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第102話 コ
西園寺のいう「荻堂」はやはり高宮の思っている人物の姓であった。知っている部屋の前に立ち、西園寺の影に隠れていた。
西園寺は無表情でだが、高宮を一瞥しても何も言わず荻堂の部屋のインターホンを押す。スイッチの真下に設置されているスピーカーからは何の応答もなく扉が開かれる。
「西園寺さん!」
想像していたよりも幾分高い声がした。そうだった、後輩だったと高宮は思い出す。荻堂と何となく交わした、弟の話を思い出した。
「誕生日・・・・・おめで、・・・・とう」
ぶっきらぼうに紙箱を差し出し西園寺に困ったように荻堂弟は笑った。
「ありがとうございます。覚えていてくれてたんスね」
堀の深い荻堂兄の顔立ちとは似ていない。幼い印象を受ける顔立ちだ。目が大きいのかもしれない。
「上がっていきますか・・・・?えーっと、そちらのお友達さんも・・・」
西園寺の背に隠れるようにしていた高宮をちらっと見てからまた西園寺に目を戻す。
「いや・・・・結構だ・・・・」
くしゃりと西園寺は高宮の頭に手を乗せてから、撫でるように指が動いた。高宮が見上げると、視線は荻堂弟を捉えているが、すでに身体は帰る方向に向いている西園寺に気付く。心臓の辺りが、熱いものを飲んだ時のように存在を主張している。
荻堂の弟はまた困ったように笑って一度頭を下げた。
「おーい、西園寺、ちょっと待てや」
高宮は無意識に西園寺のぶかぶかのジャージを握っていた。苦手な声だ。連写したカメラのように脳裏に無理矢理犯されたシーン、喜んだ振りをしながら身体を開くシーンが駆け巡る。恐る恐る西園寺の影から覗き込む。
「兄ちゃん?」
「これ、食えよ」
荻堂兄がやってきて紙箱をぶっきらぼうに西園寺に突き出した。
「・・・・・・・俺は・・・・誕生日・・・では、ない」
西園寺に紙箱を突き出された分、西園寺は上半身を後ろに反らす。背中が高宮の顔に当たり、少しの土の匂いと、洗剤の匂いが鼻腔を通り抜ける。
「知ってるよ。・・・・・まぁ、アレだ。なんとなくだ、なんとなく。カケルには新しいの買ってやるよ」
藍色の円形のロゴマークの描かれたクリーム色の紙箱は高級そうな雰囲気を漂わせている。
「・・・・・そう・・・・か・・・・」
西園寺が受取ろうとしたときに荻堂兄の目が高宮を捉えたが、何事もなかったかのようにまた西園寺に目を戻す。存在を無視するかのような動きのように高宮には感じられた。
「ありがた、く・・・・頂戴・・・・しよう」
「逆に押し付けてるみたいで悪ぃな」
「・・・・・いや・・・・。高宮は、好き、か?」
「はあ!?」
西園寺の問いに間髪入れずに反応したのは荻堂兄だったが、西園寺が訊いている相手は高宮であり、渡した紙箱を高宮に見せているだけであった。不思議そうに西園寺と荻堂弟は2人を交互に見遣る。
「ええ、好きですよ。ありがたく頂きましょう。嬉しいです」
高宮が西園寺に無理に笑ってみせたが、荻堂兄の表情は曇る。
「兄ちゃんどうしたの?」
荻堂弟は不思議そうな表情を兄に向けるが、兄はなんでもねぇよ、と答えるだけ。
「じゃぁ・・・・な・・・・荻堂」
西園寺は高宮の後頭部を撫でるように手を置き、買えるよう促す。荻堂の部屋から少し離れたところで、西園寺は足を止めた。高宮は西園寺の背中にぶつかって、西園寺を見上げる。この人はどれだけ自分と荻堂のことを知っているのか。まだ月日は浅いし、回数も多くはないけれど、荻堂に対する感情は高宮にもよく分からない。悪い言い方をすればセックスフレンドで、良い言い方をすれば・・・。考えてみたところで、良い言い方なんてないのかもしれない。
「すま、ないな・・・・」
謝られた。自分に疾 ましい部分があるだけ、意味を深読みしてしまう。どういう意味で謝ったのか。
「何で謝ってるんですか」
肯定も否定も、全てこの場合は肯定のように感じる。荻堂とは何もなかった。そういう風に振る舞わなければ。
「付き、合って・・・・もらった、か、ら・・・・な。荻堂に、かえって・・・遠慮させて・・・・しまったか・・・・・な」
高級そうなケーキの紙箱に目が行く。複雑だ。
「西園寺さん」
荻堂が自分を強姦してから、自分に対する態度が冷めていてぞんざいなことを自覚している。嫌われている、もしくは苦手なのだろうなとも分かっている。
「そのケーキ、食べない方がいいと思うんです。失礼なのは分かっていますけど」
憎まれているかまでは分からないが、怪しいと思う。さすがに毒殺までとはいかないと思っているけれど、何が入っているか分からない。また変な薬を盛られて犯されたら?
「・・・・?・・・・どういうことだ?」
西園寺の無表情のまま。首を傾げることもなく、眉根を寄せることもない。
「食べない、方がいい・・・・・とは・・・・?」
食べない方がいいなんて言ってしまえば、理由を問われるにはおかしいことではない。けれど西園寺に自分があの男に犯されたことがあるなどとは言いたくない。言いたくないけれど、このケーキを食べた先にもしもがあったらどうする?
高宮は口を噤んだ。まっすぐに下ろされる漆黒の瞳が見ていられず、俯いてしまう。俯いて、自分の靴と西園寺の靴を見つめていた。冷やりとした汗を背中に感じる。全て吐いてしまうか?そんな考えも浮かんだ。そうしたら目の前の、自分に優しくしてくれる年上の男は、自分を蔑み、嫌い、罵り、嗤うだろうか。
「分かった・・・。人には言え、ない事情もある・・・・もの、な」
そう言って西園寺はまた歩き出した。この優しい男とはもういられないかもしれない。高宮は瞬間的にそう思った。むしろ言って、謗られて詰られた方がよかったのか。その方がこの優しさに甘えずに済む。逃げ場を失える。自分の汚い部分だけを見ていられる。
「西園寺さん」
気持ちだけが先走って、どう言おう、まず言おうか言うまいかさえ決めずに呼び止めてしまう。だが呼び止めて決心がついた。
「オレ、荻堂さんとっ」
「荻堂の、弟には・・・来年、テニス部の・・・副部長になって、もらいたい・・・ものだ」
言葉を遮られ、また揺らぐ。
「気が利く、可愛い、後輩だ。・・・・お前も、俺の・・・大事な後輩だ、な」
「西園寺さん、オレはっ――」
「荻堂の兄はな、少し俺も・・・苦手、だな。・・・でも、羨ましくも思って、いるんだ」
「さ、・・・戻ろう。ハンバーグは、得意、なん・・・だ。口に合うといい・・・んだが・・・」
「はい」
西園寺は高宮の髪をわしゃわしゃと掻き乱すように撫でて、自室に向かった。
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