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第44話 B

 ドアの開く音がした。 「かおり・・・・・・・」  天城の声とともに。 「・・・・・・・・・っ」  柳瀬川の名は最後まで呼ばれなかった。着替えている最中の少女のように、柳瀬川はシャツを抱いた、が隠したいのは背中だった。けれどその背中は自室のドアに向いているせいで、天城からはありありと見えた。 「あまぎ・・・・・」  柳瀬川は目を見開いた。天城も一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの表情に戻る。ぬぼーっとして、マイペース。相手方に表情を合わせる気もないといったような。 「アリスちゃん来てるよ」  アリスちゃん。天城は有安をこう呼ぶ。外見と名前から。 「おお、そうか・・・・ありがとう」  訊いて欲しい訳ではない。自分でもよく覚えていないことだから。けれどあからさまな驚いた表情からの、普段どおりの接し方。訊かれないのも何だか不安な気がしたけれど、天城の気遣いに感謝した。そして玄関に向かう。天城と有安が何か話しているようだった。2人はそういえばクラスが同じだった。 「かおりん来たよ」  かおる、と何度言っても「かおり」と呼ぶため、いつの間にか「かおりん」という呼び方で落ち着いてしまった。柳瀬川は自身の苗字が長く発音しにくいことに気付いていたため、それで構わなかった。  有安は天城と話しているときの愛らしい表情からすぐに険しい表情をした。天城は、じゃぁ、と手を振って、玄関を去っていく。  どのように罵られるのだろう。 「柳瀬川、ごめん。言い過ぎた」  前屈でもするように有安は頭を下げた。 「柳瀬川に言うことじゃなかった。ごめん。苛々・・・してて・・・・」  拗ねたように、けれど素直に有安はそう言った。 「有安が言ったこと、マジだった。だから、その分・・・自覚してた分、キツかった。桐生も樋口も、俺は目の前で見ていたのに、何も出来なかった。むしろ・・・・・・」 「いいよ、言わなくて」  玄関の段差にいる柳瀬川は屈めて有安と目線を合わせていて届くためか、有安は背伸びして柳瀬川の口に手を当てた。 「ただ、ごめん。それが言いたかっただけだから。別にどうしろこうしろとは言えないよ。言える立場じゃない。ボクだって・・・・・」  有安は柳瀬川に背を向けた。 「じゃぁね」  手を振った有安の腕にはビニール袋が掛かっていた。中にアイスが入っているのか結露している。 「んで」  玄関のドアから有安の姿が消えると、真後ろから天城が声を掛けてきた。 「・・・・・なんだよ」  背中のことを聞かれるのだろうか、と思った。何と説明しよう。 「アリスちゃんと仲良いのな」  にやっと笑って天城はいやらしい表情をする。 「いや・・・・・仲良いってか・・・・・まぁ・・・・」 「本当、カワイイやつから好かれんのな~」  嫌味のない言い方だけれど、何故だか引っかかることがあるのは否めない。 「カワイイってたって・・・・・男だし・・・・・」 「男女問わずってことだよば~か。何言ってんだよ」  ふざけていた天城の返しがふざけていたようには聞こえなかった。きっと気のせいだ。柳瀬川はまた苦笑した。 「谷欠望女子高のいい子、紹介しろよな~」  天城の冗談にいつも助けられている気がする。いつかな、と返して、自室に戻ろうとした。 「・・・・・・」  「見たんだろ?」  ふと黙った天城を振り返り、訊ねた。 「・・・・・・見てねぇよ!」 「訊かないんだな」  天城は柳瀬川から目を逸らし、床に視線を落とす。 「・・・・・古いのだろ。新しいのなら、訊いたけど・・・・・」 「見たんじゃねぇかよ」  柳瀬川は噴出したように笑いかけると、天城は、このやろう!と小突いてくる。 「お前が自分から言うまで訊かないでおこうっと。適当に妄想でも膨らましてるわ」   ――どうしてこんな友人がいるのに、俺は神津を選ぶんだ・・・・・?     背中にある翼の焼印が、まるで自分を支配しているようだった。  

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