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第99話 ケ
*
病院には、有安と天城、それから小田桐がいた。衣澄が先に病室に入り、それから静夏が3人に頭を下げて衣澄に続いた。
「衣澄。えーっと・・・その、なんだ」
呼ばれて衣澄は意識の戻らない柳瀬川から顔を上げる。小田桐が言葉を濁す。人工呼吸器の音や、その他の機械の音や、その他雑音がやたらと大きく耳に響く。
有安も小田桐も重く暗い表情をしていたが、ルームメイトの天城は飄々として、近場にあったパイプ椅子に腰掛け窓を見つめている。小田桐は最後まで言い切らなかった。衣澄は言うべき言葉が見つからないのだと解釈し、目を逸らす。少し様子がおかしい静夏を一瞥する。自己紹介すべきか迷っているらしい。衣澄に遠慮して、どう自己紹介していいのか戸惑っている。
「貴久、そちらは?」
有安が口を開いた。言わなければならないのかという諦め。
「双子の姉だ」
あえて三つ子ではなく双子といい、静夏に視線を投げる。
「ご紹介遅れまして、申し訳ありません。六平静夏と申します」
下腹部の辺りで両手を組み、頭を下げる。小田桐が眉根を寄せた。
「父と母が離婚して、俺が母につき、静夏が父についたので、姓が違うんです」
「じゃあ静夏さんもかおりんのいとこなんだ」
天城が特に興味もなさそうに言った。
「はい。とはいっても、あまり長い間一緒に居たわけではありませんが」
「ふーん」
その事実に気付いただけで別に興味はないんだ。天城が静夏から視線を放す。
「衣澄。ちょっといいか」
小田桐がいつもより低い声で衣澄を呼んだ。この病室から出たいというニュアンスが含まれていることに気付き、なんですかと無愛想に返し、歩き出す小田桐についていく。病室から出てすぐにあるベンチに衣澄は座り、小田桐は座りもせず、立ったまま。
「お前は知っているのか。何故柳瀬川が集団リンチに遭ったのか」
生徒を前にしても平気で煙草を吸っているようなふざけた軽い養護教諭が今、青褪めた顔で生徒を真っ直ぐ見つめている。
「いいえ。俺もつい先程、母の連絡で知ったので」
小田桐の顔は顰められる。いとこが意識不明の重体という割りに衣澄の態度が冷めていたのが不可解だったのだろうか。
「いとこといってもあまり関わりがあるわけではありません。血縁的な関係だけですから」
衣澄は他の生徒の例に漏れず、小田桐という養護教諭が苦手だった。できれば2人きりになどなりたくない。はやめに話が終わればいいと思っていたが、妙な誤解を招いても困る。
「だから別に、俺は今回のこの件について詳しくは知りません。・・・・成田先生も教えては下さりませんでしたし」
暴漢に襲われた、と聞いた。しかし、何となくそれは違うのではないかと思った。いつかきっと、柳瀬川がこのような形でなくても、どうにかなってしまうかもしれないというのは、人付き合いから推測できた。
「救急車を呼んだのは桐生だ。桐生が関係してる。ということは神津が絡んでいるとみるのが妥当じゃないか?」
「・・・・・そうですね。桐生が関わってるなら神津も関わっているでしょう」
いとことして、学級委員として、それとも一個人として。どの自分で感情を出せばいいのか分からない。ただ小田桐に訊かれたことに冷静に対応する。
「衣澄。お前、怒りはないのか」
「分かりません。現実を受け止めて切れていないという部分もあります」
小田桐はそうか、と言って俯いた。
「小田桐先生はどこまで御存知なんですか。何故桐生が関わっていると神津が絡んでいると思うんです」
衣澄も、桐生が関わっているから黒幕は神津であるという図式は理解している。けれどなぜ小田桐が知っているのか。そこまで神津の悪行は知れ渡っているのか。それならば何故神津は排除されない。学園にとって神津はいい金ヅルなのか。それではあまりにもリスクがある。
「詳しい話は柳瀬川から聞いている」
「そうですか。薫とは随分と親密なのですね」
「1人じゃ抱え込めなくなった結果だろう」
「僭越ながら、あまり首を突っ込まない方がいいと思いますよ。最後まで助けてくださるなら、話は別なのですが。俺のことではありませんが」
下手に首を突っ込めば全て自分に返ってくることを衣澄は痛いほど学習した。小田桐は神津の恐ろしさを知らないのだ。衣澄は軽蔑した視線を小田桐に向けた。
「話は以上ですか?俺は戻ります」
衣澄は一礼して小田桐を置き去り、病室に戻る。有安も天城も静夏も、黙ったまま折り畳み式のパイプ椅子に座っていた。
「貴久・・・・」
有安が衣澄を見た。衣澄は一度合った目を逸らしてしまった。
「薫くんの話ですか?」
静夏が落ち着いた声で訊ねる。衣澄は頷いた。それから柳瀬川を見遣る。布団から出た腕はギプスで固定され包帯が巻かれ、チューブが伸びている。包帯が巻かれず外気に触れているのは右手の指だけだったが、火傷しているのか皮膚が赤茶色く傷になっていた。完治は難しいのだろうか。何を想って意識を失ったのだろうか。
「消えるでしょうか」
静夏も柳瀬川を見た。顔はほとんどガーゼや包帯で覆われ、露出している部分は青く痣になった左目と、縫い糸が走る左頬だけ。
「痛かっただろうな」
静夏の問いへの言葉は、正しい答えになっていなかった。いいや、静夏の問いなど聞いてはいなかった。柳瀬川の傷を見ていて、勝手に口から出たのだ。
「何がしたかったんだよ。薫」
いつも神津と一緒にいたではないか。何故神津は一緒にいた柳瀬川をこのような目に遭わせたのか。衣澄の問いには柳瀬川に繋がれた機械の音しか返ってこない。
布団が掛けられているから、肩から上と両腕の怪我しか見えないけれど。
「薫くん・・・・」
柳瀬川は目覚めるのだろうか。このまま目を覚まさないのだろうか。それとも死ぬのだろうか。居ても居なくても変わらない存在だと思っていたのに。
「薫・・・・・」
衣澄が柳瀬川の名を呟いた。有安が嗚咽を漏らし始める。
あいつらとは関わらない方がいい。何度も忠告した。だのに柳瀬川は拒んだ。
「静夏さん、帰ろう」
有安と天城が唐突な衣澄の言葉に顔を上げる。静夏は咄嗟のことできょとんとしていた。
「まだ居たいならどうぞ。・・・・俺は薫に、何度も忠告した。でも聞かなかった」
冷たく言い捨て衣澄は病室を出る。苛立ちが募る。忠告の度に見せる戸惑っていた表情を見逃す振りをしていた。毎回。それでも神津を選んだ。神津といることを選んだのだ。
「帰るなら送っていこうか」
何か考え込んでいたのか、ベンチに座りもせず腕組みをして壁に寄りかかっていた小田桐が病室から出てきた衣澄に声をかける。
「俺は結構です。静夏さんをお願いします。世間知らずなので」
「わたしも一緒に帰りますわ」
病室から出てきた静夏が小田桐の前から去ろうとした衣澄の手を取る。静夏の手の冷たさに衣澄はぎょっとした。
「それでは、また」
小田桐は2人の背中を見送った。あまりにも早い帰りに、本当に関わりがないどころか仲が悪いのかと思ったが、仲が悪ければ来ないかと自己完結させ、病室に戻った。
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