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第91話 ム

*  ただの遊びで火傷するのはやめている。火傷する前に捨ててしまう。火傷するのが怖いからじゃない。その遊びに飽きたからだ。  大嫌いな兄と同じ顔が大嫌いだ。だから眉を剃って、茶色に染めることもなく髪は黒いまま。喋り方も変えてみたし積極的に女子に話かけた。持ち物もすこしチャラチャラした物にしてみたし、香水も吹きかけてみた。それなのに鏡の奥には自分に化けた兄がいる。  兄が出来ないことを自分がやろうとする度、それが無意味に思えて仕方なくなる。けれど、母を奪い、父を怒り狂わせる、忌々しい兄を虐げる。これ以上の快楽と使命感はない。    それなら兄を排他的に扱うしかない。兄弟・双子または三つ子という中でヒエラルキーを築いていくしかない。彼と別れた、その後も。    もう一人の自分が不幸になれば、自分は幸せになれる。そんな考えだけが奏詞の憎しみと罪悪感を救った。 「奏詞?」 「ごめん、ごめん」  静詩が絶対付き合わないような・・・・付き合えないようなカノジョも作った。自分のタイプではない化粧栄えするタイプも静詩とは反対の趣向をもつために好きになるよう努めた。  行為後は身体がだるくて仕方なかった。一人暮らしのおかげでその気になればいつでも身体を重ねられる。けれど自分から求めることはない。 「杏里、お腹空いた」  茶色い巻き毛。化粧の濃い顔。頭の悪そうな態度、仕草、口調。内心ひどく汚らしいと思っているし、好きになることは絶対に無いと言ってもいい。けれど静詩との区別化を図るには必要な女。  杏里は裸のまま身体にシーツを巻き、髪をいじっている。 「ああ、待ってろ。なんか買って来てやる」  舌打ちをして服を着る。ズボンに財布を突っ込む。 「うん!ありがとう、奏詞!大好き!」  大好き。この女の口から出る好意に期待なんてしていない。 「すぐに帰ってくる」  それでもこういう女が自分には必要だ。兄と混同されないようにするには。  最寄のコンビニは歩いて5分弱だ。  何を買ってくればいいだろうか。サンドウィッチでいいだろう。面倒臭いな、と後頭部を掻き毟りコンビニに向かった。  本当はどちらかと言えば、地味な女性が好きだ。幼少期に引き離された母親がそうだったから。兄は三つ子であるというのに、姉である静夏とも、自身とも違う、色素の薄い髪を持って生まれてきた。年頃になったら染めたい、という願いも叶わず友人たちの間では生まれたままの自然な黒髪が浮いていた。    考えるだけで、胸の奥が熱くなり、不愉快な気分になってくる。杏里と身体を重ねるたびに、肉体的に満たされた欲が、精神を蝕んでいく。全て全て、憎い憎い、実の兄が悪い。  普段歩いている道がやたらと短く感じたようで、気が付くとすでにコンビニの中に入っている。入り口でたむろっていた市内の女子高生の下品な笑い声に我に返ったのだ。歩くにつれ変わっていく風景は確かに目に見えていたのに、兄に対する憎悪のことで意識が向かなかったようだ。おかしな行動を取る前に気付いてよかったと、数人で笑い合う女子高生を見遣る。  サンドウィッチが売られている棚を見て、それから菓子が売られている棚を見にいく。どうせまた菓子か何か食べたがるのだ。溜息をつきながら、グミだのチョコだのが吊られているフックの前に立つ。隣に市内の女子高の制服を着た少女が横目に見えた。首が隠れ、肩を少し越す長さの黒髪が俯いているせいで顔が見えない。震えた手がフックに吊るされたグミにゆっくり伸びていく。 「これか?」  腕が悪いのだろうか。親切心で奏詞はグミの袋を取ってやる。少女ははっとして奏詞を見た。目を真ん丸に見開いている。不細工ではないが、地味だ。 「違ったか?こっちか?」  もう片方の手にまた別のグミの袋を掴む。 「あ、ご、ごめんなさいっ!わたし、べ、別にっ!」  赤い細いリボンで横髪を結んでいる。かわいいな、と思った。 「・・・・お節介だったな」  何かを訴えてくるような表情、そう見えた。 「あ、いえ!違くて・・・・っ」 「・・・・・?」   奏詞は首を傾げた。言い淀んだままの少女に、話は終わったのかと思い、2つのグミを手に再びサンドウィッチの売っている棚に戻る。適当な品を選び、レジに持っていく。その途中で少女の方へ首を向けた。  会計を済ませると、袋をぶら下げたまま少女の商品にゆっくり伸びる震えた腕を掴んでコンビニを出る。 「買うか迷ってんなら半分やるから」  見ていてじれったくなる。買ってみたいと思いながら食べ切れなかったらどうしようという不安。食卓で残飯を出すと苦い顔をされるような生活をしてきたから、奏詞には何となく気持ちが分かった。少女はというと、困った表情をしてきょろきょろを辺りを見回す。 「え・・・あの・・・ちがっ・・・・」  コンビニの前にはいかにも頭の悪そうな女子高生のかたまりしかいない。白昼、堂々とタバコを吸っている。真面目で優等生を彷彿させる容貌の少女から、あの連中と関わりがあるようには、奏詞の人生の経験上思えなかった。 「ちょっと、神嶋さん?何してるの?」  少女と話していると、カールした茶髪の化粧栄えした女子高生が少女の肩を叩いた。近くで見ると、2人の制服は同じだった。着崩しすぎて分からなかった。 「ああ、この子がグミ迷ってたみたいなんで、半分こしようかなーって」  軽そうな女と話すときの口調で、軽そうな笑みを顔に貼り付ける。 「え~そうなんですか~」  外見は9割、という本を読ませられたことがある。今ほどそれを実感したことはない。量産型のようなカールした茶髪に、たむろっている面子で全く同じ化粧。カレシをステータス、生きたアクセサリーだと思っているタイプ。それでいて、好意を囁きながらも切ない恋愛をしているのだと思われたい、奏詞が何度も出会ってきたタイプ。実際杏里がそうだ。 「よかったら食べて」  グミを2つ、その女に差し、奏詞は帰路に向かう。 「万引きしてこいって言ったろ」  声のトーンが急変した女の声が背後で小さく聞こえ、「ごめんなさい」という声が耳に残った。

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