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第54話 L
高宮の自室まで柳瀬川は送ってくれた。そうして確認した。荻堂先輩でいいんだな、と。
シャワーを浴びて、着替えた。ベッドに沈んでも寝られず、ビデオカメラのレンズに見つめられた光景を思い出す。気が重くなる。あの映像をどうする気なのだろうか。インターネットで流す気なのだろうか。不安が募る。鬱屈した気分だ。学校はまだ放課ではないけれど、散歩に出掛けることにした。ジャージを羽織って寮を出た。
式部寮の中庭には菜園や花壇ある。この時間に人はいないだろうと思っていたが、そうでもなかった。高校生には珍しく、農作業をしている人がいる。この寮の管理人ではない。高宮に気付いて振り返った。小麦色の肌に長い漆黒の前髪。死んだような黒い瞳。見かけたことがある顔だ。彼もジャージ姿で土をいじっている。ジャージも学年別で色や模様が異なる。この男は3年だ。
「緑黄色野菜・・・・」
保健室で見た食事の本に書いてあった単語を思い出す。緑黄色野菜のページに載っていたニンジンの葉に似たものが土から生えている。
「もう少し、したら、持っていけ・・・・・・」
低い声が途切れ途切れ、高宮の耳に届いた。
「え・・・・・・」
「まだ・・・・・・収穫・・・・・しないほうが・・・・いい・・・・・」
表情のない顔。低い抑揚のない声。前髪だけが長い。
「あ・・・・・はい・・・・・」
「収穫したら・・・・・持っていく・・・・。名前は・・・?」
「高宮です。高宮敬太」
彼は高宮を見ることなく、手を動かしながら話す。
「あなたは?」
「西園寺・・・・・・恭介・・・・・・」
ビニールの張られた土の上からコップのような形状のもので穴を空け、苗を植えている。
「園芸部とか、何かですか?」
「いや・・・・。園芸部はない・・・・・。元・・・・・・テニス部・・・・・」
「そうですか」
「野菜、詳しい・・・・のか・・・・?」
「え、いや・・・。さっき本でちょっと読んだくらいで」
「そう・・・・・か・・・・」
愛想のない顔で西園寺は作業を続けている。高宮はそれをしゃがんでじっと見つめた。
「農作業、好きなんですか?」
真っ直ぐ苗を見つめる西園寺の横顔を凝視しながら高宮は訊ねた。西園寺は人懐っこいという表現の間逆にいるが、今の高宮の気分ではそれがよかった。
「ああ」
ジャージのズボンは土で汚れ、もとは白いシューズも色が変わっている。
「本で・・・・読むくらいには・・・・興味があるの、か?」
手を止めず視線も向けず西園寺は高宮に訊く。
「あーえーっと。俺、転校してきたんです。前にいた学校で、バスケやってたもので」
西園寺は頷くことも相槌を打つこともなく、ただビニールに穴を空け苗を植えていく作業を繰り返す。
「それで、食生活についてもよく言われていたんですよ」
西園寺が聞いているかどうかなんて高宮にはどうでもよかった。ただ、しゃべり続けたかった。自分と無関係な人と一緒にいたかった。自分が犯されていたことなど知らない人と一緒にいたかった。
「ラディッシュ、食べるか?」
ふと西園寺が口を挟む。高宮は何のことだか分からず頷いた。すると西園寺は立ち上がり、別の土の盛り上がっているところに向かった。
「少しからいかもしれないが」
西園寺がそこから赤い何かを引っこ抜くのをしゃがんだまま見つめる。西園寺はそれから近くにある水道に向かっていき、それを洗った。
「何ですか?それ」
高宮に向かって歩いてくる西園寺に問う。西園寺の手からはぽたぽたと水滴が落ち、地面に痕をつけた。
「ラディッシュ。・・・・大根の・・・・一種だ」
西園寺の節くれだって無骨な小麦色の手に可愛らしい真っ赤なラディッシュは不釣り合いだった。
「いただきます」
濡れてきらきら光るラディッシュを摘まみ、口に運ぶ。歯を立てると心地よい音がした。水分が広がるが、舌がぴりっとする。
「葉は渡せ」
高宮の足元に置いてある道具の入った箱からザルを取り出し、残りのラディッシュを入れた。そうしてからまたビニールに穴を空け、苗を植える作業に戻る。
「美味しい」
自然と口から出た。からいけれど、甘みがある。
「葉は今日の学食での夕飯にする」
「サラダとか・・・ですか?」
「菜飯」
何でもない食べ物の話が楽しかった。もとの生活に戻れたようで。もう何かを心配する必要もなくなるようで。
「そうなんですか・・・・。残念です。俺・・・・あんま学食行かないので・・・・」
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