61 / 109

第61話 S

*  部活が終わるとすぐに衣澄は寮に戻った。まだ姉は来ていない。胸を撫で下ろし、衣澄はドアに付いたボタンを押す。衣澄の部屋はオートロック式で暗証番号を入力すれば鍵は要らなかった。同じフロアでも鍵が必要か必要でないか分かれているのは誰もが口にした疑問だ。  部屋に入り荷物を降ろすと、すぐに退出する。高宮の部屋は近い。何故か高宮が気になる。無事だろうか。  高宮の部屋へ行こうとするときだった。 「静詩(セイジ)くん!」  女の声がした。衣澄の肩がびくりと震えた。心臓がばくばくと大きく鳴る。衣澄は声の主を確認するまでもなく、辺りを見回した。自身と声の主以外に人はいない。 「静夏さん」  衣澄は声の主を睨みつける。このフロアにはこの声の主と自身しかいないのだと何度も言い聞かせる。 「お久しぶりですわね」  女性にしては長身の、長く真っ直ぐな黒髪を揺らす、白いロングスカート姿の声の主に衣澄は戸惑いを隠せずにいた。 「その名前で呼ぶな!とりあえず中入れよ」  衣澄は首を傾げる姉の背中を押しながら自室に押し込む。姉とはいえあまり長い間一緒にいたわけではない。 「随分と狭い部屋ですのね。生活に支障はでませんの?」  玄関で優雅にサンダルを脱ぎながら静夏は玄関から伸びる廊下の先にある一部屋を見つめた。ほとんど同じ顔と口調に頭痛がする。苦手なのだ。 「それで、何故俺のもとに来たんだ」  サンダルを玄関にそろえ、不躾に静夏はすたすたと玄関の先の部屋まで歩いた。 「2人で寝られるかしら?」  静夏の言葉に衣澄は様々な言葉が出掛かり、結局出せずにいた。そうしてやっと言葉を選ぶ。 「ここに泊まる気なのか」 「家には帰りたくありませんわ」 「ふざけるのは大概にしろ。ここは男子校の男子寮なのは分かっているだろ」  言っても無駄なのは分かっているのだ。静夏は呆けているように見えて意固地なのだ。 「嫌です!貴方に義理の兄が出来るかもしれないのですよ!」  飾り気のない衣澄の部屋にある白い革張りのソファに静夏は座り込んでしまった。衣澄は黙り込んで、静夏の言っている真意を理解する。 「縁談・・・・・?」 「わたしは今年で18ですでしょ?。嫌ですわ。わたし、好きな方と結婚したいです」  衣澄は顔面を強くぶつけたような気分になる。 「それは、俺に言うことでもないだろ。俺のところに逃げてどうなる」 「それでも嫌ですの。静詩くん・・・・・」 「もう、貴久なんだ。苗字は衣澄。だから俺を頼るのはよせ」  静夏は悲しそうな表情をした。衣澄は俯いた。同じ腹から同時に生まれたけれど、衣澄だけは苗字が違う。生まれたときに付けられた名前も違う。幼馴染みだった輩もおそらくは知らない。 「わたしには静詩くんの名前なんて関係ありませんわ・・・・」 「俺は静詩なんかじゃない。それに・・・・・・・・・――は、どうするんだ。殺されたくないんだ。巻き込まないでくれ」  数年ぶり、いや十数年ぶりに弟の名を口にした。 「・・・・・奏詞(ソウシ)は・・・・・」  躊躇わず弟の名を口にするが静夏はすぐに噤んだ。 「彼とは関わりたくな・・・・」  スラックスの臀部のポケットに振動が届く。言い終わらせることなく衣澄は携帯電話を取り出した。電話とメールの振動が同じに設定しているためどちらか分からなかった。実家からの罵倒の電話ではないことを祈りながら画面を見る。高宮からだ。話しながらメールを打つのを躊躇い、中身は開けなかった。 「・・・・・帰れ。ここに貴女のいる場所は・・・・・・見ての通りない」  言い過ぎたかと思うと、もう部屋の物理的なことのせいにした。 「・・・・・好きでもない人と結婚させられてしまうこと、やはり男性には分からないのですね。寂しいですわ。不安ですわ」  静夏の口調は先程より少し他人事のように感じられた。諦めがついたのだろうか。それともまだ抗うのだろうか。 「結婚式には、呼びますわ。いらっしゃてはくれないでしょうけれど」 「姉の結婚式に、弟に不愉快な思いはさせたくないからな」 「卑屈にならないで」 「事実だろ」  いとこの柳瀬川とは仲が悪い。それ以上に三つ子の弟とは非常に仲が悪かった。それは嫌われている、恨まれている、憎まれているといったほうが的確だ。殺意さえ抱かれている。 「いいですわ。薫くんに頼みます」  衣澄は大きく溜め息をつく。

ともだちにシェアしよう!