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第8話 き
目を伏せ溜め息をついて、高宮は制服の赤いネクタイに指を掛ける。青いブレザーを脱ぐ。
ガンッ
ダンッ
ドシャァッ
隣から物凄い音がする。有安と初めて会ったときも、壁を蹴られた音がした。壁に何かぶつける癖でもあるのだろうか。有安のことなら少し気になった。もう少しお近づきになれたら、有安の部屋に入れるだろうか、と思った。
時計を見ようとして、この部屋に時計がないことに気付く。引っ越すときにダンボールにはお気に入りの時計を入れたのを覚えている。そうだ、ダンボールがまだ来ていないと思い出す。エナメルに入れた携帯電話を取り出す。そうだ、アドレス渡してないと溜め息をついた。ディスプレイに映る時間は5時を少し回ったところだ。部屋の端に置いた小さなダンボールからハンガーと着替えを出す。薄手のロングTシャツと大きめのジーンズに着替えて、制服を吊るすと備え付けの机に座った。窓の外に目をやると、紺色になっている。外は海だ。崖も見える。綺麗な場所だ。崖付近にこの寮は立地しているのかと高宮は思った。
ガンガンガンッ
隣と自室を隔てる壁に机が接しているため、隣からの衝撃は机に響いた。
――――有安さん、何してるんだろう・・・・?
興味はあったけれど、覗いてはいけないような気がした。6時半が楽しみだ。数分置きに携帯電話のディスプレイを見る。間隔が狭まり、数分経ったかと思えば1分ほどしか経っていなかったり。それを繰り返すうちに虚しくなり、転校前の友達のメールを読み返した。だんだん顔も名前も忘れて、ここの常識が当然のことだと思い始めるようになるのだろうか。赤い首輪と、鬱血の痕だらけの身体。顔はよく覚えていない。髪に絡みついたごみ。下卑た野次。メールを読み返していた手は止まっていた。画面も暗くなっている。何を考えているんだ。せっかく有安さんと夕飯食べるのに、と高宮は首を振った。
6時半になっても有安は来なかった。何かあったのだろうか。45分まで待った。忘れているのだろうか。それとも自分が有安のところに行けばいいのだろうか。そうこう考えているうちに身体が勝手に隣の部屋に向かっていた。
玄関が開けっ放しで、電気が点いていない。
「有安さん?」
どうしたのだろう。高宮は暗い部屋のなかに向かって有安の名を呼んだ。返事はない。
「そこの人・・・・・下の階に・・・行った・・・・」
背後から心地よい低音が聞こえ振り返る。長身の黒髪の男が小さいビニール袋を持って高宮を見ていた。
「えっ・・・・」
小麦色の肌と黒い長めの前髪。それが特徴的だった。男はぺこりと軽く頭を下げ去っていく。
「あ、ありがとうございます・・・」
暗い、という印象だった。
高宮は言われたとおり、下の階を目指した。下の階にもたくさんの部屋がある。そこから有安を探すのは至難のように思われる。
「有安さーん」
「あーりやーすさーん」
廊下で叫んでいると、ちょうど立っていたところの部屋の人がドアを小さく開けて、ある一点を指差した。見覚えがあると思えば、C組の人だった。名前は覚えていないけれど、前の方にいた気がする。すぐに閉められたドアには「天木」と書かれていた。
「ありがとうござ・・・」
お礼を言おうとすれば、しっと、人指し指を唇の前で立てられ、ドアは閉められた。高宮は肩を落とす。関わりたくない事柄なのだろうか。高宮は顔を顰めると、示された方向を見る。少し開いたままの扉。光が漏れている。
「有安さん・・・・?」
ここにいるのだろうか。高宮は薄く開いた空間に向かって有安の名を呼ぶ。奥のほうから話し声が聞こえ、すぐ足音が聞こえ始める。
「お取り込み中です」
脱色された短髪に吊り目の男が薄く開いた空間に姿を現し、不機嫌そうな表情と態度、口調でそう言ってから扉を閉めようとする。
「え、あ・・・・すみまs」
「助けてっ!お願い!助けて!」
謝り終える前に、高い声が響いた。聞き覚えのある声。聞き覚えがあるも何も、ついさっきまで話していた声。すぐに脳裏に声の持ち主が浮かんだ。
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