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第2話
「──泰 ちゃん、泰ちゃん待って。もう俺、足が限界……」
情けない声を上げて俺の横を歩いていた遼 が、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。縁日の雑踏の、ど真ん中でだ。
とつぜん障害物となった遼へ迷惑そう、あるいは心配そうにすれ違う人々の視線が集まる。
「なに急に。どうしたんだよ!?」
「痛い……足……指……」
デカイ図体を小さく丸めて蹲 る遼の足元を見た。浴衣の裾から雪駄が覗いている。その指の股が真っ赤だった。しかも全ての指が。鼻緒が擦れて痛んだので順番に当たる場所を変えていったんだろう。それも限界が来たらしい。
状況を把握した俺は遼に肩を貸し、人混みを逸れて露店の裏へ入る。
「泰ちゃあん〜」
遼は泣きそうな顔をして地べたに尻を着き俺を見上げている。俺はそんな幼馴染を呆れて見下ろした。
「高校生にもなって情けない顔すんな」
こいつが鈍臭いのは昔からだ。そのくせ俺を差し置いてニョキニョキとデカくなりやがって。……別に僻んでる訳じゃない。
今夜、地元で行われる夏祭りに一緒に来ることは前から約束してあった。けれど当日になっていきなり浴衣で現れた遼の姿に俺は驚いた。
「大体なんでこんな混むとこに、そんな着慣れないもん突然着て来てんだよ」
会った直後は色気付きでもしたのかと思って黙っていたが、こんな結果を引き起こすならと言ってやった。
「……だって……見たいって言ってたじゃん」
「はぁ……?」
そんな事は言っていない。だが恨みがましい遼の視線に理由がふと思い当たる。
「──あれは、翔君 に言ったんだろ!」
翔君は遼の兄貴だ。数日前の日曜、遼の家で遊んだ時に久しぶりに会った。昔から遼と一緒に可愛がって貰っていたが翔君が社会人になってからはあまり顔を合わせる機会がなかった。そのとき確かに今日の祭りの話が出た。
『翔君も一緒に夜祭り行く?』
久しぶりと言っても遠慮する仲でもない。軽い気持ちで俺は翔君を誘った。
『子供の時は一緒に行ってたなぁ。俺も行きたいけどな、平日だから無理だよ。お前らは夏休みなんだから楽しんで来いよ』
少し会わない内に大人の顔で笑うようになった翔君に、俺は何を言っていいか分からなかった。咄嗟に思い浮かんだのが小学生の頃三人で行った縁日の時に見た、浴衣姿の翔君だった。
『浴衣カッコよかったよ。また着たら見せてよ』
『そんなの着た俺?泰里 も自分で着てみれば。きっと似合うぞ』
そんな内容の会話をしたと思う。
「──泰ちゃんは来て欲しかったんだろうけど、兄貴今日は仕事で来れないから」
思い出していると遼が声を上げた。代わりに自分が着てきたとでも言いたいのか。
「知ってるよ。行けないって言われた後に言った事だろ。分かってて言ってんだよノリっつーか、社交辞令的な?空気読めよ」
そう返すと遼は視線を地面へ落とした。少し罪悪感が湧く。
女の気でも引きたいのかと思ったら俺の為だった──なのに言い過ぎたかと。
俺は遼に近寄り一緒にしゃがみ込んだ。近くで見ると両足とも擦れて出来た傷はかなり酷い。所々血が滲んでいる。
「──なんで、こんなになるまで言わねえの」
思わず手を伸ばす。阻止するように手首を強く掴まれて俺は顔を上げた。
「傷に触ろうとした訳じゃ──」
言いかけた言葉を飲み込んで動きを止める。遼の目が見たこともない位、鋭く光って俺を見つめていた。
「泰ちゃん……」
縫い止めようとでもするような視線と低く掠れた声に、背筋をゾクゾクと何かが駆け上っていく。
何故か分からないが俺は焦る。
「ヤバ──お前それ、やばいって。いや……怪我がさ。……おれ絆創膏買って来るからそこに居ろ!」
本当にヤバイのは俺だった。前半部分は無意識に言葉に出していた。意味不明な内容に言い訳のような理由をつけた俺は、遼の手を振り払って駆け出す。
大通りに戻り人混みの中へ紛れると一気に体から力が抜けていく。それほどに緊張していた。
頭で理解するより先に本能が畏 れた。遼を。あの視線を俺に向ける意味を。
──首筋を伝う汗が冷たかった。
一番近いコンビニで絆創膏を買って、屋台の並ぶ雑踏に戻る。人波に流されるフリで歩調を落とした。
早く遼の所に戻ってやらないといけないのは分かってる。ただ──。
鬼さんこちら
手のなる方へ
そのとき笑いを含んだ子供の声で独特のメロディーが耳に入ってきた。
まさかこの混雑の中、目隠し鬼をしている訳ではないだろう。楽しそうな声色からも子供が数人でフザケて歌っているだけだ。仲間の一人をからかっているのかもしれない。
俺の肘にある傷が呼応するようにチクチクと痛んだ。痛みなのに不快ではなく、懐かしい感情と光景の呼び水になる。
この縁日の起 っている寺の境内と、その周辺は小学生時代の俺達にとって格好の遊び場だった。特にお寺の裏の空き地が最高のロケーションだ。適度に広さがあって、高さ1メートル程の崖とも言えない段差の下に砂利道と流れの緩やかな小川がある。放課後は大抵そこで遊んでいた。
車も通らない、高い木もない、普通に考えて危険とは縁遠い場所だ。だがそうなると刺激を求めるのが子供の常だ。
俺達は柵の無いその広場で目隠し鬼を始めた。運動会の練習に使ったはちまきを目に巻いて。
もちろん皆は段差に鬼をおびき寄せるつもりでいる。無邪気な邪気で一杯だ。
そしてソレは俺が鬼の時に起きた。
鬼さんこちら
手のなる方へ
声の固まって聞こえる辺りが怪しいと踏んだ俺は敢えてその方向を避け、人数の少ない方へ両手を突き出して向かっていく。
結果としては疑心暗鬼による俺の深読みだった。
「泰ちゃん!そっちホントに危ない!!」
慌てた遼の声がした。そして猛烈な勢いで走ってくる足音。
動転した俺は立ち止まればいいものを、方向も分からないままに歩いた。目隠しを取らなかったのはガキだったからとしか言いようがない。
「泰ちゃんっ!!」
もう一度、遼の叫ぶ声がして俺の体が浮いた。──そして、叩き付けられる衝撃。
はちまきがズレて視界が戻った俺の目に飛び込んで来たのは、血まみれになった自分の右腕と何故か俺の下にいる遼だった。
遼は俺のクッションになるように一緒に落ちていた。
その後、ちょうど遼を迎えに来た翔君に救けられて、俺と遼はすぐに病院に連れて行かれた。
俺は肘を3針縫い、遼は鎖骨を骨折していた。俺を庇ったばっかりに大怪我だ。けれど誰もその事で俺を責めたりしなかった。
あの時──
『泰ちゃん大丈夫──大丈夫だよ』
大泣きする俺の下敷きになりながら、遼は穏やかな声でずっとそう言い続けていた。
──大丈夫、じゃねえよ。あん時お前、骨折れてたんじゃねーか。声出すのもやっとだったんじゃねえのか。
俺以上に泣き喚いてもおかしくない状況で、俺を安心させる為だけに。普段は弱虫の遼が精一杯、強がって──。
……俺は忘れてはいけない気持ちを思い出した気がして、すぐさま遼の元に走った。
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