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第42話 ん

 有安は高宮の部屋を出た。所々黒い塗装が剥げている衣澄の長財布を手で弄びながら、高宮の弱々しい笑みを思い返した。あんなことになるのは自分だったはず。いきなり隣の部屋にやってきた転校生は自分の絶望を1人で受け止めてくれた。自惚れているつもりはないけれど、自分のこの姿が男子から注目されていることに気付かないほど鈍感ではなかった。昔、神津に気に入られていた時期もあったことを覚えている。そのときもまた友人が代わりになった。それなのに、どうしてまた急に。  寮のエントランスに繋がる階段で、誰かとぶつかった。狐色のカーディガンに顔面が埋まると、ミントの匂いがふわりと鼻をついた。 「お、悪っ!」  誰だ、とそいつの顔を辿るには、見上げなければならなかった。 「・・・・有安・・・・」  相手は呟いた。 「柳瀬川・・・・」  キッと自分とぶつかった相手・柳瀬川を睨んだ。 「高宮は・・・・・大丈夫なのか・・・・・?」 「・・・・・なんで、アンタが心配すんの?」  棘のある口調で有安は訊ねた。柳瀬川は痛いところを突かれたような表情をする。それにおかしな快感を覚えた。 「でも・・・・・心配でっ・・・・・」 「樋口も・・・・・桐生も・・・・・・。結局、柳瀬川って、偽善的だよねっ!心配ばっかで、助けてくれなかったじゃない!!!」  高宮を身代わりにしてしまった自分が言えるようなことではない。分かっているけれど、他にぶつける的がない。罪悪感と苛立ち、無力感。  柳瀬川は目を見開いて有安の言葉を受け止めた。ドラマなら色彩が反転したり、画面に亀裂は入るようなエフェクトがかかるんだろうな、と有安は言ってしまってから思った。 「俺はっ・・・・・・!俺・・・・・は・・・・・っ」 「・・・・・・偽善者でしかないくせに!下手な演技すんなよ!」  有安は衣澄の長財布を強く握って、階段を駆け下りた。  柳瀬川が偽善者だとは思っていない。彼が本当に高宮を心配しているのは知っていたし、彼がお人好しで気の利いた、根っからの「いいヤツ」であることは分かっている。けれど神津といる、というだけで有安の中では全てがマイナスになってしまっている。  ヒステリックな自分を客観的に見つめた。偽善者はどっちだろうと思う。高宮を心配しておきながら、結局何もしないのは自分の方ではないか。衣澄の影に隠れて、高宮の心配をしている振りをして、神津に反抗もできずただ弱っていく高宮を見ているだけ。そうして自分は被害者だと言わんばかりに柳瀬川を罵る。 ――謝れよ、響生。柳瀬川に。今すぐ。       駆け下りてきた階段を見上げた。上の階の踊り場の裏側が見えただけ。でこぼこの表面に、白い塗装が施され、汚れている。大きく溜め息をついた。また戻って柳瀬川を追う気はなかった。  柳瀬川、彼だって様々な感情が渦巻いて葛藤して、雁字搦めになって、ただ高宮を心配するしか出来ないのではないだろうか。  もやもやした気持ちがさらに大きくなり、有安は再び足を動かすほかなくなった。そのことについて考えるのはやめよう、と自分に言い聞かせて。

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