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きみの手を離そう(篠原伸利)

 サワはきっと覚えて無いだろうけど、サワのファーストキスの相手は、カイだった。 「んっ!」 「っ……!」  キスなんてもんじゃ、ないかもしれない。  殆ど頭突きに近かったし、サワもカイも、その後だいぶ、痛がっていた。  俺たちはまだ小学生で、その時のキスも、罰ゲームだった。  何の罰ゲームだったかは、定かではない。覚えているのは、サワが負けた事、俺が勝ったこと、罰ゲームの内容が、サワがカイにキスをすることだった。  あの時は、皆面白がってやってただけで、本当に意味なんかなくて。  でも、多分あの時だ。  カイが、自分の気持ちに気が付いて。  キスした二人に、盛大に傷ついて、初めて自分も、サワを好きだと気が付いたのは。  カイとサワの関係が壊れた時、俺も本当に、どうしていいかわからなかった。  カイの気持ちが分かるだけに、カイを責めることができなくて、傷ついたサワの心を、どうしてやることもできなくて。  ただずっと、少しずつ昔の事を封印して、前をむこうとするサワの傍に、できるだけ、できるだけいようと。  ずっと傍で、見守っていようと。 「思ってたんだけどなあー……」  冷えたラムネをぐい、と飲み干してそう呟いた俺に、サワが「ん?」と顔を上げた。 「何か言った? シノ」 「いいやー、あ、蚊」  腕に止まった蚊を叩き潰して、俺は隣に腰かけて、同じくラムネを飲むサワを見た。  祭りの雰囲気に浮ついているのか、少し上気した頬が、期待に満ちた大きな瞳が、俺の胸をざわつかせる。  掴んだら折れそうに細い腕。潔癖症のくせに、スキンシップが好きな甘えん坊。抱きしめたら細い身体。いつも石鹸の匂いのする、肌と髪。 「んー、取れねえ」  ラムネの瓶に、舌を突っ込み気味に突っついて、サワが瓶をのぞき込む。 「舌、はまって抜けなくなるんじゃね? 無理だろ」 「無理だと分かってても欲しくなる」  その言葉、まるで俺のこと言ってるみたいじゃない?  瓶の中のビー玉に執着するサワに、俺は笑って、そんな事より屋台を見ようぜ、と立ち上がった。  日はだいぶ傾いて、人出が多くなってきた。浴衣姿の女の子や、おめかししたカップルに目をやって、「いいねえ」などと言ってみれば、サワの方もノリよく「うらやま!」と声を上げた。 「何で長谷部誘わなかったの?」 「あ?」  焼きイカの匂いに気を取られていたサワに、俺は笑いながら、もう一度質問をする。すると、サワは面白くなさそうに唇を尖らせた。 「だってよ」 「けーすけは北川とデートだし、ヒロもマッキーとデートなんだろ?」 「俺があぶれると思って、気つかったか?」  サワは慌てたように、「ちげーよっ!」と声を荒げる。 「……俺まで長谷部と出かけたら、デートみたいじゃんよっ!」 「――――何か、悪いの?」  サワはつん、とそっぽを向いた。 「だって……好きじゃねーもん!」 「……」  全然、逆の顔して、何言ってんだか。  俺は苦笑して、それからサワの頭をぐりぐりと撫でた。 「そうかぁ? 俺は好きだけどなあ!」  敢えて明るい声でそう言って、無駄にバカ騒ぎして。 「ばっか、お前それ、好きがちげーんだよ」  俺、こんな風にお前と一緒に居るの、好きだったんだけど。 「あ、そうだ、お好み食わねー? 腹減ったわ」 「あ? あんだよ、唐突だなあ。まあ、良いけどさあ」 「お前買ってきてよ。俺向こうの焼きそば買うわ。他何欲しい?」 「んーと、タコ焼きと、イカ焼きと、大判焼きと、たい焼きと……」 「まった、まった、一気に無理! まず焼きそば行くわ。この木の下で待ち合わせな!」 「おー」  俺は、ウキウキとお好み焼きを買いに行くサワを見送って、人垣を避けて社の裏手へと向かった。  小さな社は祭りとは言え、人がおらず、提灯の明かりが不気味に灯っているばかりで、出店も、人がいないせいか途切れていた。  その場所に、一人で待つ人物の背中を叩いて、俺は声をかけた。 「よ」 「う、わっ!」  驚いて声を上げる長谷部に、俺はくっくっく、と笑いながら奴を見る。  不意打ちを食らったのが恥ずかしいのか、長谷部は僅かに顔を赤らめて、ジト目で俺を睨んだ。 「篠原……」 「驚きすぎ。待たせたか?」 「いや、良いけど……なんだよ、いきなり呼び出して」  俺は笑って、長谷部の肩をぽん、と叩いた。 「んー。いやね、誰にも誘われないで、家でゲームしてたら可哀想だなあ、と思ってさ」 「そりゃ、親切にどうも。でも、何で篠原が? 澤田は?」  あたりを見回す長谷部に、俺は笑うだけで何も言わなかった。  すると、察しの良いこの男は、俺が言いたいことが分かったようで、驚いたような顔をした。 「――――お前、澤田が好きなんじゃないの?」 「好きだよ」  隠さずそう言った俺の言葉が、意外だったのか、長谷部は一瞬言葉を呑み込んだ。  知らないうちに、手を掴んで置いて、何で変に遠慮するんだか。 「俺は言わないよ。多分、一生」 「しのは」 「でもさ」  俺は長谷部の腹を、拳で殴った。 「ぐっ」 「お前は言えよ」  長谷部が片目を細めながら、俺を見た。  俺はまっすぐ、長谷部を見返す。  俺は、カイとおかしなことになっちまったアイツを、守っているようで、閉じ込めることしかできなかった。  こいつは、アイツの手を引いて、一緒に歩こうとしている。 「俺な」 「……」  長谷部が、俺を見た。 「アイツが泣いてたら、やっぱり、抱きしめちまう」  嫌だと、甘えて、泣き叫んで。  傷つきたくないと、痛いのは嫌だと言われたら。  俺は、やっぱり。  やっぱり、風が当たらないように。痛くないように包んで。  見たくないものを、見えないようにしてしまうだろう。 「アイツが泣いても、殴れるような奴じゃねーと、渡せねえ」 「篠原」  俺は拳を作って、今度は長谷部の胸にトン、と押し当てた。  殴れらるとでも思ったのか、長谷部が一瞬身構える。 「ぼやっとしてたら、カイにとられるぞ」  長谷部が、初めて不愉快そうな顔をした。 「冗談」  その言葉に、俺は安心して、ニカッと笑った。  好きじゃないなんて、言ってるけど。  長谷部には安心して触らせるじゃない。  触られたら、嬉しそうにしてるじゃない。  一生懸命追いかけて、自分で会いに行くじゃない。  俺は。  こう見えても。 「じゃ、俺は安心して、親友ポジションで居られるな」  お前が誰かを好きになれて、嬉しいんだぞ。 「篠原――――」 「お、サワに怒られちまう。ほら、長谷部、俺焼きそば買うから、お前タコ焼きとイカ焼き買ってこい!」 「え、ちょっと」  慌てる長谷部の背を押して、俺は屋台に引っ張り出す。  片っ端から、サワが好きそうなものを買いこんで、二人で両手いっぱいに荷物を抱えて、サワが待つ木の下に向かった。  せっかくのお好み焼きが冷めちまう、とむくれているサワのもとに、俺たちは駆け足しながら近寄る。 「おーい、サワ」 「! おっせーよ、シノ……」  言いかけて、背後からやってくる長谷部に、サワが驚いた顔をする。 「長谷部」 「……や」  びっくりするサワに、何と言っていいかわからない長谷部。はたから見ていて面白かったが、いつまでも見ているわけにはいかない。 「何だよ、長谷部、来てたの? 誰と?」 「えっと。あー……ぼっち?」 「え。なあ、シノ…」  同情の表情を浮かべるサワに、俺は笑いを堪えて、遠くに視線を送った。  少し先の消火栓の看板の前に、見知った顔がいるのを確認する。 「あ、先輩」 「え?」  俺は持っていた荷物を、全部サワに手渡した。 「悪い、俺先輩のトコいくわー、じゃあな、サワ。あとはよろ~」 「はあっ!? ちょ、おい! シノ!」  背後から聞こえる声に、後ろ髪をひかれる思いになりながら、人ごみを掻き分けていく。  ぶつかった人が、なによ、と文句を言って、俺を振り返って、無言になって通り過ぎた。 「三崎先輩」  俺の声に、マスク姿の先輩が、顔を上げる。 「篠原、お前自分で誘っておいて……」 「すみません」  三崎先輩は驚いた顔で俺を見上げて、それからぽん、と俺の頭を撫でた。 「大丈夫か?」 「だめです」 「……」  三崎先輩が、無言で肩を貸してくれる。  好きだった。  ずっと、ずっと好きだった。 「先輩」 「……なんだ」 「俺と付き合いませんか」 「ふざけんな」  俺は酷えなあ、と言いながら、笑って先輩の肩に顔を擦りつけた。  二回もフラれるなんて。  絶対に忘れられないじゃない。 「……やけ食いなら、付き合ってやる」 「奢りですか?」  そう言うと先輩がごん、と殴ってくる。  俺は笑って、顔を上げた。  先輩は眉を寄せて、俺の顔を見上げる。 「なんですか」 「―――お前、いっつも作った顔してんのな」 「素顔見たでしょ」 「……一瞬な」  だって、仕方がないじゃない。  サワが望んでるんだもの。  俺が、ずっと「シノ」で居ることをさ。 「何、食います?」 「リンゴ飴」 「……甘いっすね」 「その方が良いんだよ」  俺はそう言って、先輩とともに歩き始めた。  サワ。  お前の手には、もう違う奴の手が握られてるだろ。  だから俺は。  お前の手を、離すよ。  

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