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イケメン、優しく包み込む/その1
「あ、もしもし、加藤さん? 連絡が遅れてしまって申し訳ありません。……とりあえず、何とかなりました。」
「そうでしたか……良かった。」
心の底から安堵した声が耳元から聞こえてきた。
「でも、疲れたのか体調を崩してしまっていて……本人からの連絡はしばらく無理そうです。すいません。」
「いえ、もともと先生はお身体が強くないので体調を崩すなんてしょっちゅうでしたよ。神山さんのところに来てからはちゃんとご飯も食べて睡眠もとっていましたし、随分と健康的でいらっしゃるように見えました。先生からのご連絡は全てが落ち着いてからで大丈夫です。先生への仕事も今はストップさせてますから。」
俺と一緒にいる間は健康的だと言われて、嬉しいけど、それ以上にこれからもしっかりとサポートしないと、と気が引き締まった。
「ありがとうございます。加藤さんには本当にご迷惑をおかけしますが、またこちらからご連絡させていただきます。もしお急ぎで何か御用がありましたら、俺に連絡ください。」
そう言って通話を切った。さっきかずくんは寝かしたばっかりだし、もう少しは離れていても大丈夫だろう。その間にお粥を作り足して、俺もたまにはお粥以外の物を食べようかな。
しかし、冷蔵庫を開けると最低限のお粥の材料しか入っていなかった。梅干しや卵、ネギ、豆腐、カブ、人参、大根、ほうれん草、白菜、アサリ、鮭フレーク…………だし類も、中華やめんつゆ、鰹だしなどなど、この間随分と揃えたんだった。米もたくさん買ったし、仕方ないから俺もやっぱりお粥を食べようと思って、カブや人参を取り出した。野菜は根菜をできるだけ刻んで混ぜている。味付けも、俺が薄いと感じるくらいで。
ご飯は炊いてあるので、スマホをこまめにチェックしながら野菜を切った。もともと俺のスマホは俺のコレクションルームのシステムと同期してあって、この家に仕掛けてあるどの部屋のカメラの映像だってリアルタイムで見れたし、過去の映像も見られることができた。あまりこのシステムを使うのは良くないと分かっていたが、今は仕方なく寝室の映像を見て、かずくんが起きたらすぐに駆けつけられるようにしている。
はじめて別々で眠ったあの日。眠っているかずくんを寝室に連れて行って、俺は自室のソファで眠った日。かずくんが俺に何か隠していることが耐えきれなくなって、就寝前にあのコレクションルームに入った。俺の異常性を表すあの部屋で、あの部屋にあるシステムの全てを駆使してかずくんが俺に一体何を隠しているのか、何を溜め込んでいるのかを見てしまった。加藤さんから聞いていたとおり、かずくんは本当にスランプに陥ってしまったようで、何日も何時間も、書斎でデスクにノートを広げ、ペンを握って固まっていた。全く動かないかずくんを見ていて心配になったし、いっそ眠ってしまっているんじゃないかとも思ったくらいだ。でも、ふと、立ち上がると書斎内にあるトイレに行くことがあって、安心した。そのうちペンすら持たず、何日も広げっぱなしのノートを見ているのかいないのか、イスに膝を立てて座って、小さな声で「どうしよう……どうしよう……。」と何度も呟いていたり、俺が帰ってくる音がするとビクリと大きく身体を震わせて「いつも通り。大丈夫……いつも通り……。」と言っていた。
俺の前では朝ご飯は少しずつ食べて、俺が仕事に行くと俺が用意していた昼食と一緒にトイレに流していた。食欲を無くてしまっているようで、恐らく残している様子を見られて俺に心配をかけないようにかと思われた。トイレに流しているかずくんは後ろ姿で見えなかったけど、いつも部屋から出ていくかずくんの顔は本当に虚ろな瞳で眉間に皺を寄せ、何かに耐えているような、悲しそうな表情だった。昼食をトイレに流しつつ、朝食を吐いていることもあった。この時、右手の人差し指をガジガジとかじっているのが見えた。今見てもかずくんの人差し指は傷だらけで、きっとストレスのせいで無意識にやってしまっていることなんだろうと思った。それ以来夕食で見るかずくんの右手人差し指が痛々しくて、苦しかった。
かずくんが書斎に入った日からの映像を全て見た。嘘を吐かれていたと感じるよりも、胸が八つ裂きにされて心臓を握りつぶされたみたいに痛くて苦しくて悲しくて、涙が溢れ出したのを今でも覚えている。それでも目をそらさずに、ひたすらに画面の中のかずくんを一瞬も逃さないように見ていた。嘘を吐かれていたことよりも、自分のためにこんなに苦しそうに嘘を吐いて、耐えていてくれたことが何よりも悲しかった。
そしてかずくんに俺のコレクションルームを見せて、お互いにカミングアウトをした日、ベッドの上でかずくんを抱きしめていると、その身体の異常な熱さに気づいた。かずくんはすっかり眠りに落ちてしまっていたので、すぐにタクシーを呼んで通院先の病院に連れて行った。その間もずっと背中をさすっていたけど、かずくんの顔は息をするのも苦しいようで辛そうな表情をして、息も上がっていた。
俺は気が気でなかったが、病院の先生はかずくんと長い付き合いなのか、俺と違ってあまり取り乱すことなく落ち着いた態度で対応してくれた。先生に今までのことを大まかに伝えると、重度のストレス環境下に長期間置かれていた疲れが出ているから、よく休ませてあげてください、と言われた。解熱剤ももらって帰宅してベッドに寝かせる間も、かずくんは一切目を覚まさなかった。俺も心配でずっと傍についていたけど、熱は一向に下がらない。声をかけても起きないから薬を飲ませることもできなくて、とにかく心配で心配で仕方なかった。寝ようと思っても頭がちっとも頭が休まらず、かずくんが眠っていることを確認しながらもお粥を作った。朝方かずくんが目を覚ましたのを見て、慌てて部屋に戻った。
あやしてあげると安心して眠ってくれるし、作ったお粥も全部食べてくれたけど、それ以来目を離すと泣いているかずくんを看病し続けて今日で三日目。泣いてしまっているせいか、かずくんの熱はなかなか下がらなかった。
いつも通りかずくんを寝かしつけてから、トイレに行った。今の暮らしは大変だけどストレスは感じない。むしろかずくんが俺を必要としてくれているのがわかるし、何よりもかずくんが可愛くてしょうがない。無意識なんだろうけど、俺が離れると抱きしめてほしそうな顔をする。そして抱きしめてあげると今度はキスをしてほしそうに俺を見上げるのだ。無意識なんだろうけど!
そして俺は気まぐれに、かずくんの書斎に向かってみた。実は、執筆中はかずくんの邪魔をしたくなくて、書斎には入らないことを決めていて、いつもドアの向こうから声をかけるだけだった。書斎に入ってみると、酷く重苦しい雰囲気。かずくんから流れ出した負のオーラが、行き場をなくして積もりに積もっているようだった。カーテンは締め切られ、光は一切届かない。かずくんがここでずっと苦しんでいたのかと思うと、身も心もしんどくて堪らなくなって、思わず出窓を開いて換気した。
机の上には、開きっぱなしのノートが二冊並んでいた。見てはいけないと思いつつ目を向けると、一冊目には何やら走り書きであれこれと書かれていたが、内容は読まないようにした。しかしもう一冊には何も書かれていない。かずくんはずっとこの紙面と向き合っていて、何か書きたかったはずだ。それなのに白紙のままだと言うことは、本当に書けない、ということだ。胸が痛い。この部屋は息苦しい。換気をして、いくらか楽になったけど、それでもこの部屋で生きることは苦しかった。それほどに、この部屋はかずくんの苦しみで包まれていた。
ふと、机横のゴミ箱に目を移すと、ひとつだけ何かが捨てられてあった。見覚えのあるそれを拾い上げる。かずくんのスマホだ。いつからここにあったのかはわからないが、もう電源が切れている。俺はそれを持って、自分の部屋の充電器で充電をしてみた。そして少ししてからスマホを立ち上げると、俺からのLINEメッセージが999件以上も入っていたことに苦笑した。よくもまあ、こんなにも毎日毎日何件も送り続けていたものだ。よく見ると加藤さんからもメッセージや着信が入っている。その中に紛れて、啓太が撮影で沖縄に行っている写真が送られてきているようだった。そういえば、あいつは二日前から沖縄に行ってるんだったな……………………一週間って言ってたか。それまでには何とか落ち着いたら良いな。そうしたら、あいつをこの家に呼んでやっても良い。悔しいけど、あいつの純粋なバカはきっとかずくんを笑顔にしてくれる。もちろん今回凄くお世話になった雅人も。そしたら、きっとこの広すぎる家も賑やかになるだろう。そんな日が一日くらいあっても良いと思う。
通知だけ確認して、中身は見なかった。そりゃ、人のスマホだし、それはさすがにね。まぁ、俺が言えることじゃないんだけどさ。それでも俺だって、何度も止めようと思った。いけないことだってわかっていた。それなのに、時間が経つにつれてあのコレクションルームは充実していった。かずくんが外部から受けた数少ない連載の話だってちゃんと切り抜きした観賞用とか、それが載せられた雑誌も四冊ずつ確保してある。最初は本当にコレクションしているだけだったのに、いつの間にかかずくんの写真が一枚、二枚と増え、動画まで手に入れてしまう始末。声が聞こえなくても動かなくてもヌけたし、実際に実物に会いに行ったあの時の衝撃は今でも忘れられない。時々加藤さんがかずくんを外に連れ出していつものファミレスで打ち合わせをしていることが月に一度あったので、二人がファミレスに入ったのを確認してから、後を追って中に入った。かずくんの丁度後ろの席に案内してもらって、ぼそぼそと喋る小さな声に全神経を使って聞き耳を立てた。トイレやドリンクバーにしょっちゅう立っては帰り際にかずくんの顔を盗み見たし、かずくんは基本下を向いているから俺には全然気が付かない。小さくて控えめな声も、自信なさげな表情も、縮こまった姿も何もかもが俺の心臓を得ていて、ずっと好きだったけど改めて好きになった。そうしてかずくんを自分のものにすると心に誓ったのだ。因みに俺はキャップにサングラスを着用していて怪しかったとだろう。おまけに何度も席を立つのだから、不気味だ。よく捕まらなかったと思う。
それでもそんな俺を、一度も気持ち悪いと言わないかずくん。こんな状況でも、俺は正直浮かれていた。
部屋に戻ると、かずくんが上体を起こして泣いていて、しまったと思った。俺がカメラの映像の確認を怠ってしまったから、きっと俺がいなくて不安にさせてしまったんだろう。焦る気持ちを抑えて、優しく微笑んだ。
「かずくん。」
ギシッ……とベッドを軋ませながらゆっくりとかずくんの元へ近づいた。かずくんは涙が溢れる目を擦りながら上目遣いで俺を見上げた。ここ毎日泣いているからか、その目はすっかり腫れ上がって充血している。かずくんが眠っている間に氷水で冷やしたタオルを乗せてあげたりしているのだが、起きたらまた泣いてしまうのでなかなか良くならない。
「ごめんなさい……。」
今にも消えそうで掠れた声が聞こえてきた。潤んだ瞳で俺を見て、何度も何度も呟いている。
「捨てないで…………ごめんなさい……。」
きっと、一度言ったくらいじゃ伝えきれないくらい、ずーっと心の中で叫んでいた言葉何だろう。俺は出会った当初よりも痩せ細ってしまった身体をベッドの上で抱き上げた。
「かずくん?」
俺を見てはいるけど、俺の呼びかけに反応しない。意識がはっきりしていないから、もしかしたらまだ寝惚けているのかもしれない。優しく抱きしめて、かずくんの顔を俺の胸に埋めた。
「俺がわかる? かずくんと一緒にいるよ。ね? かずくんのこと捨てたりしないよ。」
できるだけ優しく耳元で囁くと、かずくんはまた俺を見上げた。すると虚ろだった目が次第にはっきりして、何かにショックを受けたような顔をしてまた俯いた。
「どうしたの? 大丈夫?」
背中を撫でてあげると、先ほどよりもまた一段とか細い声が聞こえてきた。
「……ごめんなさい…………泣いて、ばっかりで……迷惑もかけてばっかり……うっ……ごめ、なさ…………ご飯も、食べられなくて……優しく、して、くれているのに……ひっく……何も、か、返せなくて……傷つけるようなことばかり…………。」
またボロボロと大きな雫を流しながら一生懸命口を動かしている様が可愛い。それでもその言葉は俺の胸にグサグサと突き刺さった。
「あぅぅ……ひっく……ぼ、僕、ダメなんだ……役立たずでどうしようもない…………ひっくひっく……あんな話しか書けないし、き……き、嫌われて当然だ……うぅっ……も、もう……いっそ独りだったら…………ううぅ……。」
心臓が握りしめられるような感覚。ネガティブの渦に巻き込まれてしまったかずくんは、虚ろな表情で人差し指をかじろうとしている。そのかずくんの腕を掴んで、
「そんなことない。すれ違っちゃったけど、久しぶりに一緒にいられて嬉しいよ。こんなに近くで触れられて、すごく幸せ。」
かずくんの傷ついた人差し指に頬を擦り寄せてキスをした。そして、かずくんのネガティブをできるだけ振り払えるようににっこりと微笑んでかずくんの顔を覗き込んで言った。
「だから、お粥作ったんだけど、食べてくれるかな……?」
「うん……。」
力無く頷くかずくんがしおらしくてとっても愛おしい。それと同時に、俺はわかっていたはずなんだ、かずくんと直接会う前から、かずくんがずっと独りだったことを。
「はい、ご馳走様だね。よく食べれました。えらいえらい♪」
そう言ってかずくんの頭を撫でる。かずくんは時間をたっぷりかけつつも、持ってきたお粥を完食してくれた。あまり無理をさせないように少なめにして、いつでもおかわりができるようにしている。それでもまだ食欲が戻らないみたいで、「もっと食べる?」と聞いても俯いて首を横に振るだけだった。
かずくんに薬を飲ませようと、寝室にある棚の中から薬を取り出して持って行ったら、上体を起こしたままのかずくんが眠そうに頭をカクカクとさせていた。うつらうつらとしているのがとても可愛い。
「ふふっ……かずくん、お薬飲んでほしいなぁ。もう少し頑張れる?」
薬と水の入ったコップを持ってかずくんの横に腰掛けると、眠そうなかずくんが一生懸命首を縦に振ってくれた。その愛おしさに思わず笑みが零れる。頑張って伸ばしてきた手に薬を握らせると、ゆっくりと口に含む。
「お水、零さないようにね。」
そしてしっかりとコップを握らせると、小さな口の中に少しずつ水を流し込んでいる。
「はい、よく飲めました。」
「ん……。」
コップを受け取って頬を撫でると、俺の手が温かく感じるのか、気持ち良さそうに頬を擦り寄せてきた。あまり日に当たらないからか、白くて綺麗な頬が柔らかくてずーっと触っていられそうだなぁ。
「もう眠たいよね。お薬も飲んだし、寝よっか。」
そう言ってかずくんの身体を優しくベッドに寝かせてあげた。身体は熱いけど、最近は寒いとは言わないし、回復傾向にあるのかな……。そんなことを思いながら首元までしっかりと布団を被せると、かずくんはあっという間に眠りについた。しばらく隣でかずくんが眠ったのを確認してからおでこの熱さまシートを取り替えてあげようとお粥が入っていた食器を持って立ち上がった。
「…………い……行かない、で……。」
俺が寝室のドアに手をかけた時、後ろから苦しそうなかずくんの声が聞こえて振り返ると、かずくんが再び上体を起こして俺を見ていた。不安げな表情で、その瞳からはボロボロと涙が零れている。
「かずくん……!」
俺はギョッとして急いでかずくんの隣に戻った。まずい。起こしてしまったのか。
「行かない。かずくんのこととっても大事だし、とっても好きだもん。絶対に独りにしないよ。」
ちゃんとかずくんの目を見て言って、俺よりも二回り以上小さくて、震える身体を抱きしめた。かずくんは俺の首元に頬を擦り寄せて泣いている。こんな状況でも、かずくんの匂いに包まれて安堵した。
「僕、もっと、ちゃんと、頑張るから……だから、捨てないで…………お願い……。」
俺にすがりついてくるかずくんに胸が締め付けられる。でも、それが堪らなく愛おしい。
「大丈夫……絶対に捨てたりしないよ。可哀想に。不安で仕方ないんだね。……少しでもかずくんの不安を解消してあげたいんだけど……俺に何がしてあげられるかな。何か、してほしいことはある?」
背中をさすって、小さい子供に言い聞かせるみたいに優しく優しく、耳元で囁いた。できるだけ、俺の気持ちが伝わりますように。
すると、かずくんは俺の胸の中で俯いた。何かを考えているのか、かずくんのこめかみや頬、耳に唇を寄せてのんびりと待っていると、ゆっくりと頭が上がった。
「…………し、て………ぃ……。」
「うん?」
「…………………………き…………き、す……………して……ほしい………………。」
予想していなかった言葉に思わず耳を疑ったが、真っ赤な顔で苦しそうな表情をしながらも、涙をいっぱいに溜めた目で俺を見るかずくんを見て、その言葉が彼の真意なのだと悟った。途端に嬉しい気持ちでいっぱいに胸がなって、自然と笑みが浮かんだ。
「うん……うん。……してあげる。かずくんが不安じゃなくなるまで、いっぱいキスしてあげる。」
そう言ってかずくんの顎を持ち上げると、可愛くって仕方がない小さな口を塞いだ。
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