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恋するストーカー(牧島学)

 突然ですがこんにちは。  牧島学です。  俺は今。 (っ……いた!)  恋人、広瀬和己のストーカーをしています。  事の発端は、つい数分前。  いつものように、一緒に帰ろうと、広瀬の教室に寄ったのだが。 「広瀬ー、帰ろー」 「あーーー。牧島くん」  広瀬は俺の顔を見て、一瞬黙って、それから表情のない顔で口を開いた。 「今日は用事あるから。あと、しばらく、一人で帰る」 「へ? なんで?」  突然のことにビックリする俺に、広瀬はさらに追い討ちをかけた。 「あと、しばらく家こないで」 「ーーーーー」  衝撃と、動揺。  唐突に告げられた言葉に、俺がどれだけショックを受けたか、分かるだろうか。  指先が震えて、喉が異様に渇いて。 「ん、なっ……一方的過ぎないかっ?」  発する声が、嗄れていた。  嫌われた?  嫌いになった?  俺、何かした?  興味、無くなった?  ぶつけたい言葉はたくさんあるのに。  思うように出てこなくて。 「ああーーー、もう行かないと。じゃあね、牧島くん」  じゃあね、って。  そんなの。  そんなの。 (絶対、引き下がれるかよっ)  みっともなくても、かっこ悪くても。  すがり付いてでも、離れたりするもんか。  俺はとにかく、夢中で広瀬のあとを追って、鯨岡駅近くにある、この場所まで、広瀬を付けてきたのだ。 (何か理由があるはず! いくら広瀬でも、いきなり別れるとか、ないはず!)  もしそうだとしても、広瀬なら曖昧にしないで、キッパリ「飽きたから」とでも言いそうだ。  もし、そんなことになったら。  俺は、ずくん、と疼く胸に手をあてた。  広瀬が付けた傷が、薄れるなんて嫌だ。 (俺、広瀬のこと、閉じ込めちゃうかもよ)  誰もいない、二人だけの世界に、閉じ込めて。  俺しか見えないようにするかもよ。  そう考えて、俺は自分の考えに恥ずかしくなって、思わず頭を抱えた。 (うーーー俺って、大概っ……)  広瀬のこと、言えないよ。  一人で、自分の世界に浸っているうちに、広瀬が道の一画を折れ曲がった。 (ん? どこ行くんだ?)  知らない道を進む広瀬に、不安になって背中を追いかける。  やがて広瀬は、雑居ビルに入って、エレベーターに乗り込んでしまった。 「ーーーーー」  え。  どこ、行ったんだよ。  さすがに追うことも出来ず、途方にくれる。  どうしよう。  諦める?  ーーーーーイヤだ。  俺は意を決して、携帯電話をとりだすと、その人物に電話をかけた。 「ーーーもしもしっ」 『もしもし? あらぁ。牧島くん? どうしたの?』  電話の向こうから聞こえる、穏やかな声に、一瞬躊躇しながら、俺は口を開いた。  相手は、広瀬の母、和枝さんだ。  彼女なら、何か知っているかもしれない。門限のある広瀬の家だ。 「っと……こんばんは。あの、広瀬ーーーなんですけど」 『ああ、和己? 牧島くんも一緒に行ってくれたの?』  和枝さんの声に、ドキリとして俺は首を振った。  和枝さんから、広瀬に伝わるのはマズイ。  そう思って、内緒で話したいのだと言おうとしたときには、和枝さんが口を開いていた。 『迷ったけど、和己がああ言うのは、珍しいからね。一目惚れだったんですって』 「え」  その言葉に、思考が完全に停止した。  一目惚れ?  頭が真っ白になって、和枝さんの声も、もう何も聞こえなかった。  うそ。  うそ、うそ、うそ、うそ。 「う、そ……だろ?」  ぼろ、っと、大粒の涙が目からこぼれ落ちて、アスファルトの上に落下した。  イヤだ。  イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ!  広瀬が、他の誰かを、好きになった? 「もぅ、ャダ……」  アスファルトにしゃがみこんで、顔を覆って。  この世の終わりのような気分で。  絶対イヤだ。  広瀬が他の誰かのものになるなんて。  俺はあげたのに。  全部あげたのに。  広瀬の全部、俺のものじゃなきゃ、イヤなのに。  どのくらい、そうして居たのか分からないが、足の感覚が無くなったころ、頭上から声がした。 「え。牧島くん?」  目の前に現れた広瀬に、俺は思い余って、掴みかかるように詰め寄った。 「俺は絶対、イヤだからな!」 「え」  眉を寄せる広瀬の身体をぎゅう、と抱き締める。  放すもんか。  離れるもんか。 「ちょっと、牧島くん。離して」 「っ、イヤだっ」 「……何なの、一体」  そう言いながら、広瀬が耳に噛みついた。 「いづっ!」  思わず手を緩める俺に、広瀬はさらに俺の腹に、一発蹴りを入れる。 「痛っ!」 「聞き分けないから。そもそも、何でここにいるの」  広瀬の声に、俺は耐えきれずに、空を仰いで吐き出した。 「も、ヤダぁーっ! 絶対、別れねーからっ!!」  視界が歪んで。  ぼろぼろ涙がこぼれて。  鼻水まで出てきて。  みっともないけど。  ヤなんだもん。 「はーーーー?」  広瀬が、不機嫌そうに顔をしかめた。  泣きじゃくる俺に、広瀬がため息をついた。 「どんなドラマが、頭の中を展開して、そう言う流れになったわけ」  広瀬の言葉に、俺は一瞬黙り込んで、それから広瀬の瞳を見た。  ビックリするぐらい不機嫌で、呆れた顔。 「っ、付けたのは、悪いと思ってるよっ! だけど、あんな……あんな言い方、されてっ……」 「別に、そんなの怒ってないよ。牧島くんストーカーだからね」 「っ……」  じゃあ、なんで。  そう思ったのを見透かしたらしい広瀬が、温度の低い声を出した。 「そんなに、信用ない。僕がどういう風に君を見てるか、全然理解してない」  その声に、ごくりと唾を呑む。  昏い瞳に、ぞくりと肌が粟立った。 「もっと教えてあげないとね」 「……! ……っ」  教えて。  どんな風に、俺を思ってるのか。  骨の奥まで。  皮膚の内側まで。 「広、瀬」 「あ、ダメだよ。牧島くん。こんな場所でスイッチ入れちゃ」  広瀬の言葉に、ハッとして我に返る。  今、なんか危なかった。  脳髄が痺れて、甘く疼くような。 「うん。調教は、まあまあかな」 「ん? なんか言ったか?」 「ううん」  俺はようやく落ち着いて、広瀬の方をチラリと見た。  なんともばつが悪いが、どうも、別に別れようとか、嫌いになったわけじゃないらしい。  広瀬を見ると、夢中で気がつかなかったが、片手に大きな荷物を持っていた。結構重そうだ。 「?」  首を傾げると、広瀬がそれを掲げて、中を見せてくる。 「慣れるまでは、牧島くんに会わせたくなかったのに」  中にあったのはーーーー。  いや、中にいたのは。  黒い大きな瞳。茶色のフカフカの毛並み。 「う、うさぎっ!?」 「牧島くんがいたら、牧島くんになつくでしょ」  きゅるん、と首を傾げる、茶色い小さい生き物に、思わず「うわー」と声をあげる。 「ど、どうしたの? この子っ、飼うの?」 「うん。最初は喘息がどうとか、言われたんだけどね。この前圭介たちと。ほら、二階。うさぎカフェなんだよ」 「へっ、へえー」  うさぎカフェで出会った、このうさぎに一目惚れして、譲ってもらうことになったらしい。 「一言、言ってくれれば良いのに!」 「言ったら、見に来るじゃない」 「うっ、そうだけど……」  見透かされている行動に、言葉を詰まらせながらも、俺はホッと息をはいた。  勘違いだった。  安心した。  思わずまた泣きそうになって、広瀬の横を歩く俺に、広瀬がボソッと呟く。 「安心してられるのは今だけだよ。……キッチリ、お仕置きするから」 「!!!!」  思わず真っ赤になって、広瀬を睨んで。  広瀬はしれっと、俺をシカトして。  逃げようとした俺に、広瀬が「この子、牧島くんに似てるでしょ」なんて、言わなきゃ。  逃亡に成功してたハズなのに。

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