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第35話
しかし、いつもみたいに純粋に喜べない気持ちがあるのも確かでーー伊月もそう感じているのだろう。
紙切れ程の薄さの隙間が、今の俺たちの距離なのかも知れない。
この距離をどうするかは、多分俺次第だ。何日も逃げ回った事のツケが回ったんだろう。
苦手なコーヒーを選んだのも、自身へのペナルティのつもりだ。
「……それで、紀智の話は何だったんだ?」
グラスを持った手に力が入るーーそのまま、ストローを避け一気に半分程流し込んだ。
「ーー……昨日、晴矢さんと話した……で、色々聞いて納得出来たっつーか……その……なんかごめん……」
何度も繰り返しシュミレーションしたセリフだったが、考えていた事の半分も言えずーー残ったコーヒーを飲み干した。
「……そうかだったのか……知らなかった……」
ーーあいつの言ってた事、本当だったんだな。
昨日、晴矢から教えて貰った幽霊ルールがもうひとつあった。
それが『伊月に残す記憶は、操作出来る』と言う事だった。簡単に言えば、晴矢が伊月の体で体験した情報を、残すのか、消すのか、と言う事を晴矢が決めれるらしい。
なんともチートな能力だが、今更幽霊にツッコミを入れる気力もなく、聞き流していたが伊月の反応を見る限り、昨日のやり取りを『消した』のは明らかだ。
「……で、どうだった? 晴矢は」
「晴矢さん? んー……なんか、軽い? チャラい? とりあえず、伊月さんと全然ちげーな?」
昨日のやり取りを辿ると、思い出し笑いをしてしまう。
全然似ていないが、なんとなく安心出来る雰囲気は共通しているーー兄弟だし、根は似ているんだろう。
ーー顔が同じだから、そう思うのか?
「……なぁ、晴矢さんの写真ってねぇーの?」
「……ごめん、こっちには無い」
「ふーん……残念……っ!」
急に距離が縮まり、膝が伊月の腕に触れた。
こんな些細な事に、喜ぶ日がくるなんて思いもしなかった。もう、馬鹿みたいに叫びたいくらいだが、一応平静を装うーー多分、ここで感情をあらわにしたら、堪えていたものが溢れ出してしまう。
ツンと刺激が走った鼻を啜 り、ソファの背に深く身を預けた。
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