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第62話 T

「薫は今、学校に来ていない」  本当のことだ。いとこだということを学校側が調査表で知っているかどうかは衣澄には分からないが、学級委員という役がら、知らされていた。 「あら・・・・?どうして?」 「それに薫なら・・・・血縁的にいとこでも、もう静夏さん達には関係のないことだと思うんだが?」  静夏は唇を尖らせて、俯いた。 「お母様は、元気にしていらっしゃる・・・・・?」  静夏の表情は曇っている。衣澄は黙った。 「静夏さんには、関係ない」  これ以上話すつもりは、すでに衣澄のなかにはなかった。静夏は躊躇なく傷付くことを言う。癪に障ることを言う。 「話はこれで終わりだ。俺は用がある」    ピンポーン  静夏に背を向けたところで丁度良く呼び鈴が鳴る。 「わたし、絶対に嫌です。好きでもない人と結婚なんて・・・・・」  とどめを刺すように静夏は早口でそう捲くし立てる。返事をすることもなく衣澄は玄関に歩いた。 「衣澄」  玄関の戸の奥から聞こえた声は、静夏が訪問していなければ会っている人物のものだった。  ドアを開くと、高宮が立っていた。そして視線は玄関の、静夏のサンダルに向かっている。 「誰か来てるのか?」  高宮は戸惑うように衣澄を見上げた。部屋に上げることはできない。けれど今は部屋にいたくない。おそらく高宮は気を遣って帰ってしまうだろう。 「・・・・・・ああ。まぁ」  視線を外す。確かに、訪問者がいることに間違いはない。ここでそれが姉弟(してい)、しかも三つ子の姉であることを明かさなければならない義務はない。 「カノジョ?」  サンダルは明らかに女物だ。 「いや、違う」 「そう。・・・・・お邪魔しちゃってる・・・・・かな・・・・・?」  高宮は愛想笑いを浮かべた。 「いいや。むしろ助かった。・・・・学食にでも行かないか?」  高宮は衣澄をじっと見た。「なんだ」と問うと、怪訝そうな表情を見せる。 「女の人なんでしょ?放っておいていいの?」  訊いたというよりは責めているような口調だ。「なんか、変だよ?」と高宮に言われる。それから高宮は衣澄の後方を見て、目を大きくした。 「こんばんは」  空耳だと信じたかった。静夏の声が真後ろからした。衣澄は額を手で押さえる。 「え・・・・と・・・・・姉ですわ!そちらの方の!」  静夏が前の名前を言ってしまうのではないかと冷や汗をかいたが、静夏は気を利かしたようだった。けれど違和感のある自己紹介のようにも聞こえる。 「綺麗なお姉さんだね!」  高宮の目はきらきらと輝いている。 「静夏と申します。以後、お見知りおきを」 「衣澄静夏さん・・・・か・・・・・!よろしくお願いします!オレは、高宮敬太っていいます!」  衣澄静夏、という響きに静夏は狼狽えたように見えたがすぐにそれを肯定した。 「お姉さんなら言ってよ」 「・・・・すまないな」  高宮は軽く衣澄を小突いた。 「三つ子なんですの」  高宮は再び、静夏の言葉に目を丸くする。静夏は、衣澄が三つ子であることを隠していたことを知らないのだろう。 「え?じゃあ、あと1人は?」 「弟ですわ」 「衣澄、絶対兄か弟はいるなって思ったんだ」  高宮の意外な反応に衣澄は眉を顰めた。 「初めてここに来たとき、兄弟の話しただろ?」      「ここが、オレの部屋・・・・・っ」     目を輝かせる、高宮を覚えている。      「兄がいるのか?」     初めて部屋を与えられた子どものようだったのを覚えている。      「いいえ。オレが長男で、妹がいます」        嬉しそうな高宮の顔を覚えている。     「そうか」       自分になかった、幼少期を見たようだった。   「そんなこと、覚えていたのか」  つい最近のことのようにも、昔のことのようにも感じる会話。理屈では表しようのない熱さが胸に広がった。 「兄弟いるのかなって訊こうと思って、忘れてた」  高宮は笑う。ここにもし静夏がいなかったなら、きっとこんなことにはなっていないだろうけれど、衣澄は高宮を衝動のままに抱き締めただろう。衣澄は行き場のない衝動の代わりに拳を強く握り締めた。高宮に言いたいことが沢山ある。訊きたいことが沢山ある。  静夏はそんな衣澄に気付いたのか、切なげに高宮を見つめた。 「何か困ったことがあるのでしたら、こんな弟ですが・・・・どうぞ、使ってくださいな・・・・」  不思議なもので、はっきりとはしていないけれど何となく、静夏とは通じ合えるのだ。弟とはおそらく通じ合えていないのかもしれないが。衣澄は静夏の言葉の意味を理解した。高宮は「え?」と戸惑っている。無理もないだろう。高宮は衣澄が気付いていることに、気付いていないようなのだから。 「わたしは・・・・やはり、この近くのホテルを借りますわ」  高宮と衣澄を交互に見遣った。

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