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第76話 チ
「小田桐先生」
天城はダンボールを担いでいない方の腕で保健室の横開きのドアに手を掛けた。天城が開くよりも早く、がらがらと音を立てて開いた。
「来たか」
黒髪と白髪が3対7くらいの頭部がまず目に入る。それから小田桐の鋭い目を見た。焦燥感が窺える。
「何かあったんですか?」
小田桐がダンボールを預かると天城は訊ねた。有安が天城の背後に隠れてしまう。この小田桐という保健医を苦手だと思っている人は多いようで、あまり保健室に行きたがる生徒はいない。そのせいか図書室のあまり使われていない応接室が保健室化している。
「・・・・お前等も来い。病院に行くぞ」
「病院?」
有安が天城の腰の部分の布を引っ張った。
「病院・・・・ですか・・・?」
天城は顔を顰める。
「柳瀬川が意識不明なんだ」
くらっと立ち眩みがした。重いダンボールを担ぎ上げていたからだろうか。天城は額に手を当てた。有安は小田桐と天城との間に入った。
「意識・・・・不明って・・・・なんでですか・・・?」
有安は呆然としていた。
「分からない。一昨日の夜に・・・・・・」
小田桐も目を見開いたまま床を見つめている。リノリウムの床が照明を反射している。
「一昨日の・・・・夜に・・・・救急車が・・・・」
小田桐がパニックを起こしているように天城には見えた。いつもは冷静で、生徒を冷やかし、軽口を叩いている。突き放すような言動をすることもあれば、からかってくることもある。人を食ったような性格だ。
「くそっ!」
説明が上手く出来ない自分に苛立っているのか小田桐は怒鳴った。吃驚(びっくり)して天城は肩を震わせたが、有安はただ呆然としている。
「・・・・集団リンチだってよ・・・・」
小田桐は息を切らしている。怒りと焦燥感で張り詰めていたのだろうか。
――集団リンチ?集団リンチだって?
小田桐の状況をじっと見つめてから、天城は改めて咀嚼した。
「集団・・・・リンチ・・・・?」
固唾を呑んだ。神津と行動しているということは、そういうことなのだ。天城は光るリノリウムを見つめ、目を見開いた。
「通報してきたのは、桐生だ。分かるだろ」
小田桐が有安を見た。有安は眦が切れるほど、大きい瞳をさらに大きくする。
「分かるだろ?って・・・・?」
天城は怪訝な表情で小田桐を見た。小田桐は有安に顔を向けている。
「先生は、知っているんですか」
有安の始めの小田桐に対する苦手な感じは無くなっている。2人だけで会話が成り立っている。天城はそれをぼーっと見つめる。
「ああ。薫が監禁されていたことも、衣澄と桐生が脅迫されていることも・・・・・。樋口が売春させられていることも。高宮も、だろ」
「なんで・・・・・」
監禁、脅迫、売春。天城は健やかな学園生活とはかけ離れた単語に違和感を覚える。テレビの奥の世界だ。まさかこんな身近で起こっているはずがない。もしくは、よく見る大型インターネットチャンネルで現代社会を風刺した掲示板でよく見る程度の単語。まさか学校の保健の先生の口から聞くとは思わなかった。
「聞いたんだ。ただ、俺が口を出すことを拒んだ。だから見守ることにした。だが・・・・・・薫がこんな目に遭って我慢できるか!!」
落ち着いた口調が感情的になっていく。天城はただ顔を顰めて小田桐を見続けることしか出来なかった。
「どうしたらいいか迷って、悩んで、考えて・・・・。それで俺に相談した!なのにどうしてアイツがこんな目に遭わなければならない?」
小田桐は叫ぶ。八つ当たりだと天城は思ったけれど、それも仕方がないとも思う。そして知らないルームメイトの一面に、天城は戸惑った。ルームメイトというだけで、何も知らなかった。神津と絡んでいる危ないやつだと、本当は敬遠していただけのではないかと天城は自分自身を疑った。有安に視線を移すと、傷付いた表情をしていた。そんなカオしないで、と手を伸ばしたくなるような、保護欲を煽るようだった。
「ボクだけだったんだね。口先だけで、何もしていなかったのは」
有安の小さな手が目元に持っていかれた。天城はそんな小さな姿を見ていると、視界が滲んできた。
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