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第59話 Q

*  衣澄は慌てた。携帯電話が手から落ちそうになる。それを荻堂が不思議そうに見ていた。 「どうした?」  体育館は熱気に満ち満ちている。エナメルバッグを隅に置き、タオルで頭部を拭いながら衣澄は顔を顰めた。メール画面を急いで消す。着信音がしたため確認したら、滅多にメールをしない相手からの受信だった。 「いいえ・・・特にどうということはないんですが、姉が来るらしいです」  その言葉に、数人の先輩がわっと衣澄を囲んだ。荻堂はその輪に入らず、みな休憩にはいっているなか、1人シュート練習を再開する。練習というよりは、暇潰しだ。 「なんで?なんで?」 「衣澄の姉ちゃん美人なんだろ?」 「いま何歳?」  先輩たちの肩越しに衣澄は荻堂を一瞥し、律儀に全ての質問に答えていく。 「親と喧嘩したそうで」 「双子ですが、美人かどうかまでは俺には・・・・」 「同じ年です」  衣澄は携帯電話をしまって荻堂の練習に付き合おうと思った。 「名前はなんていうの?」 「・・・・・・――静夏(シズカ)です。“静かな夏”って書きます」  衣澄はタオルをエナメルに掛け、コートに向かった。冷や汗が額を伝い、罪悪感が胸に滲んだ。 「荻堂先輩」  名前を呼ぶだけで荻堂はボールを衣澄にパスした。彫りの深い顔は陰を落とし、活気がない。荻堂は衣澄が見ていることに気付くと、眉間に皺を寄せる。 「なんか用か」  転校生の話を出してからといもの、いや、それよりも前か、いつも調子が良く騒がしい荻堂のテンションは低い。そして声音もいつもより低い。 「いいえ・・・・」 「双子なんて初めて聞いたな」  ばつが悪そうに荻堂が目を合わせるたびに逸らす。そうしてやっと出た言葉は衣澄に不都合だった。 「言ってませんから」  衣澄も一度は荻堂から目を逸らして、また荻荻堂を見る。それからリングにシュートする。ボールはボードに跳ね返り、リングを通ることはなかった。 「・・・・・・衣澄」  荻堂以外の先輩は壁際で携帯電話をいじったり、給水したりしている。この体育館のこのフロアを使っているのはバスケットボール部だけだった。コートの中には今、2人だけ。それなのに世界がここしかないような感覚に陥る。荻堂とたった2人だけ。聴覚的には先輩や後輩の雑音がするけれど。 「ちょっと、いいか?」 「はい」  荻堂は彼と同い年の部長に一声かけると衣澄をランニングに誘った。 「お前を、信用して、言う」  荻堂は下履きの靴がある体育館の入り口に着くよりも早く口を開いた。 「・・・・・・・?」  衣澄は返事を躊躇った。どう返事をすればいいのか分からずにいると、タイミングを見失った。 「まだ、話そうかどうかさえ、迷ってるんだ」  チャラチャラしていて軽い。それが衣澄の荻堂へのイメージだった。 「・・・・話して後悔されるのも癪でしょう。気持ちの整理がついてからでは遅いですか」  適当に入れた下駄箱を開けて靴を出す。荻堂の動きは完全に止まっていた。 「衣澄は、聞かれなきゃ答えないのか?」 「必要なことなら訊かれなくても答えます。双子の件についてのことを言っているなら、態々(わざわざ)言う必要もないと思ったからです!」  衣澄の語調が強くなっていた。荻堂は面食らっている。 「すみません。あまり家族の話は得意ではないので」  ガラス張りの玄関から見える外は深い青に染まっていた。靴紐を結びなおす荻堂を立ちながら見つめ、衣澄は先程のメールを思い返す。男子校で全寮制ということを姉は知っているはずだ。どうしてそんなところに自らやってくるのだろう。  荻堂の靴紐が結び終わると、練習メニューに含まれている校外5周のルートに向かって何の相談もなく歩き出す。 「たまには違う道で行かないか」  そう言い出したのは荻堂だった。野球部やサッカー部、ハンドボール部、他にも運動部が走っているルートでもある。それを荻堂が嫌がっているのは衣澄にも分かった。 「そうですね」  察してしまったことには気付かぬふりで、荻堂の向かうところに黙って従う。

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