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第104話 テ
微・カニバリズム/流血表現注意。
荻堂と別れて、数日経った。穏やかな日々だったけれど、なぜか神津も柳瀬川も、衣澄もここの数日間、一切姿を見せないし連絡も入ってこない。担任の先生に問えば、柳瀬川は休学中で、衣澄は病欠だという。見舞いに行ってもいいかをメールで問えば返ってくるのは「無理だ」「大丈夫だ」の2つだけ。
有安も不信感を抱いたようで、ある日の休み時間んに高宮に尋ねてきたが、高宮も衣澄のことについては何も知らない。有安は衣澄の部屋に行ったこともあるそうだが、部屋に誰かいる様子はないという。
「実家に帰ってるんじゃないの?」
休み時間には違うクラスの有安と天城がよく高宮のクラスに来るようになり、有安と天城と一緒に居ることが多くなった。
「かおりんの見舞いのときにいた姉弟 のところにまだいたりして?病欠なら看病してもらってるとかさ」
有安に背後から抱き付いて天城はそう言った。高宮と天城で会話することは少なく、いつも有安を通しての会話になっている。
「それなら、そう、言ってくれないのかな?」
高宮が小さく呟いた。
「衣澄くんと仲良いっぽいアリスちゃんだって、あいつに姉貴いたとか、かおりんとイトコだとか教えてなかったワケだろ?あんま自分のこと言わないヤツなんじゃないのか?」
かおりんといとこ。何か違和感を覚えたが、有安と天城の共通の女友達だろうか。高宮は妙なもやもやとした感覚を胸に覚えながらも踏み込まないようにした。
「アリスちゃんたちが信用されてないっていうか、あの人誰も信用してないんだろ。いっつもそうじゃん。みんなそう言ってるしワタぼうもそう思う」
陰険な表情ではなく、平気な顔をして悪口ともとれることを言ってしまう天城に高宮は少し苦手意識を抱いた。
「衣澄はちょっと不器用なだけなんだよ。そうだ、きっとそう。だって」
高宮はフォローするけれど、天城は鼻で笑った。
「大好きなカレシを信用して待つ健気な自分に酔ったメンヘラビッチみたいでキモいって、そういうの。別に男でもそういうのフツーだから、ここは。慣れてるけどな、ワタぼうは」
天城と高宮との会話を取り持つ有安が珍しく黙って何か考え込んでいる。
「小田桐先生なら何か知ってるんじゃないかな?見舞いの時も貴久となんかコソコソしてたし」
小田桐の名が出た途端、天城の飄々とした、涼しい顔は一変して、嫌悪の表情が滲むように浮かんでくる。
「小田桐先生は、苦手だ」
声のトーンも下がる。
「あの先生苦手じゃない人のが少ないって」
「・・・ワタぼうは、アリスちゃんのこと好きだけど、神津のこととは関係ないからさ。ごめん」
「うん。分かってるよ。ボクが巻き込んだだけ。それでワタルは柳瀬川とルームメイトってだけ、それだけだ」
天城と有安を交互にみて高宮は戸惑う。天城は今までとは違う、同情に満ちた目で高宮を一瞥して教室から出ていった。
「悪いヤツじゃないんだ。ちょっと空気読まないっていうか、マイペースっていうか」
溜息をついて有安はそう言った。悪意なく毒を吐ける方が高宮は苦手だった。
「ボクは小田桐先生のところに行ってくるよ」
有安と天城の会話から、衣澄が病欠で学校に来ないのはまるで小田桐が関わっているかのように感じた。
有安が席を立って教室から出ていくのを見つめていると、肩を叩かれる
有安は小田桐のもとに向かったのだろうか。天城は自分とは関係ないと思っていたし、そう告げたくせに、小田桐のもとに有安が向かったのかと思うと振り切れない思いがあった。
考えたくもない話だけれど、小田桐は生徒に性的な意味で、手を出しているのではないかと。天城は考えてしまって。天城のルームメイトを心配している素振りの裏では、ただの欲情や恋慕が小田桐を動かしているだけなのではないかと。胃の辺りがぎゅるぎゅると鳴る。不快感なのか、ただの空腹なのかも分からない。邪推ならそれに越したことはない。天城は自分の教室へ歩いているつもりだったが、保健室に方向転換してしまう。
否定したくても、原則的には寮生活を強いられた男子校だ。男色を肯定しなくてはならないような状況だってあった。そして慣れている自身に天城は嫌気が差す。有安をはじめ、男と認識しづらいような奴等も確かにいるけれど、天城には理解し難い範疇である。
まさかルームメイトが。天城は首を振った。まだまだ邪推の域だ。それは分かっている。神津と長い間付き合えているような柔軟なヤツ。神津にリンチされてしまったけれど。
顔立ちも同性の自分でもかっこいいと思えるし、性格も少しボケたところがあるけれど根は正直な嫌味のないヤツ。神津にはルームメイトのどこが不満だったのか。人の気持ちだとか思考を汲み取ることに疎いと自覚のある天城は知ろうとすることを諦めた。神津自体がすでに理解できないのだから。
暗い保健室に続く廊下の先に人影が見える。真っ暗な中で機器が光るパソコン室を眺めていたためか、今まで気付かなかった。保健室よりさらに奥の、調理室の辺りだろうか。光が届き、逆行して誰だか判別できるには至らない。左右に大きく揺れながら天城の方へと近付いている。
「嘘、だろ・・・」
頭がフラっとする。ホラー映画で見たことがある、ゾンビの動きに似ている。思考は停止し、天城は後退 ることも出来ず、ただ茫然と目の前のゾンビと思しき影を見つめる。
「志織ぃ・・・待てよ志織ぃ」
よろよろと歩くゾンビからそう聞こえた。天城の心臓は一際大きく鼓動し、肩を震わせた。
「志織ぃ、保健室連れて行ってくれよぉ」
ゾンビは壁に突進すると、張り付くように壁伝いに天城の方へ向かってきた。
「頭痛ぇんだよぉ。助けてくれよぉ」
ゾンビではない、人間である。そのことに安堵し、良心から天城は「しおり」という人物に代わってゾンビのような人に駆け寄った。学年で区別されたサンダルの色的に、このゾンビは3年のようだ。遠慮なく天城の肩に腕が回される。体重を預けられ、天城はよろめいた。まるで酔っ払いである。脳裏を掠めた、母を殴って出て行ってしまった父を思い出し、ぶるぶる頭を振る。
早く保健室に連れて行って、あとはあの胡散臭い養護教諭に預ければいいのだ。天城は倒れないよう踏ん張る。サッカー部で鍛えた筋肉でも、このゾンビは天城より図体も大きく、容赦なく体重を預け、首元を腕で押さえられているために、なかなかうまく歩けないのだ。
「しおりぃ」
保健室のドアに手を掛けたと時、ゾンビは首筋にいきなり口付けられた。ご丁寧にリップ音まで立つ。唐突すぎて茫然としながらも、状況を把握しだすと天城は首筋のその湿った感覚に鳥肌が浮かぶ。
「なぁ、しおりぃ」
今までよろけていたのが嘘のように、今度はゾンビが天城を力強く引っ張り、ベッドに倒す。胡散臭い養護教諭そっくりの胡散臭いベッドが軋む。ベッド柵に後頭部をぶつけて天城は呻いた。頭を撫でながら立ち上がろうとすると、ゾンビは乱暴に上半身の制服を脱ぎ、肌を晒した。本能的な危険を察知した天城は急いで起き上がろうとするも、ゾンビは逃さないとばかりに覆いかぶさる。
目元の隈が化粧のようにはっきりと浮かび、涙袋が小さく痙攣している。頬はこけ、頬骨に皮を
被せただけのようだ。唇に色はなく、荒れ放題で罅 割れ、薬用リップを塗ってみたくなる衝動に駆られる。目は虚ろ。もともとの顔立ちが端整なのか、醜い容貌がかえって病的な端麗さを秘めている。ぼさぼさの黒髪がひどく残念である。だが天城には全く興味の範囲外で。
「やだ!やだやだやだやだ!」
骨に皮を被せただけのような手が天城の頬を固定する。虚ろな瞳は何も映さない。天城の身体は強張り、逃げようとするものの、下半身はすでにゾンビに密着している。
「しおりぃ」
このゾンビに手を貸した自分に怒りを覚え、天城は暴れる。
「ワタぼうはしおりじゃねぇっ!」
「しおりぃ、いいだろぉ?」
天城は口を結ぶ。ゾンビが唇に口付けるのを悟った。
「どういうつもりだぁ」
一度ゾンビが上半身を起こす。解放されたか、と思い、天城も起き上がろうとすると、平手打ちが待っていた。
「しおりぃ、逃げるんじゃねぇよぉ」
ただ殴られるよりも、平手打ちは精神的ダメージが大きく、痛いというよりは衝撃で、視界が滲む。すぐに熱くなった頬に冷たい自身の手を当てた。それは天城が無意識にやっていたことで、頭の中はすでに真っ白。ゾンビが天城の胸を軽く押したのに従って、天城の背がベッドについたのも天城は気付かないまま。美味しそうに、本当にゾンビなのか、天城の首を丹念に舌で舐める。大量のナメクジの中に落とされた。そんな妄想が天城の脳内を占めた。腕がぴくりぴくりと持ち上がっては下がっていく。耳にゾンビの髪が当たるのがかゆい。熱い吐息がかかり、天城の体温も上がっていく。
「気持ち・・・悪い・・・」
蚊の鳴くような声で天城は呟いたけれど、これもほぼ無意識だった。視界は真っ白で、感覚だけがあるのに、頭は正常に働かない。
「胸が萎んだんだねぇしおりぃ。デカイのより全然かわいいよぉ」
ゾンビは天城の耳朶を甘噛みして、手は天城の制服の上から胸を押さえる。
「かわいいよぉしおりぃ」
手は布越しに胸を摩りながら、ゾンビの口元は耳朶からまた首筋へ。前歯が皮膚に引っ掛かり、そのまま皮膚に勢いよく減り込んでいく。目の裏で火花が散った。痛みでようやく思考を取り戻し、ゾンビの肩を跳ね除けようと押す。しかしゾンビは首筋に噛みついたままで痛みは増すばかり。食い千切られるのではないかという恐怖でまた抵抗する力を失う。沸騰するような首筋に、ゾンビの二の腕を掴んで爪を立てた。
どうして自分がこんな目に。頭に浮かぶ色々な人物に腹が立つ。有安、高宮、小田桐、柳瀬川、衣澄。それから朝寄った売店の人、サッカー部の部長副部長、いつもグランド争いをしている野球部の連中。
「ぃあ゛あ゛あ゛あ゛っ」
今までの比べものにならない程の痛みと熱が首筋を襲う。メリメリと湿った、聞きたくない音と感触。ゾンビの唾液とは違う濡れた感覚。
ホラー映画の主人公たちはこんな恐怖と戦っていたのか。もうゾンビホラーは見られないな。息を荒げ、肩で呼吸をしながら、天城は天井をみつめた。脳は現実逃避し、痛みに集中しないように思考回路は狂っていく。
「美味しいよぉしおりぃ。こういう風にされるの好きだっただろぉ」
だとしたらひどいマゾヒストだ。天城は手が白くなるほどゾンビの二の腕に爪を減り込ませる。抵抗ではない。
「ぅあ゛」
ゾンビの尖らせた舌が傷を抉るように舐める。鋭い感覚で首を落とされたような錯覚に陥る。
「しおりぃ」
脂汗が額を伝う。一度ゾンビは天城の顔を覗き込むようにみた。狂人染みた表情はない、無表情だ。
「しおりのトマトジュースいただきまーす」
無表情とおどけた口調のギャップにこれは夢なのではないかと思ってしまう。
AV女優がAV男優のソレを舐める時のような音がした。
「ひぃっ」
じゅるじゅる音がして、血を吸われている。献血されている。そう思い込まなければ吐き気を催しそうになる。どくどくと脈打つ患部。死んでしまうのではないかと思ったけれど。
「ここ噛んだら、しおり、死んじゃうねぇ?」
「ぃや・・・!死にたくないっ・・・!」
今度こそまずいと思った。頸動脈を食い千切る気なのか。暴れてゾンビの身体の下から逃れようとするが、ゾンビは全体重で天城を押さえつける。
「いやだ!放せ!ワタぼうはしおりじゃねぇ!」
首筋の痛みなんてすぐに忘れ、圧し掛かるゾンビを退 けようと躍起になる。
「しおり!また逃げるのか!許さない!」
拳が飛んできて、天城の頬骨に直撃する。
「許さないぞぉ!許さないぞぉ!」
拳の雨が降ってくる。片手で鎖骨の辺りを押さえつけられ、ベッドに固定される。
「許さないぞしおりぃ!」
口元、目元、頬、鼻。容赦がない。このゾンビの中ではおそらく女性にやっているのだが、それでも一発一発が重い。
「母さんっ・・・」
こんな時にでる言葉が母親なんてマザコンだな。天城は自分で自分を嗤った。こんな暴力に耐えて、女手一つでここまで育ててきてくれたというのか。ふとこのゾンビが、顔も覚えていない父親に見えてきた。年齢的にあり得ない。分かっている。
「しおり!逃がさないぞ!」
出てきたときは生温かかった鼻血が冷たくなって、ゾンビの拳がスタンプ代わりになって、顔中に血が付いている気がして不快だ。
昨日までサッカー部で身体を鍛えながら勉学に励み、一人で暮らしている母に電話をして、友人たちと駄弁ったり、パソコンをいじりながら穏やかに暮らしていた自分にどうしてこんな、ホラー映画じみた非日常が訪れたのか。天城はうんざりしながら意識を失いそうになる。耳のずっと奥で聞こえるチャイムの音を皮切りにとうとう何かを諦めた。
「しおりぃ、寝るなよぉ」
肩を掴まれ、視線を合わせられる。殴られ続け頭も顔も響くように痛い。
病院でみたルームメイトの身体。2人揃って意識不明の重体かな。不謹慎だとは思いながらも滑稽さに笑みが浮かぶ。
どうして人違いでこんな目に遭わなければならなかったのか。こんな理不尽に怯えながら毎日生きなければならないのか。自分は神津と関わってないのに。男色に手も出さなかったし、興味もなかった。悪いことはなにもしていない。
「ワタぼうはしおりじゃねぇもん・・・」
寝言のようにはっきりしない声で呟いた。
「しおりぃ、逆らうんじゃねぇよ」
肩と突っぱねている両手の手首を強く握られ、ゾンビは前のめりになる。
他人事だと思っていたルームメイトの姿が自分と重なる。でもやはり他人事。彼は彼。自分は自分。金持ちで、先生に好かれた彼とは違う。
ゾンビは腹を空かせた虎のように天城に襲いかかった。
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