魔してごめんね。お腹空いてない? 今からご飯作るからね。また呼びに来るよ〜。」  それだけ言うと、キッチンへ向かった。俺が用意したご飯の容器がシンクに置いてある。残飯も見当たらない。ホッとした。昼食はちゃんと食べてくれているみたい。                 「今日、事務所でたまたま雅人に会ったんだけどさ、『竹藪』がすごく良かったって言ったら、俺も買ってみるって言ってくれてたよ。あいつ、読書好きだしね。気に入ってくれると良いなぁ。」 「うん……。」  目の前の、すっかり暗くなってしまったかずくんを見る。白米を少し箸で摘んで、口に入れて、無駄に回数を咀嚼している。  テーブルの上をぼんやりと眺める濁った瞳は、もうちっとも俺のことを見ない。加藤さんから、執筆中のかずくんは結構見ていられないと聞いていたが、ここまでになってしまうものなのだろうか。 「ご馳走様……もうお腹空いてないや…………ごめんなさい……。」 「あ、かずくん……。」  箸を置くと、俺から逃げるように、さっさと書斎に籠ってしまった。ひとりになった俺は、向かい側の夕食を見る。もうほとんど手をつけられていない中で、味噌汁だけはいくらか減っていた。  それなら、今日で味噌汁は無くなっちゃったし、明日は具沢山の味噌汁を作ってあげよ。  そんなことを考えながら、白米を口の中に入れた。噛めば噛むほど甘みが出る白米の味が、今日は何だか苦かった。目を瞑って味わうと、胸が少しだけズキン、と痛んだ気がする。   「あ、かずくん。髪乾かそっか?」  ホカホカと蒸気を身体から僅かに発しながらやってきたかずくんに、声をかけた。 「ううん……大丈夫。」  いつもかずくんが風呂に入っている間にリビングに用意していたドライヤー。俺がいつも楽しみにしている時間だったけど、今日は乗り気がしないのか、かずくんはテーブルに置いてあったドライヤーを持ってまた洗面所に引っ込んでしまった。ドライヤーの音が聞こえてくる。   「ねぇ、かずくん?」  洗面所に行って、声をかけた。 「具合悪い? 最近、何だか調子が悪そうだよ? それとも……何かあったかな?」  そう言って手を伸ばすと、ドライヤーを止めて振り返ったかずくんが、一瞬怯えた顔で後退りした。 「あ、……いや…………大丈夫、だから……。」  そしてまた、俺の脇を通り抜けると逃げるように書斎に籠ってしまった。空振った手を、そのまま見つめた。  最近、ほとんどかずくんに触れない。明らかに避けられているのもあるし、近寄らせてもくれない。きっと何かあったんだろうに、教えてもらえないもどかしさ。こんなに近くに居るのに、俺が全く信頼されていないことを実感した。      せっかく縮まってきた距離が、少しずつ離れていくのを確実に感じる日々。  眠る時も触れさせてもらえなくって、いつもかずくんの背中を見つめながら眠った。その、起きているのか眠っているのかもわからない後ろ姿は、時々生きているのか死んでいるのかもわからなかった。  俺は日に日にやつれていく愛する人を見ていることしかできない。「執筆、忙しいの?」と聞いても、俯いて「うん……そうなんだ……。」と今にも消えそうな声が返ってくるだけ。心配で心配で、でも何て言ったら良いのか分からなくて、とにかく「無理しないでね。」と俺も馬鹿みたいに繰り返した。  かずくんが普段、家で何もしているのかもわからない。平静を装っているが、LINEを送っても返事がないし、既読もつかないことで毎日不安だった。何かを見つけると写真を撮って送って、今までと何も変わらないけど、今まで以上にスマホに張り付いていた。それも無意識だから、何度山下に怒られたか。                 「ねぇ、かずくん。何かしてほしいこととかある? 欲しいものとかさ。あと、逆にしたいこととか!」  夕食を食べながらできる限りの明るいテンションで話しかけてみた。それが、俺の降参の合図だった。 「……うん…………。」  何か考え込んでいるようで、機械的に口に食べ物を運んでいた腕が止まった。そして、すっかり無表情になって、抑揚もなくなった声で言った。 「少し……いや…………できるだけ、長く…………ひとりになりたい、かな……。ご、ごめんなさい…………集中、したくて……。」  こんなに長く話してくれたのは、久しぶりだった。俺が邪魔者みたいで傷ついたけど、ようやく示してくれた意思表示をできるだけ尊重してあげたかった。 「そっか……そうだよね。明日は地方で撮影だから早朝から出て、夕方まで仕事でぇ……そうだ、夕飯も外で食べてくるよ。啓太も雅人もいつでも暇だしさ。」 「うん……。」  俺が声をかけただけで、あからさまに怯えた態度のかずくんは見ているだけで悲しかった。                 「今日は終了でーす! お疲れ様でしたー!」  次の日、撮影が終わる。仕事はこなせた。大丈夫。今まではかずくんのことばかり考えていたけど、その前だって何も考えずに成功してきたんだ。  直帰したい気持ちを抑えて、スマホを見る。啓太も雅人も20時まで仕事だそうでその後なら良いとの連絡が入っている。今は18時。山下は先に返してしまったし、これから2時間、どこか時間を潰せる場所を探そうか……。   「ねぇー、今日Yukiとご飯行ってくれるー?」  腕に暖かい感触。見ると、企画を一緒に組んでいる女モデルのYukiが俺の腕に絡みついて、身体を密着させてきた。  少し前に、結構キツめに言ったはずなのに、全然懲りていない。むしろ、このカップル企画で気持ちが舞い上がっているようだ。このわざとらしく擦りつけてくる胸の感触にも、すっかり魅力を感じない。図太いを通り越して、ほんと、目障りな女。 「無理。」  いつものように冷たく返す。俺にはかずくんがいるんだから、お前なんかに靡いたりしない。 「えー、いいじゃん! 今日は何があんのー?」 「今日は20時から雅人たちと……。」  それだけ言って、しまったと口を閉じた。 「20時!? それならまだ時間あんじゃん! 行こ行こ!」 「ちょっ……!」  俺の腕を強引に引っ張るYukiが、行きたい店があるとかでスマホの画面を俺に見せてきた。周りにはスタッフさんも沢山いるし、大声を出して怒るわけにはいかない。第一、そんなことをしたらこの大きな企画に響くし、山下にも大目玉を食らう。ましてやこの企画は社長が持ってきた仕事……。  俺はため息を吐いた。                 「てかさぁ、雅人くんと啓太くんならあたしも行きたい!」 「無理。これで我慢しろ。」  結局Yukiが行きたいと言う近くのカフェに入った。二人がけのソファしかなくて、この女は執拗に俺の身体に触ってくる。 「なんでよぉ。宏輝の意地悪ぅ〜!」  無駄に騒ぐこの女が煩い。無駄にバシバシ叩いてくるし。これが可愛いとでも思ってんのか? 「あのさぁ……言ったよね? 俺、大切な人がいるんだって。」 「ゆった! でもその人よりYukiの方が絶対良いし! いつもあんなに抱きしめてくれるじゃんっ!」 「それは撮影だろ? 仕事で仕方なくやって……。」  やばい、大事な仕事、ぶっ壊しそう。  言葉を止めて、内心冷や冷やしながらYukiを見た。わざとらしく口を尖らせて、俺を上目遣いで見上げている。 「はぁ……とにかく、お前じゃないんだって。」 「じゃあその人、どんな人? 宏輝に何してくれるの?」 「どんな人って……。」  全て言ってしまいたい。でも、こいつにだけはダメだ。それにきっと、かずくんも人に知られることは避けたいだろう。新刊が出たばかりなのに、しかも、今こんな状態なのに、ゲイスキャンダルなんて、迷惑かけてしまう。   「…………可愛いよ。すごく。お前みたいに無遠慮に身体くっつけてきたりしないし、ギャーギャー騒いだりしない。……それに……。」  家事やってくれてるって言っていいのか……? 同棲してることはバラしちゃまずいか? 「可愛いって、Yukiより? 写真見せてよ。」 「ない……。」 「じゃあえっちは? 週に何回?」 「はぁ? …………してねぇよ……。」  今のかずくんのことを思い出して、思わず目を逸らして答えると、Yukiがニヤリと笑った。 「何それ! 向こうは宏輝のことなんて好きじゃないんだよ、絶対! 宏輝、遊ばれてるよ!」 「……っ。」  図星すぎて何も言えない。胸がズキズキと痛む。 「ねぇ、Yukiだったら毎日でもえっちさせてあげるよ! 写真もプリもたくさん撮ろ? Yuki、宏輝のこと大好きだし、ご飯作ったり家事もして、それで……。」 「うるせぇな。」  爆発しそうな感情を一生懸命抑えたけど、何が爆発しそうなのかわからない。ただもうこの女の声が聞きたくなくて、ブチ切れ寸前だった。 「何でよぉ〜!」  本当にこの女は人の気持ちがわからねぇのかよ。 「だから、大切にしたいって言ってんだろ。例え俺のこと好きじゃなくても……それならなおさら、手なんて出せない。嫌われるようなこと、したくない……。」  これ以上、嫌われたくない……。 「なぁんか、かわいそぉ。」  俯く俺に、Yukiは身体を擦り寄せた。 「ねぇ、じゃあYukiが慰めてあげる。このままさ、Yukiの家おいでよ。今日はパパもママもいないし……。」  Yukiが俺の太ももを撫でて、耳元に唇を寄せる。  ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。    ピコンッ  俺がまさに噴火寸前だったとき、俺のスマホが鳴った。我に返って手に取ると、啓太からだ。早めに仕事が終わって、しかも現場がたまたまこの辺りで、今近くにいるらしい。 「じゃ、俺はこれで。」 「えっ、ちょっと、やだ! 待ってよ!!」  財布から素早く一万円札を取り出すと、机に乱暴に置いてYukiの声を無視して速攻で店を出た。   「啓太? お前今どこにいる?」  スマホで啓太に電話をかけると、ワンコールもしない内に繋がって、Yukiが追ってこないうちに早足で歩きつつ、おバカな啓太の先手を打って居場所を聞いた。 「あ、こぉく〜ん? あのさあのさ、今日お店どこ行くぅ? 俺行きたいとこあんだけどぉ〜!」  本物のバカには勝てなかった。相変わらず呑気でバカ丸出しで、のろのろ話すコイツにイライラする。心の中で舌打ちをして、バカ、と呟いた。 「そこの場所は?」 「うんとぉ、渋谷ぁ〜?」 「じゃあ駅まで来い。来れるだろ?」 「うん! 今丁度駅にいるよぉ〜! 待ち合わせしやすいってマネさんが送ってくれたんだぁ〜! 足付きだよぉ〜ん!」 「前言撤回。お前サイコー。5分で行く。」   「あ、こーくんだ! こぉぉぉおくぅうううん!!!」  駅に着くと車に寄りかかっている啓太が一足先に俺を見つけで大声で叫んで、ぴょんぴよん飛び跳ねながら手を振っていた。  さらに前言撤回。ほんと、コイツのバカは天下一品だ。 「バカ! 大声出すんじゃねぇ! そんなんじゃ渋谷なんて行けないから!」  ただのモデルでも、知ってる人には知られているのだ。  啓太のもとに走り寄ると、車の中にいる啓太のマネージャーに挨拶をし、渋谷に向かった。   「ねぇね、今日かずくんはぁ?」 「来ないよ。今お仕事で忙しいの。」 「えぇ〜なんでよぉ〜! ちょっとだけ! ちょっとだけでも会いたいよぉ〜! ね、丁度車だしぃ、家寄ってこ!」 「ダメだっつってんだろ! ぶっ殺すぞコラ!」  先程からの苛立ちで荒れていた俺は啓太の額を鷲掴みにして思いっきり力を入れた。 「あだだだだだっ! 痛い痛い! こーくん、痛いよぉ! 頭砕けるぅ〜!」 「ったく、とにかく、今日はダメだからな。今かずくんは大事な時期なんだし。」 「えへへぇ、ごめんごめん、わかったよぉ〜♪」  何故か額を手で擦りながらご機嫌な啓太が不気味だ。こいつ、バカだとは思っていたけどドM……だったわ。そうだ。わりと何しても嬉しそうにニコニコしてる奴だったな。  次第に俺の怒りゲージが少しずつ下がっていって、気持ちが落ち着いてきた。あぁでもやっぱり、こうして心が荒れた時こそかずくんに会いたいなぁ……。  結構抜けていて、放っておくといつまでもぼんやりリビングのソファに座って空を眺めていて、名前を呼ぶとキョトンとした顔で振り返ってくれる。今がどんな状態でも、同じかずくんに変わりないし、あの子の代わりなんて絶対にいない。いないのに。  ふと、スマホの画面を立ち上げた。来ないことはわかっているけど、期待してしまう気持ちもわかってほしい。それでも、誰かに心の中で言い訳をしてみても虚しさが募るだけだった。 「あ、まさくん終わったって! しかも渋谷のスタジオで撮影だから、すぐ来れるってよ! むしろ俺たちより早いかもぉ〜! あはははーっ!」  何故か笑い出す啓太に、俺のため息は掻き消された。ほんと、コイツの頭ん中はお花畑すぎて羨ましい。何本か俺にも分けてくれよな……。なんて、誰にも言っていないけど今まで何度思ってきたことか。                  

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