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第52話

「……紀智」 聞こえてきた、伊月の声に反応し口が勝手に動き出していた。 「ーーっ俺! 待つから……伊月さんが納得出来るまで待つ……待てるから」 自分の事ながら、なんて女々しく我儘な事を言っているんだろうと思った。 しかしもう走り出してしまったのだ、これ以上本音を偽る事はできないーー。 「……そんな、約束出来るわけないだろ……いつに、なるか……」 目線を逸らした伊月が、絞り出すような声で答えたーー。 堪えきれず、一粒零れた涙を手の甲で拭い、努めて笑顔を作って見せたが、頭の中はもう破裂しそうだ。 「……じゃあさ、期限、決めようぜ? 俺たちの年の差分の9年……だったら長ぇか……9ヶ月! ちょうど9ヶ月後、伊月さんが納得出来たら迎えにきてよ……連絡とか、しねぇから……って元々知らねぇけど……だから、あの、伊月さんの母校で待ってるから」 今日ほど、この良く回る舌に感謝した日はないだろう。 なんとか組み立てた妥協案だったがーーやはり、伊月は頷いてくれそうにない。と、言うより(いぶか)しげにこちらを見ていた。 「……どういう事だ……?」 「……晴矢さんに、聞いた。色々……俺、伊月さんと同じ大学に行くって決めた……絶対、行くから……っ」 唇や喉が震え、言い終わる前に張りぼての笑顔は崩れ、抑え込んでいた感情の波が一気に押し寄せる。 こんなぐちゃぐちゃな顔を見られたくは無いのに、伊月の反応が気になり目が逸らせない。 「……紀智、それはーー」 「言うな! お願い……っ、伊月さん……さいご、に約束だけ……ほんとに、も……最後だから、おねがい……っ、待って、るから……っ」 自分で発した言葉に、グサグサと刺されとめどなく涙が溢れてくるーー。 結果が見えていたとしても、困らせるだけと分かっていても、ガキ臭くてもーー少しでも、希望が見える道を見せて欲しかった。 一方的な約束は、所詮はまやかしに過ぎないが、それでも俺には十分だった。 否定も肯定もしない伊月に、抱き締められた暖かい腕の中で、切なく甘い余韻に浸り咽び泣いた。

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