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第39話 よ
インターフォンが鳴った。今度は誰だと高宮は重い身体を起こした。
「どうぞ・・・・」
入り口まで高宮も聞こえているか分からない程度の声で了承する。
「高宮君」
聞き慣れない聞き覚えのある声に高宮は声の主の方を見た。彼は高宮のいるベッドまで寄ってきた。
「ユウ・・・・・」
毛先のウェーブした黒い髪と、大きな黒い瞳。この前見たときにあったかは覚えていないが右頬と右目、右側の額が大きく赤くなっている。
「高宮君、大丈夫?」
コンビニ袋を持った樋口が笑いかける。
「うん。・・・・でも、ユウ、顔、赤くないかい・・・・?」
最後にあったのは、人混みの中だった。高宮を掴んだ樋口の手は、神津によって引き離されたのだ。
「ちょっと、火傷しちゃって・・・・」
小さく桜色の舌をちらっと見せて笑う樋口。根掘り葉掘り訊くのも躊躇われ、高宮は何も言わなかった。
「それより、高宮君」
樋口は高宮の額に手を伸ばした。そして自身の額にも手を当てる。
「・・・・・熱いのかな・・・・?」
「俺の部屋、よく分かったね」
樋口はうん、と大きく頷いた。
「C組の学級委員長さん・・・・えーっと、衣澄君から聞いた」
そういえばどうして樋口はここ来たんだろうと思い、枕元に置いてある携帯電話のサブディスプレイのボタンを押す。
「・・・・・・もう、昼休み?」
「うん!今日は高宮君学食かなって思ってたんだけど・・・・」
「あははは。基本的には教室で食べてるよ。学食は一昨日だけ」
「そうなんだ・・・・僕は教室にいたくないから・・・・」
樋口は目を伏せた。高宮は、衣澄の言っていた、赤い首輪の子がこの樋口だということを思い出した。
「でも、たまには学食もいいかもね」
「僕、いつもあの隅で食べてるの。高宮君が来たとき、そこ、来てね!」
樋口はいちいち反応が大袈裟な気がした。高宮は、ふっと噴出すように笑う。嬉しいんだろう。
「わかった。・・・・・・・あのさ」
「なに?」
「神津君に、オレの部屋、教えないでね」
樋口に神津の名を出すと、怯えたような表情をした。いきなりすぎただろうか。
「あ、ほら、ユウ、神津君と同じクラスでしょ!この前も一緒にいたし」
取り繕う言葉を探す。
「うん。分かった。そうだよね・・・・・。神津君、怖いもん・・・・」
独り言のように樋口は言った。
「じゃぁ、ごめんね!お友達にお見舞いするの、初めてなんだっ!こんなんでいいか分からないけど、もらってね!僕、もう帰らなきゃ」
細い腕に巻きつけられた小さな腕時計を見て、樋口は手にしていたコンビニの袋を高宮のベッドの上に乗せた。
「ありがとう」
駆け足で樋口は高宮の部屋から出て行った。今にも転びそうで少しひやひやとしたが、杞憂に終わった。
ぽつんと一人、明かりも点けていない部屋に残された。意外な訪問者に寂しさは紛れたけれど、自分で口にした神津の名前にまた気分は沈む。まだカーテンを取り付けていない窓からは、曇りの空と、境界線があいまいな海が見える。太陽光を挿し込んではくれない。
――8万円・・・・。8万円って、どれくらいだろう。
日常生活では大した金額ではないのだろうけれど、高校生の小遣いにしては桁が1つ多い気がする。神津は自分を売り、けれど柳瀬川は自分を慰めてくれた。どうして止めてくれなかったの、助けてくれなかったのと、柳瀬川を罵れば少しは気が済むだろうか。柳瀬川はどこか衣澄に似ていて、苦手だ。同じミント味のガムの匂いがする。雰囲気も、少し声も似ていると思う。苦手な要素はきっとそれではない。柳瀬川に痴態を見せたことだ。思い出すと顔が熱くなった。昨日しつこく弄られ、縛られた股間は痛んで、熱くなる様子はない。
ぼーっと曇った空を見上げた。自分は傷付いているけれど、有安は無事だ。そう考えて今の自分の現実に納得しようとした。それ以外にこの現状に納得がいかなかった。男が男を抱く。そして抱かれる。楽しそうに。今まで全く考えたことのないこと。全く知らない快感と、恐怖。
――あんなの・・・・・・オレじゃない・・・・・っ
陰部を舐められたこと、舐めさせられたこと、呑まされたこと。その他諸々に腸内で射精されたこと。柳瀬川に抜いてもらったこと。全て自分のことではない。自分の身体ではない。自分の記憶ではない。・・・・それでは、誰のなのか。そう考えると行き着く答えは自分でしかない。
自分が自分でなくなりそうなおかしな感覚に頭が狂いそうになる。助けを求めたいのに、助けを求められる相手がいない。
「くそっ・・・・・・!!」
布団に顔を埋めた。このまま寝て、もう目覚めなければいいのに。もしくはこれが夢で、はやく覚めてしまえばいいのにと思った。
「なんでっ・・・・・」
鼻の奥がつんっと沁みた。昨日鼻血を出したからだ。
ぼろぼろと涙が溢れた。惨めになって、悲しくなって、そして自分が穢くなったような疎外感に寂しくなる。涙が零れるだけだったのが、嗚咽も混じり始め、慟哭となる。自身の体温で生温かくなった薄い掛け布団を噛んだ。ぶつけようのない拳が壁にぶつかる。布団が唾液で濡れて頬に触れる不快感も、じんじんと熱く疼く拳もどうでもよかった。
「あんなの・・・・・オレじゃない・・・・・・」
「オレじゃない・・・・・オレじゃない・・・・。オレじゃないよ・・・・。あれはオレじゃない。オレじゃない」
フラッシュを焚かれたときのような光景が脳裏を占めた。全身が総毛立ち、背筋がぞくぞくとした。
「オレじゃない・・・・」
見ず知らずの男に背後から貫かれ、中に出される。あれは自分ではない。
「オレじゃない・・・・・」
飲まされた精液がまだ胃の中にあるのだろうか。それとも栄養として吸収されてしまったのだろうか。考えただけで吐き気を催し、身体を丸める。
意識が遠くなる。目蓋が重い。睫毛がくすぐったい。
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