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第94話 ノ
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貴久と十夜と仲が良かった。十夜は女の子ぽくって、初恋だった。貴久は母親想いでいつも大人っぽくて、物知りだった。憧れだった。みんなで一緒に、大人になっていくのだと思った。
それなのに、何故。
なんで借金なんか。当時の家はしがないケーキ屋。美味しいとは評判だったのかもしれないけれど、息子の目から見ても、華やかさに欠けたと記憶している。
スーツ姿の輩が入り浸っているのを、何度か目にしたことがある。その度に、両親は困った表情をする。今なら分かる。碌な奴等ではないのだと。
弟とも仲が良かった。血は繋がった本当の弟だがあまり似なかった。顔立ちも体質も毛質も、食の好みも。もう名前の漢字も覚えていない。当時の声も。毎日話していた好きな女の子の名前も。一番好きだった食べ物も。
同じ名前の弟を持つ荻堂が羨ましかったのだ。悪行のせいで校内で有名だったことを利用して近付いた。予想以上に頭が悪かった彼に媚薬を飲ませるなど簡単なことだった。部屋に仕掛けさせてもらった監視カメラに映っていたのは、当初の本当の目的だった高宮との行為の他に、仲の良い「兄弟」。授業がかったるいだとか、課題が難しいだとか、先生がむかつくだとか。学食ではあれが美味しいだとか。部活が楽しいだとか。
奪われた時間が目の前にあった。でもそれは、他人のもので。
何故死ねなかったのだろう。何故銃弾を身体に何発も喰らいながら、生き延びてしまったのだろう。どうして両親は自分たちを殺すことを選んだんだろう。
久しぶりに会った幼馴染は、自分を快く迎えてはくれなかった。いや、違う。自分がぶち壊したのではなかったか。そうだ。自分は悲惨な目に遭ったのに、2人はずっと一緒で居られたのだ。何故。自分のほうが早く十夜に出会った。引っ越してきてから仲良くなった貴久とは違う。
何故だ。どうして。なんでなんでなんで。
「よ!おれ、柳瀬川薫!よろしくなっ」
ああ 気付けば孤独な自身の隣にいたのは柳瀬川薫だった。
なんで荻堂先輩にあんなことさせたんだよっ!?
なるほど。自分が孤独になろうとしているのか。
なんで高宮の動画バラ撒いちまったんだよ!?
ごめんな、薫。
反逆するならお前でも容赦しないからな、柳瀬川。
大事だったんだろ、高宮が。あの男は、薫のこと、何とも思ってないんだぜ。
盗んだデータを返すんだ。今なら無傷のまま帰らしてやる。
返してもらう必要なんてなかった。大事なデータならいくつもコピーしておくもので。
嫌だ・・・!返したらまだバラ撒くんだろ・・・・・!?
薫、お前が盗んで壊したそれに、データなんて入ってないんだよ。
桐生が吐きそうになるのを堪えて目を逸らしていたな。何も言わず、ただ理不尽な暴力に耐えていた。やめろ、薫。あいつはお前のことなんて、何とも思っちゃいないんだ。
腫れ上がった顔が頭から離れない。綺麗な茶色の目が覗けないくらいに腫れていた。小麦色の健康的な肌が赤く爛れていた。何故気付かなかった。目の前で大事な人間が手足を焼かれて悶えていたのに。
データを入れるだけの、どこでも買えるカードを返して欲しかったわけじゃなかった。薫だけは、他の離れていく奴等とは違うと思っていた。あの焼印はもう消えてしまったのか。
「神津?」
呼ばれて、はっと顔を上げる。薄い橙色の窓の外と、暗い部屋。青間総合病院だ。
「・・・・俺・・・・え・・?いつ、着いた・・・?」
ベッドのすぐ横のパイプ椅子に座っている。桐生は腕時計を見てから、20分前と言った。
「悪い。考え事してた」
「別に・・・・」
柳瀬川に繋がれた装置の音が空間を占める。
「なあ、桐生」
「何・・・?」
神津は立ち上がって、桐生に向き直って、壁側に追い込む。それから唇を奪う。驚いたのか桐生の口は開きっぱなしだった。その隙に舌を挿入し絡める。いつものこと。それが官能的であるとかないとか、関係がない。距離の問題だった。力が抜けてしまう桐生を床に座らせた。
「ここ・・・・病室で・・・・っ」
再び触れるだけのキスをする。胸板を強く押され、口元を拭われる。どれだけ仕込んでも、その癖だけは直さない。
「ああ、だからだよ。最後にはちょうどいい」
桐生はきょとんとした。さらさらの髪を掻き分け、額にキスする。
「なんか・・・今日・・・・変・・・・」
そうだ、いつもならもっと暴力的にしている。力づくで脱がせて、力づくで行為に及ぶ。
「こう・・・・づ・・・・?」
優しく丁寧に神津は桐生の着ているシャツのボタンを外す。その間も肌に唇を落としていく。
「・・・・っ・・・」
桐生の口から息が漏れる。
「神津・・・・っ!」
胸に右手を当て、突起を舐めるながら、左手はスラックスに伸び、前を寛げると、神津の頭部は桐生の下半身へと下っていく。制止しようとする桐生の左手と、神津の額に伸びる右手。神津は顔を上げて首を傾げた。
「今日・・・変・・・だ・・・」
桐生が頬を赤らめながらそう言うのを見て、神津はにこりと微笑んだ。そうして気付く。桐生に微笑みかけたことなんてなかったことに。
「神津・・・・?」
「呼ぶな」
神津はそれだけ言って、桐生のものを出して、緩く手で扱いてから口に含む。小さく頭上から聞こえる吐息に気分が高ぶる。唇を窄めて、先端をきつめに吸うと、華奢な身体が大きく震える。
「っふ・・・・・」
「声、我慢しないで」
一度口を放して、できるだけいつもより優しい声音にする。それからまた口に含んだ。
「も・・・・いいっ・・・・から・・・・放し・・・」
桐生の冷たい手が髪に触れる。
「だぁめ」
胸が痛い。それは物理的な痛みではない。切りきりと追い込まれていくような息苦しさによって生まれた痛み。誤魔化すように桐生のを奥まで咥える。
「やぁ・・・・も、やめ・・・・!」
「我慢すんなよ、出せ」
根元をゆるゆると揉みしだきながら、咥え込んだ頭部を動かす。
「あっあっいやぁっっ・・・・・!出ちゃ!はぁあああっ!だめ――っ!」
他人の名前が病室内に響く。
白濁が口内に流れ込んでくる。神津の口内を逆流し、端から零れ落ちた。気にすることもなく神津は口元を拭い、肩で息をする桐生の目を見た。
「やっぱりか」
桐生ははっとして、目を見開く。長く艶やかな睫毛に縁取られた瞳が揺れた。
「ご・・・・め・・・・なさ・・・・」
怯えている。行為中の粗相には毎回暴力がともなっていた。だから、怯えているのだ。神津は自嘲した。濡れたような漆黒の美しい髪を撫でる。
「お前もこいつも、叶わない恋愛してんのな」
ほら、立って、と神津は桐生を四つん這いにさせる。脱ぎかけのスラックスと下着を下ろす。
「舐めない・・・で・・・そのまま・・・ください・・・・」
桐生は振り返って、掠れた声でそう言う。神津は参ったな、と額を押さえた。
「はっ・・・・神津・・・・・」
桐生の顎を掴んで、顔を上げさせる。柳瀬川が横たわっている。包帯が巻かれた頭部、ガーゼが貼られた顔、縫い糸が這う頬が痛々しい。
「呼んでやれよ。俺じゃなくて」
大きな桐生の吐息が耳を支配する。悲しい。悔しい。寂しい。手の中に全ておさまっているのに、全て抜け出していく。
「呼べよ」
桐生の後孔に舌先を当てる。表面を舐めてから、挿し入れる。
「はぁだめ・・・!おかしくなる・・・・っ!」
おかしくなれよ。おかしくなっちまえよ。もう誰が誰なのか分からないくらいヨがり狂えよ。唾液を流し込むように舐め上げ、右手の中指を突き入れる。
「ああああ!んあっ・・・」
突き入れた瞬間にひくひくとそこが中指を収縮し、絞るように締め付けた。
「イったか」
「はっ・・・・あっ・・・ん・・・ん・・・」
桐生が腰を揺らす。珍しいこともあるもんだと思う。いつでも性行為に拒絶感を示していたのに。好きな人が寝ている真横での行為に興奮しているのか。内壁をなぞるように指を動かし、次第に指も増やす。どこか前立腺なのかは分かっている。
「も・・・許し・・・て・・・」
許せとは、何のことだろう。神津自身が、ただ桐生に酷い仕打ちをしただけなのに。これが教え込んでしまったことだ。長い間刷り込んでしまったことだ。桐生のただ何気ない言い回しが、神津の胸を貫く。
「言えよ。薫、愛してるってさ」
頭を床に押さえつけ、勃ち上がっている自身を挿入した。熱く、柔らかいけれどきつい内部に思考がすべて持っていかれそうになる。
「ふあぁっ!」
神津の下腹部と桐生の臀部がぶつかり、ぱちゅん、っと音がした。
「衣澄じゃなかったんだな」
「はっあっあっ」
ゆっくりと腰を動かしながら、背中に覆いかぶさり、耳元で囁いた。
「んくっ・・・あ・・・・」
「たか・・・・ひさっは・・・ともだっち・・あっあんっだった・・・ふっ」
徐々に腰の速度を速めると、喘ぎ声ばかりで何を言っているのか聞き取れなかった。
「言ってやれ、好きだって」
黒い髪から覗く白い耳を優しく食む。いやらしい熱が背中から伝えわり、背中へ伝える。
「あんっ好き・・・・!好きだぁ・・・・薫っかおる・・・・!」
心臓を切り裂かれるような痛みはなんだ。それと同時に広がる深い安堵感は何なのだ。
「愛してるって言え!」
「はんっ薫、大好きっああっくぅ・・・・」
桐生のそれは腹に向くように反り返っていた。見逃さず、神津は掴んで、扱く。
「好き・・・!好き・・・・」
まるで自分が好きだと言われているような錯覚。おかしな痛みと苦しさが胸の辺りに集まる。
「愛してるっあああああああ」
何をしてきたのだ今まで。こいつに今まで何をしてきた。
「桐生、お前を、解放する。明日から、もう俺の顔を見ることもない」
抱かれた後の、ぼんやりした頭でも、その言葉で桐生は床から飛び起きた。
「衣澄と、有安と、残りの高校人生楽しめよ」
ああ、どんな顔してこんなことを言っているのだろう。神津は瞳の奥が熱くなってくるのを我慢した。
気付いてしまった。柳瀬川を失って。西園寺と高宮が話しているのを見て。初めて。自分の胸を埋めている感情を。
「放すものか」
返ってきた言葉を、神津は反芻してしまった。
「放さない。アンタを絶対に。アンタが俺を捨てる気でも」
低い声だ。怒気を孕んだ口調。
「アンタが嫌がっても。アンタを放さない」
神津は戸惑った。どういうことだ。思っていた反応と違う。
「アンタにいっぱい傷付けられた。許さない。お前が俺を捨てようが、俺は絶対にお前を忘れないし、放す気はない」
桐生はよろよろと立ち上がる。
「他の奴等がアンタから放れていっても、俺は絶対にアンタから放れないからな。背後には注意しろよ・・・・!」
――早めに俺を刺し殺さないと、後悔するのはお前らなんだぞ。
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