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第79話 ル

 静夏は顎に人差し指を当て、考えるようにして見せた。衣澄は洗面台の横にかけてあるヘアバンドで髪を後ろに掻き上げ顔を洗う。 「電話が鳴っていてよ」  蛇口を閉めて、耳を澄ます。なにか震動する音が聞こえる。テーブルの上に置いた携帯電話の存在が頭に浮かんだ。静夏が取りに行こうとするのを制し、顔から水滴を落としながらテーブルのある部屋まで行く。母親からの連絡だと静夏に出させるのは心苦しい。サブディスプレイに名前が表示されてしまうの静夏に見られるのも避けたかった。幼少期に引き離されて、おそらく実父によって会うことは禁止されているのだろうから。案の定、電話の相手は実母だった。実母の名前がサブディスプレイを流れていく。静夏が不審な目で見たが、衣澄は玄関を出た。優等生としての周りのイメージとは似つかわしくない格好だったが、衣澄のこだわりがあるわけでもないため気にすることはない。  通話ボタンを押すと、通話時間がディスプレイに表示される。スピーカ越しに落ち着いた女性の声が聞こえる。 「もしもし、貴久です」      『貴久。久し振りに掛ける電話がこんなんで悪いけど・・・かーくんが今、大変な状態らしいじゃない』    大変な状態。なるほど。休学とはそこまで不名誉だったのか。衣澄は曖昧に返事をする。 「ああ・・・そのようですね」  『お見舞いに行きたいんだけど、青間総合病院の場所が分からないのよ』    お見舞い。病院。衣澄の思っていた休学とは程遠い単語に眉根を寄せる。 「どういうことですか?薫は休学届けを提出したばかりですが、病院とはどういうことです?」    あらやだ、と電話の奥から非難するような声が聞こえた。 『かーくん、暴漢に襲われたらしくて、意識不明なのよ』  暴漢。意識不明。意味を訊ねそうになる。もしくは、もっと簡単に説明してくれ、と。自分の理解した内容とはおそらく違うのだろうな、と思った。柳瀬川の姿が脳裏に浮かぶ。そして静夏がホテルで柳瀬川の両親に会ったという話を思い出した。  衣澄は力なく携帯電話を持つ腕を下ろした。無意識に通話を着るボタンを押してしまう。床を見つめた。成田先生は一言もそんなことは言っていなかった。柳瀬川から休学届けが提出されたから、把握しておけと言われただけだった。把握とは、内容まで知っておけという意味だったのだろうか。いとこだから、全て知った気でいた。 「・・・・・大丈夫ですか?」  玄関のドアが開き、心配そうな静夏が姿を現す。 「静夏さん。青間総合病院に行くぞ」  静夏の反応を聞かず、衣澄は部屋に戻った。  

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