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第4話

翌朝は快晴だった。 正直なところあまり熟睡できなかった。起きたらおじさんはもう出かけていて、昨日買い付けたらしい無農薬野菜のディップを咀嚼しながら、心境の変化を感じ取られないようにしようと決めた。そしてスッキリしない頭でバイトへ向かう。果てしなく澄んでいる夏の空にさえ苛立ちを覚えた。 「一槻、ほらほらこっち来てごらん。覚えてないかな。河内さんだよ」 店へ入ると、開店前だと言うのに来客の姿があった。まさか昨日の今日でやって来るとは、予想もしない事態に俺は身構えた。 「昨日は悪かったね。こうして昼間の開店前に来ればよかったんだ。仕込みを早く終わらせてコーヒーでも飲んでるかと思ったら、その通りだったよ。正晴のリズムは相変わらずだ。あの頃と変わらない」 「そんな人間は変われるもんじゃない。お互い歳をとっておじさんになっただけだろう」 「それでも懐かしいよ」 しみじみと語り合う2人に嫌気が刺し、そのまま裏のロッカーへと急ぐ。焦りなのかエプロンの紐が上手く結べずに手間取っていた。指が思うように動かない。ガジガジと紐と格闘していた時だった。 「お前さー、エプロンの紐も結べないのかよ」 見るに見かねたように大きな手が現れ、簡単に紐を結び直した。食堂のスタッフである並木拓也は俺より2歳年上の大学生だ。 「っ…………べ、別に結べないわけじゃないし……」 「温室で育てられたようにしか見えないからさ、何にもできない奴かと思ってたわ」 始めたばかりの俺と違い、高校生の頃から働いている奴は、先輩面していつも一言多い。黙って睨む俺に、並木は意地悪く続ける。 「大切な『おじさん』が取られちゃったな。オーナーは過保護すぎんだよ。どうしようもないな。誰にだって人付き合いはあるんだ。いちいち目くじら立てて反応してたら身が持たないぞ」 「違うよ。そんなんじゃない……そんなんじゃないから……ふがっ」 またまた遥か上から大きな手が出てきて俺の鼻をむにゅっと摘んだ。 「あのねー、顔がさっきからブサイクだし、不機嫌なの丸わかりなんだけど。いい加減、おじさん離れしたら?」 『おじさん離れ』と物騒な言葉を持ち出され、顔面蒼白になった。おじさんと離れたら俺は色んな意味で生きていけなくなる。そんなの、困る。死ねと言われているようなもんだ。 「嫌だ……他人にそんなことを言われる筋合いない」 「お前とオーナーだって元々他人じゃんかよ。遠縁は他人と同じだろう」 「………………」 「あ、ごめん、言いすぎた。おい泣くな、泣くなってば」 ぽろぽろ流れ落ちる涙に、制御が効かない。正論を突きつけられて、反論もできなかった。 「君たち、そろそろ開店準備してほしいんだけど…………ええええっ、一槻?泣いてる?どうした?ちょっと、並木君、どういうこと?一槻に何したの?場合によっては怒るよ。ああー、泣かないの。男の子でしょう」 「いえ、あの、いや…………」 おじさんに頭を撫でられ暫く泣いていたのち、俺は涙を拭う。くだらないことで泣きやがってと並木は思っているに違いないが、俺にとっては大問題なのだ。 「正晴おじさん、だいじょうぶ。ただの口げんかだから、気にしないで……開店準備しなきゃ、だよね」 「それならいいんだ。仲良くしなさいとは言わないけれど、喧嘩はしないでほしい。並木君は年上なんだから、そこんとこは考慮するように。どうせなら気持ちよく仕事したいでしょ」 「オーナー、すんません」 「……俺もごめんなさい」 ティッシュで鼻をかみながら、おじさん離れが出来るものならとっくの昔にやっていたよと思う。出来ないから困っているのだ。

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