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第3話
午後5時。芳賀はゴウンゴウンと回る洗濯機の前で立ち尽くしていた。結局、あれから園田はシャワーを借りてさっさと帰ってしまい、情事の名残をとどめるベッドだけが取り残された。その非現実的な光景へのいたたまれなさをぬぐい去るために、芳賀は本日二度目のシャワーを浴び、体液でぐちゃぐちゃになったシーツを洗濯機に突っ込んだ。
「なにしてんだ俺……」
男と致してしまったというショックとこれまでにない事後の充足感とがない交ぜになって、芳賀は深いため息を吐いた。
園田が言うことには、食事を用意するのは芳賀と時間の合うときだけでいいらしい。次は月曜日に頼むと言い残していった。自分から言い出したことだが、まさかこんなことになるとは――とんでもない人に捕まってしまったと、芳賀は頭を抱えた。
×××
週末は結局心が休まらず、落ち着かない気持ちを引きずって、芳賀は仕事をする羽目になった。なんとか今日の業務をこなし、コーヒーでも買いに行こうとオフィスの廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「よ、芳賀」
「そっ園田さん!?」
「今日、残業か?」
「いえ、でかい案件は先週片付いたので……」
「そうか、じゃあ俺も定時であがる」
「はあ」
――一緒に帰るってことか。
「園田さんってフレックスでしたよね。いいんですか?もうあがって」
「ああ、9時出社にしたから」
「別に俺に合わせていただかなくても、作り置くことも出来ますし……」
「出来立ての方が美味いだろ。……それに一緒に食べたい」
「……そうですか」
ちょっとでもかわいいと思ってしまった自分を殴りたい。
断るという選択肢もあるが、いじらしくすり寄ってくる人をないがしろにできるほど器用な人間ではないことは、残念ながら自分が一番よくわかっている。
「……とりあえず、買い物行きましょう」
×××
ジャージャーと水の流れる音を聞きながら、芳賀はベッドを背にテレビを眺めていた。長く一人暮らしをしていると、誰かとこうして食事を共にすることも悪くないなと思う、のだが。
「芳賀、ちょっと脚開いて」
「は?」
その言葉に胡座をかいていた脚を解くと、園田は芳賀の脚の間に腰を下ろした。
「よいしょ、と」
「なにしてんですか……」
「んー?」
園田は頭を擦り付け、体重を預けてくる。と、するりと、芳賀の胸を手のひらでなぞった。
「お前、温かくて気持ちいいな」
「は?」
園田はそのまま手を下ろし、腹筋から腰回りを撫で始める。
「ちょっ、園田さん!?」
「それにちゃんと筋肉もついてるし」
「っ!やめ――」
「ここソファねえから、背もたれの代わりに丁度良い」
「……そうですか」
「なに?お前、今エロいこと考えた?」
「考えてません」
「あは、今日はさすがにしねえよ。もう年だからそんなに体力ねえし。……手間賃は週末、な」
園田はにやりと笑ってみせる。
「いえ、手間賃はもういいです……」
「なんで?気持ちよくなかった?お前も結構ノリノリだったよな」
「それは……」
気持ちよかったことが問題なのだ。同性とセックスするなんて、そう簡単に受け入れられることではない、はずなのに。
「俺、お前のこと離さないから」
園田は冷たい手で、芳賀の手を握った。
×××
お互い帰る時間が重なれば、一緒に食事をし、週末になると園田は、宣言通り“手間賃”を払いに来た。最初は強引に始まるその行為も、園田のペースに流され、結局は芳賀も受け入れてしまう、そんな不可思議な関係が続いていた。園田の食の好みも、性の好みもわかってくるほどに。
今日も会社の廊下で園田と約束を交わした直後、自席に戻ろうと廊下を歩いていると、間延びした声が芳賀を呼び止めた。
「芳賀ぁ、ちょっと」
「はい?」
隣席の先輩が、ちょいちょいと腕を引いて給湯室に芳賀を連れ込む。
「どうしたんですか?」
「芳賀ぁ、今日の合コン出てくんねぇ?一人ドタキャンされたんだよ。お前がいると女の子受けもいいしさぁ」
「いや、そういうのは……」
「お前、今彼女いないだろ?飲み代は出すからさ。頼むよぉ」
俺とお前の仲だろうと、手を合わせて上目遣いに頼み込んでくる。新人の時には教育担当として随分世話になった先輩だ。余り無下にもできない。
「……わかりました」
芳賀は、仕方なくその申し出を受け入れた。自席に戻り、食事を共にすることができなくなった旨のメッセージを園田のPCに送る。と、直ぐに「わかった」とだけ書かれたポップアップが現れた。
×××
どういうツテを辿ったのか、CA との合コンをセッティング出来たんだと、得意気に語る先輩に連れられ、駅前の居酒屋に向かう。予約制には、既に綺麗に着飾った女性たちが待っていた。
「芳賀くんってまだ25なんだぁ。若いわねー!」
「はあ」
宴も軌道に乗り始め、テーブルのあちこちで男女の賑やかな声が響き始める。テーブルの隅にいた芳賀の隣にも、するりと一人の女性が座った。
「芳賀くん、こんなに格好いいのに、今彼女いないんでしょ?もうどれくらいなの?」
「……半年くらいですかね」
「えー、そんなに!?寂しくないの?」
「いえ、別に……」
「そうなの?私、芳賀くんのこと結構タイプなんだけどなぁ」
ふわりと香水の香りが鼻を掠めると、テーブルの下で細い指が絡まる。
「……ねぇ、二人で抜け出さない?」
色を含んだ声音で問われる。
「いや、俺は……」
――俺は?俺はなぜ、この状況を疎んでいるのか。ふと、女性の方を見やると、ばちりと目が合う。少したれ目で口の小さい愛嬌のある顔はどちらかといえば好みだ。
「……いいですよ」
脳裏にフラッシュバックした園田の顔を振り払うように、芳賀は彼女の手を強く握り返した。
×××
芳賀は彼女からの告白を受け入れ、恋人として付き合うことにした。そうすれば、園田との不埒な関係を精算できる、そう芳賀は考えた。これまでの関係性がおかしかったのだ。これを機に元の「隣人」に戻るべきだ。
仕事を終え、いつも通り園田と食事をした後、芳賀は園田に話を切り出した。
「ふうん、そう」
「食事はこれまで通りで大丈夫ですから、その、セックスはもう……」
「いや、食事ももういいよ」
「え?」
「俺なんかじゃなくて、彼女に作ってやれよ」
「でも……」
「あーあ。目、覚めちまったか。……でも、良い夢見れたわ、楽しかったよ」
「園田さ――」
園田はすっと立ち上がると、一瞥もくれることなく、扉の外に消えた。
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