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第38話

「……ごめん、こんな聞き方ずるかったよな」 こちらが苦しくなるくらい綺麗に微笑んだ顔は、まるでマネキンの様に思えた。こちらを見ているようで、目線が合っていないし、何より瞳が笑っていないーー伊月はズボンに掛けた手をそっと解き、俺に背を向けてしまった。 「……っ! な、なぁ? なんでだよ、何でそんな顔すんの? 好きだっていってんじゃん?」 居ても立ってもいられず後を追うが、先程の様に手が伸ばせず、伊月を掴み止める事が出来ないーー何度も、空振りをするうち脚は重くなり、無言でキッチンへ入っていく伊月を目で追うだけになってしまった。 「……なぁ……なんで、無視すんの? 俺たち、両思いじゃん……ハッピーエンドの流れだろ…?」 「…………すまない……忘れてくれ」 「……はぁ……?」 天国から地獄に突き落とされたような気持ちだ。あんなに晴れ模様だった頭に、一気に(もや)がかかるーー払拭したはずの最悪のシナリオが、ほくそ笑んでいる。 「……忘れてって、何が? 俺たち……付き合うんだよ……な?」 カウンター前までたどり着いたが、伊月はこちらを見ようとしない。 淡々と湯を沸かし、新しいグラスを準備し、挽いた豆をペーパーにセットし、少し長めの髪を耳にかけるーー伊月の一挙一動が気になり、目が離せないでいた。 「……なに、この間……怖ぇんだけど? なんか、言ってくんねぇと、分かんねぇよ……」 声が震える。今にも逃げてしまいたいが、前と同じ事を繰り返すのは絶対に嫌だーーカウンターの板をがっしりと掴み、その場に(とど)まろうと必死だった。 「ーーもう、会わないようにしよう。その方が良いと思う……」 この部屋こんなに空気が少なかったか? と疑う程、肺に酸素が入ってこない。冷房もない蒸し暑かった室内で何故か悪寒がし、身震いした。 「……なん、で? 全然、イミわかんねぇよ……ど……ゆこと……? え、遠距離、恋愛……ってや、つ?」 別に笑いたくも無いのに、勝手に笑顔を作ってしまうーー対照的に能面の様な顔の伊月が、やっとこちらを向いた。

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