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第60話 R

「海がいい。海が見たい」  走り出すと、ふと荻堂はそう言い出した。衣澄も突然のことで意味が分からずにいたが、すぐに頷いた。海沿いのランニングコースのことだろう。 「なぁ、衣澄」 「なんですか」  いつものランニングコースから外れ、海沿いのランニングコースに入ったところで荻堂は衣澄を見た。 「今、この時期、問題を起こしたらどうなると思う?」  衣澄はそんな何の脈絡もない質問にもすでに驚かなかった。荻堂はチャラチャラしていて軽い。それでいて頭も弱いのではないか。そういう風にイメージで固められた荻堂を理解するのは難しいのだと分かったからだ。 「程度によるでしょうね。暴力沙汰なら謹慎じゃないですかね」 「・・・・強姦なら?」 「間違いなく自宅謹慎でしょう。部活動停止にもなりかねません」   眉根がぴくりと動いた。 「誰か、強姦なさるのですか?」  皮肉ってみる。 「・・・・・・っ。訊いてみただけだよ」  衣澄自身の言葉を反芻してみる。先輩としての敬語のつもりだったが滑稽に思えた。荻堂はというと焦ったような表情を見せている。衣澄は胸に蟠りを覚える。これは誰かを犯した後かもしれない、という現実味のない覚え。けれど勝手に断定して誰なのか問い詰めるのは失礼かもしれないと思うと次の言葉が出ずにいた。 「お前には、隠し事とか、ないのか」  荻堂は一気にペースダウンする。止まってしまったのかと思い振り向くが、足は動いている。 「・・・・・・・・嘘はつけませんからね。隠し事が多いですよ。嘘は嘘ですが、隠し事なら嘘にはなりません」  はぐらかしていると自分でも思う。荻堂はそれを「隠し事がある」と受け取った。 「お前みたいなのにも、あるんだな」  衣澄は責められているような気がした。空を見上げ、微かに見える雲だけを視界に入れる。 「むしろ、隠し事だけで成り立っています。今だって本当は嘘をつきたいです。隠し事なんてありません。全てありのままを晒しています、と」  それが嘘だと、荻堂は受け取るだろうか。衣澄は立ち止まってしまっている荻堂を見遣る。 「優等生は、優等生なりの苦労があるんだな。俺はバカで全然分からねぇや」 「荻堂先輩」  深い青の中で染まってしまった雲が流れていく。 「1つだけ、信用して頂いた代わりに、本当のことを言います」 「・・・・・なんだよ」  警戒しているように荻堂は身構えた。 「俺は、三つ子です。双子ではありません。もう1人、いるんです」  衣澄が言い終わった後も荻堂に反応はなかった。間が空いてから、「え?」っと訊き返される。けれど衣澄が再び言う前に荻堂は内容を理解したようで、「三つ子?」と返した。 「これ以上は訊かないでください。嘘は言えませんから。隠したままでありたいんです。・・・・・それだけです。一度はついてしまった嘘を晴らしておきたくて」  衣澄は荻堂に構わずペースを上げた。

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