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第58話 P
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放課後になると美術部の部長が高宮の教室まで迎えに来てくれた。眼鏡を掛けたぼさぼさの黒髪と、やる気のなさそうな目。話してみると気さくで、すぐに高宮は打ち解けられた。今日の活動場所は図書室だそうで、要らなくなった美術用品を廃棄するのだそうだ。
図書室に人はあまりいなかった。図書室の貸し出し口になっているカウンターの奥に古くなった色鉛筆や絵の具があるらしい。3年生がカウンターの奥の棚や箱から廃棄するものを出し、1年と高宮で指定されたゴミ箱や棚に入れていく。1年は
高宮くん、この色鉛筆、あっちの箱に入れて
けいた君、これごみ捨て場持っていって
忙しかった。2年は高宮1人だった。1年も1人で3年が4人の計6人しか部員はいなかった。図書室に来る間までは部長から、文化祭や予餞会などでは主にライブペイントをやるそうだ。真っ白なキャンバスにBGMに合わせ、様々な色をスプレーや筆、ローラーで乗せていく。その場その場で出来上がるので、描いている美術部員でさえ完成図は予想できないらしい。応用力や発想力が必要ですね、と高宮が笑いかけると部長は苦く笑い返した。
「これは、何ですか?」
埃をかぶった缶ケースに高宮は目が言った。表面に描いてある草花のイラストに惹かれた。
それは水彩色鉛筆っていうんだ。
缶ケースを開けると、人差し指程の長さ程度しかない色鉛筆が並んでいた。美術部に入ったものの美術には一切の関心も興味も、経験もない高宮には何が水彩なのか分からなかった。
それと、あとこれもそっちの箱な。
先輩は図書室の、高宮たちのいる対角線にある隅の棚を指差す。高宮に渡されたのは水彩色鉛筆だった。汚れて錆びた缶ケースの表面はどれも同じデザインだ。よく耳にする大手文具メーカーのロゴが金色に照っている。高宮は同じデザインの缶ケースを3つ重ね先輩に示された棚に向かって歩き出す。図書室の空気は穏やかで落ち着いた。
長いテーブルとテーブルの間を縫うように歩いていると、ふと声を掛けられた。
「それ、捨てる、のか?」
高宮は自身に言われているとは思わなかったが、考えるよりも先に目線が声の主に向く。見覚えのある人物が座っていた。
「西園寺さん・・・・。はい。捨てるみたいです」
西園寺は高宮が歩いている側のテーブルに座っていたため、高宮を見上げる姿勢になった。漆黒の瞳に照明が入る。
「・・・・もらっても、構わない、だろうか?」
西園寺の視線は真っ直ぐ高宮に向いた。反射的に高宮は視線を西園寺が読んでいる本に移す。料理の本だ。
「捨てるものらしいんで、構わないと思います!どうぞ!」
先輩もおそらく怒ったりすることはないだろうと高宮は思い、古くなって錆びた缶ケースを西園寺に差し出した。
「ありがとう」
「あの、それとタッパー・・・・、返しにいきますね」
「・・・・学生食堂の備品だ」
「あ・・・・じゃぁ、学食の方に返します・・・・」
訊きたいことが他にもあった気がしたが、西園寺との雰囲気を読むとそうもいかなかった。西園寺は長い前髪を手で2,3度撫で付けると椅子を引き直して本に意識を戻す。
高宮も話は終わったのか、と気付くと先輩のもとに戻った。
暫く西園寺を横目に見ながら同じ作業を繰り返す。箱に入っている色鉛筆や古びた画用紙を中を確認しては捨てるのか、とっておくのかを分別する作業だ。
西園寺が図書室から何も借りず出ていくのを見ると、手元に集中した。
「どう?美術部は」
久しぶりに聞いた女性の声に高宮ははっと顔を上げた。図書室のドアの前に、赤いスカートの女性が立っていた。高宮は先輩の指示のもとダンボールから古い備品を出そうとして屈んでいるときに、彼女はそう微笑んだ。
茶色の長い髪とスカートと同じくらい真っ赤な口紅。高宮は驚きで目を見開いた。男子校に女教諭がいることに。そうして久しぶりに見る女性に。
「あ・・・・」
高宮くん、堅くならないで。
先輩がひやかすように笑った。
「転校生ね。珍しい」
長い睫毛にどきりと心臓が跳ねた。
「わたしは長谷部千歳。美術部の顧問よ」
笑いかける長谷部に高宮は視線を泳がせ、愛想笑いを浮かべる。前の共学にいたころの異性との接し方を忘れてしまった。けれど、どうにか会話を続けたくなる。
「ち、千歳先生は、あの、美術の先生なんですか?」
長谷部か千歳か、どちらが苗字なのかも分からなくなるくらいに緊張した。久しぶりの異性。そして美人。大人の。
周りにいた先輩たちは笑った。高宮の気付かないうちに戻ってきた1年も遠慮するように笑いを堪えている。
「いいえ。私は生物・・・ああ、3年の生物を教えているわ」
一瞬きょとんとしたが、すぐに綺麗に笑う。引き上げられる赤い唇に高宮の視線は惹きつけられた。
高宮は生物と物理の2択のなかで物理を選択しているために、長谷部が教科担任になることはないのだと悟ると残念に思った。
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