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第72話 ニ

*  目覚めると、玄関が騒がしかった。頬に付着して乾いた吐瀉物を袖で乱暴に拭き取り、汚れたスラックスを穿いて玄関に向かう。 「はぅ・・・・ああ・・・・・・っ」  衣擦れの音がまず耳に確かに入った。そして苦しそうな呻き声。 「やめっ・・・・ふぅう」  樋口が壁に爪を立て、後ろから神津に覆い被さられている。 「んん・・・・・・・っ」  男同士の交ぐ合いに目を背けたくなる。 「よぉ、高宮」  神津の左腕はまだ血塗れで、茶色くなっている。 「もう柳瀬川は、お前を助けになんてきてくれないぜ」  神津は樋口を穿ちながらそう言った。きょろきょろと目を泳がせ、高宮は訊き返す。いくらか頭も落ち着いてきている。 「お前のせいだ」 「・・・はぁっ・・・・ちがっ・・・・!たかみ・・・・ん・・・のせい・・・・じゃ・・・・なっ・・・んくぅ・・・っ」  息を短く切らしながら揺さぶられる樋口が何か言った。足を震わせ、神津に支えられているようだった。 「お前のゲロ、なかなか使えるな」  そう言われ、樋口と神津の結合部に視線をやる。樋口の内股を、汚らしいものが伝い落ちている。気が違っているとしか思えなかった。吐瀉物をローション代わりにしたのだ。目の前で腰を振る男は。 「んんっ・・・・はぁっ・・・・」  気が狂いそうだ。ここにこままいるのは普通じゃなくなる。 「そこ・・・・いや――っ」  樋口の一際高い声が合図に、高宮は部屋から飛び出した。異常な空間になった自室に愛着などない。廊下を抜け、階段を駆け下り、踊り場で立ち止まる。強打された頭ががんがん鳴り響く。息を切らしながら大浴場に向かう。身体中が胃酸と血の匂いで侵されている気がして仕方がない。スラックスもシャツも、洗わなければならない。明日は休日なのが救いだ。大きく溜め息をつき、男湯、と青地に白抜きで書いてある暖簾を潜る。上から下まで全て脱ぎ、着替えを持ってきていないことを思い出した。けれど汚れたシャツとスラックを着たくなかった。そして着替えを取りにいくにも自室に戻るのは避けたかった。浴場へのドアの横に積み重ねられた真っ白い手拭いを腰に巻き、ドアを開ける。まだ早いせいか、高宮以外、誰もいない。湯船には獅子をあしらった像の口から湯が流れ出ている。入り口から一番離れたシャワーを使うことにした。  シャワーのコックを捻ると少し熱めの湯が頭から降り注ぐ。腰に巻いたタオルを畳み、目の前に並ぶボディソープを付けた。いつもよりポンプを多く押す。赤くかぶれるまで強く身体中を擦った。熱い湯が染みた。そうして、指は臀部の中心に伸びた。神津に弄ばれた体内がむず痒い。けれど痒いというより、甘い疼きに近い。指先が内部に侵入していく。いやいやと高宮は頭を振る。頭で考えるのとは反対に、肉体は快感を追う。 「い・・・・やぁ・・・・・」  中指の第2関節が体内に消えた。 「うっ・・・・ん・・・・っ」  漠然とした快感を追う。指先を動かすけれど、何かが違う。 「はぁ・・・・うう・・・・・」  ただの異物感に、涙が溢れた。そんな高宮に無情にシャワーは淡々と熱い湯を降り注ぐ。  中指で体内を探した。快感を溢れさせる場所には辿り着かない。焦り、やめようとする頭と、快楽を欲し、中指を支配する肉体。シャワーの音が聴覚を塞いだ。だからドアが開く音にも、高宮は反応できなかった。 「はぁ・・・・うぅ・・・・」 「大丈夫か?」  高宮は、はっとして顔を上げる。心配そうな声音で、戸惑った表情を浮かべる、自身を強姦した男がそこに立っていた。彼はまじまじと高宮の顔を覗き込むと、しまった、という顔で目を見開いた。

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