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第3話

足音だけで分かったのか、近づくと俯いていた遼が弾かれたように顔を上げ俺を見た。 「戻って来ないと思った──」 なんでだよとは、言えなかった。 「遼──痛い?」 そう言えばあの時の事を、俺はちゃんと謝っただろうか。 「ごめんな」 「どうして泰ちゃんが謝るの。俺が勝手にやったことでしょ」 そう聞いてハッキリ思い出した。俺は前にも謝っている。そして、同じことを言われた。 「それに俺は悪い人間だから痛いくらいで丁度良いんだよ」 それは聞いたことがない。しかもどういう意味だ。今の季節の台所に湧く、アレにさえ殺意も持てない遼が悪人とか笑えない。 「面白くねえぞ、その自虐」 俺は向かい合って尻もちを着くと、自分の腿に遼の右脚を抱えて乗せた。 浴衣の合わせから遼の喉元が大きく動くのが目に入る──何故かまた俺の体に緊張が戻ってくる。 ──なんだってんだよ。何を俺は意識して…… 「泰ちゃん、どうするの?」 戸惑った遼の声に強張りが解けた。 「……絆創膏、貼るんだよ。自分じゃやりにくいだろ、コレ」 「あ──うん」 外装をペリペリと剥がして右足に触れる。遼の体がピクっと震えた。 「あ、わり。痛かった?」 「違う──平気」 鼻緒が当たる部分に3枚重ねて貼り付ける。 遼に左脚を出させて同じように絆創膏を重ねていく。歩けるだろうが見るからに痛々しい。 「なあ、翔君もう仕事終わったかな」 最後の一枚を貼りながら俺は尋ねた。 「さぁ、まだじゃない。……なんで?」 「終わってるなら翔君に車で来て貰って──」 「いいよ!必要ないだろ!」 言い終わる前に強い口調で遮られた。俺は呆気に取られる。深く俯いた遼の表情は前髪に隠れて分からない。 「──泰ちゃんさぁ。昔からホント、兄貴の事好きだよね」 初めて聞く、まるで(あざけ)るような声色に俺はさらに混乱する。 ──なんだ、遼がヘンだ。俺が翔君に会いたくて言ったとでも思ったのか。それにしても── 「なんで?兄貴のどこがいいの。俺だって同じだよ──俺でいいじゃん!」 「待てよ、何の話してんだよ!」 遼は沈黙した。 「お前なんか勘違いして──!?」 ふいに下半身に違和感を感じて俺は身を固くする。遼の姿勢は変わらない。気の所為かと思った。 でも──違う、ワザとだ。 遼の大きな素足で俺の股間を踏みつけるように、ねっとりと押し付けている。そしてジリジリと焦らすようにその足を蠢かす。 やめろと怒鳴ろうとして、その言葉は凍りついた。 角度が少し変わったのか遼の口元だけ見える。その口角が大きく切れ上がっていた。遼は明らかに笑っている。 その口からこの雰囲気にまるでそぐわない、楽しげな声が聞こえる。 「今日の泰ちゃん、いつもと違うよね。俺がそうさせてるの?俺の醜い欲望が泰ちゃんもおかしくしてるの?なら俺と一緒におかしくなって──」 真っ黒で量の多い前髪の隙間から鋭い瞳が覗く。飢えた獣が獲物を前にしたような──獰猛な視線と目が合う。口調と真逆で少しも笑っていない。さっき俺が畏れたのと、同じ目だ。 また本能的に怯えが体を走る。突然変わった遼が怖い──だけどもう逃げたくなかった。向けられてるのは敵意でも憎悪でもない。遼の真意を理解しようと俺は必死に考えた。 「お前……俺のこと、好きなの?」 「好き?違う──続きも聞く?きっと後悔するけど」 大きくもない遼の声が歌うように、揶揄(からか)うように響く。 「勿体ぶんな、ちゃんと言え!」 「好きなんかじゃない。欲しいんだよ泰ちゃんが。全てだよ。全部、俺のものにしたい……兄貴になんか髪の毛一筋くれてやらない」 「暑さで脳みそ半熟になってんのかよ。それを好きって言うんだろ!?」 「そんなんじゃ全然足りないんだよ……長い間ずうっと、俺にどんな目で見られてたのか、分かってないよお前。全然、少しも──こんなドス黒いもの、好きなんて言葉で塗り潰せない」 「好きで足んないなら、すごく好きなんだろ!」 気迫で押し負けそうになり声を荒げた。正直、条件反射みたいなもんだった。 口ぶりも雰囲気もまるで違う──でも、こっちが本来の遼なんだ。そう自然に納得した。妙に説得力があり過ぎる。 「……泰ちゃんバカなの。煽ってどうすんだよ。責任取れるの」 何が引き金か知らないが、遼は開き直って本性を俺に見せている。多分を覆い隠す為に、いつからか俺の前で遼はヘタレキャラを装ってきた──そうとしか思えない。 「ねえ、どうなの。俺が泰ちゃんの事、すごく好きだって──言ったらどうしてくれるの。俺に犯されてくれる?」 「おか……お前、俺とそういう事したいの……?」 「ほらやっぱり。ちっとも解ってない」 口元は相変わらず微笑っているが、声のトーンが少し沈んだように聞こえた。 「どうせならみんなバラすけど、毎晩お前は俺の頭の中で犯されまくってるよ。すごく嫌がるくせに、俺が無理やり突っ込むとエロい声で喘いで腰振ってくる。そんで泣きながらイクの。そんな事ばっか考えてんだよ──キモいだろ」 俺はダイレクト過ぎる発言に血の気が引いた。こいつの頭ん中どうなってんだよ、と思った。 ──そして冷静にその状況を想像して──笑えてきた。 俺が喘ぐとか有り得ない。面白映像にしかならねえ。 「遼、お前、ぶっちゃけ過ぎ、ドン引きだろ」 「……なんで、笑ってんの?俺が気持ち悪くないの?」 「そんなの通り越したわ。童貞の妄想力すげーな」 「泰ちゃんだって童貞だろ」 遼が不貞腐れたように膝を抱えた。気勢を殺がれたのかビリビリと感じていた緊迫感が消え失せる。 「……なんで……」 ポツリと他の言葉を何処かに置き忘れたみたいに遼がそれだけを呟く。 「え?」 「泰ちゃん平気なの。おれ酷いこと言ったし──現在進行形でその気持ち消えてないし──俺のこと嫌いになってないの」 「お前の言い方が卑屈すぎて分かりにくいけどさ、俺が好きって事なんだよな?恋愛的な意味で」 「……俺に好きなんて言う資格、無……」 「そういうの要らねえから!それで分かんなくなんだろ。好きなんだろ!!好きなんだよな!?」 「……うん」 遼は渋々といった感じで頷いた。 ──何で俺が告白強要したみたいになってんだよ。けど、そこが明確でないと俺だって先に進めない。 「ハッキリ言って、遼以外の奴だったらブン殴って二度と口きかないレベル」 「俺──だったら?」 ゴクリと唾を飲み遼が四つん這いで俺に這い寄ってきた。近い。今までなら気にもしなかったのに。意味が変わってしまった事を感じる。 「なん……だよ。おまえ落ち込んでんじゃないのかよ。なんで急に積極的だよ」 「期待させてるのはお前だろ」 今、分かった。たぶん遼は余裕が無くなると本性が出る。それも当然だが、こいつの場合ギャップが激しすぎる。 「ねえ、俺ならどうなんだよ」 詰め寄られる俺はさっきと丸きり立場が逆になってしまう。 考える時間くらい、くれたっていいだろう。だが遼にとっても予想外の展開なのかもしれない。歪んだ告白は言ったら終わりだと考えていたからとも思えた。 「お前とは、そんな簡単に切れる仲じゃねえだろ。真剣に好きだっていうなら俺も考えるから」 「はっ……ナニソレ」 体が触れるギリギリまで近寄った遼は鼻で笑って冷たい声を上げる。意外な反応に面食らった。 「同情?友情?もう耐え切れないから暴露したんだよ俺。それじゃ今と一緒、生殺しじゃん。キッチリ止めを刺すか、俺の好きにさせてよ」 「なに逆ギレしてんだよ」 「あそこまで聞かされて、まだ好きがどうとか甘いこと言ってるから」 遼は急に立ち上がると俺の腕を掴んで引っ張り上げた。 「なにすんだよっ」 「危機感ちっとも感じてないみたいだし、分からせてあげる」 腕を掴んだままの遼に寺の裏まで連れて行かれる。見慣れたはずの広場だが夜に来たことはなかった。境内から賑やかなざわめきだけは聞こえてくるが、光までは届かない。余計に不気味だった。 俺はもがいて腕を引き抜こうとしたが、まるで無駄だった。 ──こいつ、こんなに力強かった……? 無理矢理なにかされそうになったら殴ってでも、そう思っていたが殴った所で逃げられそうにない。 「怖いの?泰ちゃん。少しは実感湧いてきた?今ねぇすんごく、かわいい」 邪悪とさえ言える笑顔に遼の顔が歪む。直視出来ずに目をそらした。 「趣味わりーよお前……」 「うん。俺アタマおかしいんだよ」 本当におかしい奴が自分で言うかよ──けれど、そう言う前に両腕を押さえ込まれて息を呑む。 「なにする気だよ」 「キス」 ──嘘だ。そんなキス見たことねえぞ。 三日月型に開いた口から伸びた赤い舌。唇よりも先にゆっくりと近づいてくるのを俺はただ見つめる。キスと言うより俺を食おうとしてるみたいだ、そんな事を考えながら。 ぬるり、と湿った感触が唇に当たった。棒付きの飴を口にしまわず舐め取る仕草で、何度も唇の上を舌が往復する。 敏感な粘膜をしつこく舐められて、身体が異常に熱くなる。ムズムズしたもどかしさに唇を押し付けてしまいたい。 抵抗しなきゃマズイ事態だって分かってる。遼の口元が笑っている。こんなのおかしい。なのに、体が動かない。それはその先を望んでいるのと変わらない──。 「俺を止めなくていいの?どうにかされちゃうよ?──もう逃がすつもりもないけど」 遼の言葉で体が動くようになる。けれど離れようと胸を押しても腰に巻き付いた腕から逃れる事はできなかった。 「遼!」 俺の叫びに遼は冷笑で応えた。 「遅いよ泰里」 唇を隙間なく覆いかぶされる。 「ん、んぅ──っ」 ──こんなの、俺の知ってるキスとは全然違う。 まるで唇を唇と舌で撫で回されているようだ。その内に口の中にまで舌が入ってきて絡め取られる。 「んんん……」 頭が、痺れて回らない。ヤバイ、こんなの気持ちいい。だから、マズイのに。 強引に遼の指が俺の口を開かせ、閉じられないままに舐め回される。 「あ、ふ──ぅ」 「あは、やらしい声。俺の妄想よりずっとエロいよお前。さっき俺が足で踏んだ時も少し感じてただろ」 「……んな、わけ……ねえ……」 「じゃ、これなに?」 「うあ、っあ」 股に腿を割り入れられてグリグリと押し付けられ、出すつもりのない声が漏れた。重くて鈍い、腰が揺れてしまうような快感に襲われる。 「キスだけで、こんなになってる」 信じたくない、でも事実だった。 遼が腰を密着させて俺を抱き寄せた。もう片方の手で俺の頭を撫でる。 「泰里はやらしい。俺に虐められるのが大好きなんだよ。認めなよ。一緒に気持ちよくなろう──滅茶苦茶にしてあげる」 低くて落ち着いた声は、ジワジワと洗脳するみたいに耳に染み込んでくる。遼の狂気が少しずつ俺に伝染する。 俺が押し退けようとした時に乱した浴衣の胸元が大きく開き、しっとりと汗を掻いている。遼の匂いに包まれることが心地よくて頭がクラクラしてくる。 「──泰里」 頭を撫でる手が顎に滑り降り顔を上げさせ、またキスをされた。さっきよりも激しくて頭がぼうっとする。身体が反応する以上、抗う気も起きない。それ以前に初めから嫌ですら無い。 ──もう、気持ちよくて何も考えらんね。 鬼さんこちら 手のなる方へ── 境内の方から微かに子供の歌い声が聞こえた。 「目隠し鬼……」 遼にも聞こえたらしくキスを止めて小声で言う。 俺は遼を見上げ、その鎖骨に指を這わせた。 「──なあ、ここまだ痛む?」 「もう全然、痛まないよ」 ──そんなの嘘だ。俺の傷ですら思い出したように、その存在を主張するのに。 「お前さ、俺をどうしたいの」 「一言で言うと独占……かな」 マトモに答えが返って来て意外に思う。 「それ好きとどう違うんだよ」 「もっと病的。俺だけのものにしたい。逃げられないように泰里を雁字搦めに縛り付けたいの。泰里自身にすら自由を認めたくない」 ……盛大な愛の告白をされているようにしか思えない。 「俺がそれで良いよって言ったら、遼は楽になる?」 遼はその日一番、子供っぽい顔つきをした。擬音でいうと、きょとんだ。けれどすぐに昏い目をする。 「まだ解ってない。綺麗事じゃないんだ。泣いて嫌がっても、止めて欲しがっても俺はお前を犯したいし、縛り付けてでも抱きたい。そんな奴ゆるせないだろ」 「難しいな、ふつう無理だろうな。けど……お前は特別。だから、良いよ」

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