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第8話
「………………なんでもない」
これが俺が出来る精一杯の、オトナの余裕だ。
今にでも喚き散らしたいと、動き出しそうな口を自ら塞いだ。
がっちりと晴矢の首に腕を回し、下手くそなキスで誤魔化す。
今、この瞬間だけは俺のものだと言い聞かせながらーー。
「ーーなぁ、荷物……置いたら、そっち行っていい?」
「……疲れてるだろ? 家で少し休んだ方がいいーー俺も、少し予定がある」
「……仕事?」
晴矢は「ごめん」と一言放つと、顔中を優しく唇で触れてくる。
子どもをあやす様に頭をゆっくり撫でらると、これ以上踏み込めない。
駄目だよ、と優しく、遠回しに叱られているような気分になるーーこんな感情になる事も、晴矢の中で計算されているのか。
やはり、大人の余裕ーーいや、経験値の差だろうか。
ーーやっぱ、腹立ってきたわ。
顔中を移動する唇を追いかけ、かぶりつく様に口付けた。舌を強引にねじ込み、絡めとる。
晴矢も応えるように、拙い動きに寄り添ってくれているーー嬉しいはずなのに、その器用な舌先にすら嫌悪する自分がいた。
どうやっても、年の差は埋まらないもので、俺や、ましてや晴矢にだってどうする事も出来ない。それでも気になってしまうのは、非の打ち所のない、この男がそうさせているに違いない。
その動きになるまで、何人の舌と絡んだんだろうーー。
腰を撫でる手は、どんな人に触れてきたのきたのかーー。
まるで、顔も見えない相手に煽られてる気分だ。
「ンーーぁっ……俺は、お前だけなのに」
俺は晴矢しか知らないーー厳密には違うが、少なくともこんな感情を抱いたのはこの男が初めてだ。
そう思ったら、つい口走ってしまった。
「ーーえ?」
戯言に、晴矢は少し困った様な表情を見せていた。
それでいい。もっと困って、俺の事だけを考えればいい。
ずっと、俺だけを見てたらいい。
ーーそう言ったら、晴矢はどうする……?
だけど、そんな事は口が裂けても言えない。
睦言なんて、夢のまた夢だと言う事くらい、理解出来ている。
年に1度、数日間だけ会うような存在。
連絡先だって教えて貰えていない。
俺たちは付き合ってすらいない。
ーーなんか、虚しいかも。
それでも晴矢の存在は大きかった。
唯一、理解してくれるのは晴矢だけだし、受け止めてくれたのもこの男であるという事実は変わらない。
だから俺はテディベアでも、ダッチワイフでも構わない。
「ーー紀智?」
晴矢を失うくらいなら、餓鬼くさい自分は抑えらるくらいオトナだとは思う。
「……なんでもない」
大人な晴矢が気付く前に、急いで唇を塞いだーー。
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