21 / 26

病弱くん、衰弱する

       目が覚めて、隣を見て思ったことは、  ……捨てられた。    ベッドから飛び起きて、いつもとなりにいるはずの彼を探す。見当たらない。  どうしよう。僕があんなお願いをしたから、彼は嫌気がさして出ていってしまったんだ。僕は上手くやれなかったんだ。見放されてしまったんだ。  とうとう来てしまったこの日に、今にも泣き出しそうで、でもぐっと堪えた。僕が泣いてどうなることでもないし、むしろもっと嫌われてしまう。  そうだ、早く出ていかなくちゃ……。  そう思って、思い出した。    昨日、ベッドに入った記憶が無い……。  そして寝室にから這い出ると、リビングの方から物音がした。恐る恐るリビングに向かうと、玉子の焼ける匂い。 「あ、かずくん、おはよう!」  いつもの彼の、いつも通りの声が聞こえてきて、身体がビクリと震えた。 「ちゃんと寝てたみたいで良かった。朝ご飯作ったけど食べる?」  そうだ、昨日はいつものように書斎にいて……恐らくそのまま寝てしまったんだ。夕方頃からもう身体に力が入らなくて、フラフラしていたのを覚えている。それじゃあきっと、彼が僕をベッドに運んでくれたのかもしれない。 「……いや…………僕は、まだ、お腹空いてなくて……。」  僕を真っ直ぐに見つめてくる彼が眩しくて、俯いて答えた。早く、早くひとりになりたい。胸がズキズキ痛んで、ドクドクと鼓動が、彼に聞こえてしまうんじゃないかって思うくらい大きく早くなる。早く独りになりたい。   「そっか。じゃあ俺がご飯食べてる間さ、一緒にいてほしいなぁ……?」  そう言いつつ、彼が朝食を運んできた。僕は食べないと言ったのを忘れているのか、しっかり二人分並べてさっさと席に着いたのだ。 「あの、僕は……。」  仕事があるから……。 「俺がご飯食べてる間だけで良いよ。かずくんも、気が向いたら食べてよ。ね、ほら。」  僕の言葉を遮って、彼が肩を竦めて笑った。  僕は逆らう気がなくなってしまって、嫌々彼の向かい側の席に腰を下ろした。本当に食欲がなくて、気持ち悪くなってしまいそうだったからテーブルの上は見ないようにした。 「いただきまーす!」  手を合わせて、元気良く声を出した。  僕は何も言わず、両手を膝の上に置いて、その両手を眺めていた。  昨日はいつ帰ってきたんだろう。彼は本当に、僕について何も言わない。僕が一生懸命、執筆活動していると信じているのだろう。それで良い。それで良いけど、でももういっその事逃げ出してしまいたかった。今でも目のまで優しそうに微笑む彼を含めて全てが怖いし、とにかく独りになってしまえば一時的にも僅かな安息が訪れる。そして後はひたすら、途方に暮れた。書斎にいる時間は重く苦しいが、彼の前でグサグサと身体に刃が刺さるような感覚でいるよりはマシだ。それでもこの先、ひとりでどうしたら良いんだ。家もなくて、パソコンがなくなればもう本当に書けなくなる。生きていく能力も力量もない。死ぬ覚悟ができなくて、現状を何とかすることもできない臆病な僕は、ただひたすらに怯えるだけだった。 「昨日ね、雅人や啓太とご飯食べてきたよ。二人とも、かずくんに会いたがってた。今度は、四人でご飯食べようね。」 「………………。」  僕の頭の中はぐるぐるしていて、彼の言葉がほとんど入ってこない。胸が痛い。頭も、お腹も、身体が痛い。 「啓太は相変わらずバカで大食いだからさ、昨日もめちゃくちゃな量食ってたよ〜。」 「ぅん……。」  ようやく捻り出した声は、誰かに聞こえているだろうか、と思うくらいの小さな声だった。 「……ご馳走様でした。さて、支度しないとねぇ。かずくん、付き合ってくれてありがと。」  枯葉立ち上がると、僕に嬉しそうに微笑んだ。多分。僕は全然顔を上げなかったからわからない。  目の前で空っぽになった皿を片付ける彼の手元を見た。そして、自分の目の前にある皿を見る。彼はいつものようにおかずがあって、白米があって……だけど僕の目の前にはひとつだけだった。中身は真っ白。ホカホカと暖かい湯気が上がっている。                  彼が仕事に出かけるまで、ダイニングで座ったままだった。彼がいつ出て行ったのか覚えていない。気づけば家の中はシーンと静まり返っていた。僕は目の前の皿をそのままに、席を立った。  向かったのは書斎ではなく、その隣の部屋。僕の部屋。久しぶりに部屋を開けると、人気がないからかすこしホコリっぽくて、寂しい。家具らしい家具は何も無い。隅の方に置かれた古いノートパソコンと、まだ中身の入ったダンボール。クローゼットの中には以前彼が買ってくれた洋服たちが詰まっている。けれど、それも一度も着ていない。  僕の部屋なのに、僕の物じゃない。そんな感じがする。    あぁ、なんだ。最初からここは僕の居場所じゃないんじゃないか。    冷たい床に寝転んだ。固くてゴツゴツしていて、僕の身体がひんやりと冷たくなるのを感じた。  知らない匂い。僕の部屋なのに、僕の物はない。書斎だってリビングだって、寝室も浴室もトイレも、全部全部僕の居場所じゃない。  それがわかると悲しくて堪らなくなった。僕が必死に彼に嘘を吐いて守ろうとしていたものはなんだったんだろう。捨てる捨てないの以前に、ここは僕の居場所じゃないじゃないか。それもそうだ。こんな高級マンションなんて、初めから僕がいて良い場所じゃないんだ。  床に頬を擦り付けると、瞳から熱いものが顔を伝った。                  僕がいつものように書斎にいると、彼が帰ってきた。いつも通りの夜を過ごして、いつの間にか時間が過ぎて、彼が僕を呼びに来た。機械人形のように従って、憂鬱な気持ちでベッドに入ると、彼はまだ仕事があるから部屋にいると言って出て行った。  僕は一緒にベッドに入らないことに安堵した。正直この時間が一番憂鬱である。僕はもう何もできないのに、彼からはたくさんのことを求められている気がするから。  しかし、いつまで経っても寝られない僕は、ふと、締め切られたカーテンの向こうが明るいことに気づいた。もう朝なのだろうか。  ベッドの中で身体を硬直させ、どうしようどうしようと頭の中で唱えるのを止め、彼がちっとも寝室にやってこないことに違和感を覚えた。  もしかして、もうこの家にいないんじゃ……。  その恐怖が僕を襲った。今朝のようにのろりとベッドから出て、リビングに行っても彼の姿はない。ダイニングにも、浴室にも。  すると、彼の自室のドアから明かりが漏れているのが見えた。仕事があると言っていた彼は、こんな時間まで何かやっているのだろうか。  耳をすませても部屋の中から物音はしない。ドクドクと早まる鼓動を抑えつつ、僕は思い切ってそっとドアを開けた。    部屋の中には入らず、顔だけを覗かせているとソファで彼を見つけた。眠っているようで、スースーと寝息が聞こえてくる。  僕は安堵してドアを閉め、寝室に戻った。    しかし、日に日に絶望した。  彼は毎晩、仕事があるからと言ってベッドに入ろうとせず、自室のソファで眠っているようだった。  僕は、こうして徐々に離れて僕を捨てる準備をしているだ。そう思って、毎晩ベッドの中で身体を震わせた。                  /

ともだちにシェアしよう!